「同情と善意だけではどうにもならない」
当たり前です。
同情とは、「他者の痛みを『その人のもの』として外側から眺めて感じる辛さや悲しみ」などのこと。 誤解を恐れずに言うなら、「他人事」としてと眺めることです。
「他者の痛みを 『自分のこと』として感じて(もしくは感じようとして) 共にあろうとする」共感とは全く違います。
また、善意は、それを行う側の視点で「良いと思うこと」ですから、同情して(他人事として)いる限り、 相手の望みとズレてしまうことは、往々にして起こります。
「善意の押し付け」が、独りよがりで迷惑なものになりがちだということは、みなさんも経験があるのではないでしょうか。
善意の押し付けの根底にある承認欲求
一般に、善意の押し売りをする人は「だれかの役に立ちたい」という思いがあり、その根底には「認められたい」という承認欲求があります。そして、承認欲求の強さは、「認められなさ」の裏返しです。
これもまた、キツイ表現になってしまいますが、そうした人が満たしたいと思っているのは、困っている相手の欲求ではなく、自分自身の欲求です。
褒められ、承認された子の特徴
褒められ、承認されて育った子は、こうした承認欲求とは真逆のところにいます。「だれも認めてくれなくても、自分がいいと思うことをする」ことができます。
「そのままで認められる」経験は、共感の経験に通じますから、独りよがりにならず、他者の痛みに共感する力も育っています。
自分を犠牲にするのではなく、自分のできる範囲で、自分を大切にしながら、他者に救いの手を差し伸べることができます。
愛され、認められた体験は、IQのように数値で測ることができない非認知能力 (人間力、心の力などと呼ばれるもの)を高めるので、コミュニケーション力や頑張る力も伸びていきます。