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こうした現状を「何も考えていないお役所仕事」「縦割り行政で市民の姿が見えていない」とする批判もあります。でも私の胸には、「本当にそれだけなのか?」という一抹の不安が過ぎります。

もちろん、「お役所仕事」も「縦割り行政」もあってはいけないことです。被災された方々のことを考えたら、どうしようもないほどに愚かで許されざる行為ではあることも確かです。でも「悪気は無い」という意味において罪は多少軽くなります。

でも、もしそれが確信犯だったら? 意図的に被災者を放置して故郷に近づけないようにし、人口を流出させ、無駄に見える大がかりな事業を行っているのだとしたら・・・どうでしょうか。

ぬぐい去れない不安

今まで国や行政は、過疎地や自然あふれた土地を狙って、「人口が少ないから」「国有地だから」「誘致すれば経済が潤うから」と、原発や基地を次々とつくってきました。
また、人が集まりにくい状況をわざとつくっておいて、「人がいないから」と児童館や学校などの公共施設を潰しては、安く企業に転売したりしてきました。

「この同じ手法を被災地でも行おうとしているのではないか?」という不安がどうしてもぬぐい去れないのです。

何しろ時代を担っているのは、国際競争力を高めるためには原発再稼働も厭わず、個人経営の第一次産業を犠牲にしてまでもTPP参加を表明し、武器輸出三原則を無視してまで金儲けのために次期戦闘機「F-35」の生産に日本企業を参画させても平気な安倍政権です。

よもや被災地が・・・

TPP参加後の国際競争で勝ち残っていくため、アメリカ並みの大規模農場や大食品加工場をつくれる広大な土地は安倍政権からすれば、のどから手が出るほど欲しいはずです。また、軍事産業を活性化させ、アメリカとの友好関係を堅固にするためにも軍事関連用地はいくらあっても足りないはずです。

それを得るためになら、きっとどんな資本投下も犠牲も厭わないでしょう。たとえ今は無人の浜でも、将来はそこに巨大な工場や基地がつくられるのだとしたら、どれだけのお金をつぎ込んでも無駄にはならないはずです。

「よもや人がいなくなった被災地が、そうした大企業向けの工場や農地、軍事関連施設としては使われることはないだろうか」と考えるのは、私の妄想であって欲しいと心から願っています。(続く…

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感情を失い、経済活動だけを追い求める人びとには、故郷を追われ、家族離散し、希望を失う人びとの悲しみは分かりません。生活に困窮し、苦しむ人びとの姿も見えません。

私たち日本人は3.11で擬似的な体験を含め、多くの喪失体験をしました。
未だに収束の目処も立たない福島第一原発の事故を目の当たりにし、戦後、日本人を突き動かしてきた「経済発展こそが人を幸せにする」という考えは正しくなかったのではないかという、価値観の揺らぎにも遭遇しました。

つまり、人間の自己を支える基本となる価値観や関係性を失うというとても辛い体験をしたのです。

でも、それは私たちの社会が、戦後手に入れた物質的な豊かさと引き替えに手放してきた大切なもの、ひいては人間らしい生き方ができる社会を取り戻すための大きなチャンスでもありました。

日本が進む方向は・・・

しかし残念ながら3.11を経た今も、日本は、人間らしい生活から離れた方向へ進もうとしているように見えます。それを如実に表しているのが、経済最優先を掲げるアベノミクスを応援する声です。

マスコミでは、高級な嗜好品が飛ぶように売れていると報道されています。株価が上昇したとか、年収を上げる企業が出始めたなどのニュースが「明るい話題」として歓迎されています。

でも、ちょっと考えてみてください。
株価が上がって本当に儲かるのは、もともと莫大な富を持っている大株主ではないでしょうか。少なくとも私のような庶民の生活にはほとんど影響ありません。もし、多少なりとも余裕ができたとしたら「高級品を買うよりも、老後に回したい」と考えるのは私だけではないと思います。

雇用期間があらかじめ定められている有期雇用契約で働く人が4人にひとりを超える今、業績好調な企業の年収が上がったことで恩恵を受ける人はいったいどのくらいいるのでしょう。
しかも今、政府の産業競争力会議(議長・安倍首相)では、正社員より低賃金で解雇しやすく、流動的な働き方を強いられる「準正社員」の雇用を進めることも準備しています。

躁的防衛

現実を直視せず、喪失したものをちゃんと悲しんだり、辛い出来事に苦しんだり、悩んだりするなどの傷つきや悩みを心から追い出し、「前を向いて生きよう」「自分は元気で強いはず」などと、言い聞かせて苦痛を回避する方策を精神分析では「躁的防衛」と呼びます。

躁的防衛が状態化した社会では、辛い現実を受け止め、より建設的・創造的な生き方を手に入れるためのプロセスは失われ、「リアルな感情」は軽んじられます。人々は、株式投資や仕事やネット、スポーツやお酒など、一時の高揚や幸福感を与えてくれるものへと耽溺し、「リアルな感情」を感じないよう、防衛するからです。

こうした防衛は、気休めにはなりますが、根本的な解決にはつながりません。そして人々は、もっと強い娯楽や刺激などの依存対象を必要とするようになり、ますます「リアルな感情」が分からなくなります。

そんな人間が完全に疎外された社会へとこのまま突き進むのでしょうか。
3.11で失われた多くの命に報いるためにも、安倍政権が指し示す未来をきちんと見極める必要があります。

4月15日(現地時間)にアメリカで起きたボストンマラソンを狙った爆弾テロ事件から1週間後の朝、延期されていたレッドソックスの試合が再開されたというNHKのニュースを見ました。
番組では、事件でケガをした市民や捜査に当たった警察関係者らが紹介され、人びとが黙祷を捧げていました。

そんなニュースの中で気になったのは、レッドソックスの相手チームであるロイヤルズも「ボストンは強い」というメッセージを込めた「B STRONG」のマークを胸に付けて試合に臨み、顔に「BOSTON STRONG」などと書いた観衆が映っていたことです。「ボストン市民はこんなことに負けず、前を向いて強く乗り越えようとしている」といった主旨の説明も流れていました。

躁的防衛そのもの

まだ1週間しか経っていないのに、まだ十分に悲しむことさえもできていないだろうに、「前を向いて乗り越える」「自分たちは強いんだ!」・・・。

まさに、前回のブログで書いた躁的防衛そのものではありませんか!

ニュースの画面に映るボストン市民の様子から、ずっとアメリカ社会ーー少なくともアメリカのメインの社会は、こうやって悲哀を排除し、喪の心理や不安を心から追い出すことで心の安定を得、何も振り返らずに、ただ前へ前へと進むことを良しとしてきたのだということがリアルに伝わってきました。

これもまた前回ご紹介した本ですが、精神科医の小此木啓吾氏は『対象喪失 悲しむということ』(中公新書)の中で、こうした心性と全能感について興味深い意見を述べています。

「対象喪失は、どんなに人間があがいても、その対象を再生することができないという、人間の絶対的有限性への直面である。ところが現代社会は、人類のこの有限感覚をわれわれの心から排除してしまった」(196ページ)と言い、代わりにさまざまなテクノロジー等を進歩させることで全能感を満たしてきたというのです。

全能の願望による支配

そして、それに続く文章は、あらゆるものからの自由を標榜するアメリカの、そしてそんなアメリカを標榜する日本の現代社会を写し取ったかのような内容になっています。

「この動向は、自分にとって苦痛と不安を与える存在は、むしろ積極的に使いすてにし、別の新しい代わりを見つけ出す方が便利だし、実際にそうできるという全能感を人びとにひきおこしている。死んで葬り去れば縁がなくなるし、醜く年老いた者は実社会から排除すればよいし、うまくいかなくなった男女は別れて、それぞれ新しい相手を見つければよい。できることならば、学校や職場も気に入らなければ、自由に変えられる方がよい。住む所、暮らす国さえもそうできればそのほうがよい。少なくとも人びとの幻想の中では、こうした全能の願望がすべての対象とのかかわりを支配しようとしている」(196~197ページ)

でも皮肉なことに、こうした全能の願望による支配、それにともなう共感能力の欠如こそが、「究極の支配への抵抗」であるテロの温床になっているのではないでしょうか。(続く…

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もし、アメリカという国が躁的防衛を用いて何かを喪失体験を感じないようにしてきたのだとしたら、日本はどうでしょう?

昨今のアメリカナイズされた日本の状況を見ると躁的防衛も多々用いられているようにも思えますが、伝統的には精神分析で言うところの「否認」が多用されているように感じられます。

否認をごく簡単に説明すると「現実に起こった出来事にまつわる苦痛な認識や不安の感情に気づかないようにする心の働き」と言うことができると思います。これはまさに3.11後の日本人の振る舞いそのものではないでしょうか。

顕著な例は水俣病

いえ、でも振り返ってみれば、日本人はずっと「現実は見ない」ようにして、被害を受けた人たちを切り捨て、遠ざけ、「自分とは関係のないもの」として苦痛や不安を回避して、ただただ目先の豊かさを求めて走ってきたように思えます。

その顕著な例を挙げるなら、たとえばつい最近、最高裁判決が出た水俣病(1942年発生)に代表される公害問題があります。

水俣病は、有機水銀中毒による神経疾患です。熊本県水俣市にあるチッソの工場から排水された水銀が原因で起きたため、その地名が付いています。簡単に言うと、チッソが流した水銀を含む魚介類を食べた水俣湾付近の人たちが中枢神経障害を起こすメチル水銀中毒になってしまったという事件です。

同様の症状を呈する公害病に、新潟県阿賀野川流域の昭和電工による新潟水俣病があり、イタイイタイ病(富山県)、四日市ぜん息(三重県)とならび、四大公害病と呼ばれるものです。

どれも有名な公害病ですので多くの資料がありますが、たとえば水俣病については、「水俣病センター相思社」などで知ることができます。

遅々として進まぬ救済

公害病の犠牲となった人びとへの救済は遅々として進んできませんでした。

水俣病においては、未認定被害者は約6~7万人とも言われています。今回の判決で新たに認定された方もいらっしゃいますが、認定患者は今年3月現在に申請した3万1354人のうち、2975人にすぎません(沖縄タイムス)。

認定された場合は、原因企業から1800万~1000万円の一時金が支払われますが、当たり前の生活を奪われ、半世紀以上も病気に苦しみ、戦い抜いた末に得られる金額としては驚くほど少額です。公式認定から57年もたち、すでに亡くなった方もおられます。(続く…

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また、最近、「3.11後の福島とそっくり」と注目されている事件に、日本初の公害事件と名高い足尾銅山鉱毒事件があります

足尾銅山鉱毒事件は、当時のあらゆる技術の粋を集めて行われていたはずなのに、銅山から鉱毒が流出。排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が渡良瀬川流域を汚染した事件でした。19世紀後半(明治初期)のことです。

農作物や皮の魚などに甚大な被害を出し、最終的に政府は鉱毒を沈殿するため最下流地の谷中村を廃村して、遊水池とする計画を決定しました。

この政府の計画に最後まで村民とともに粘り強く反対した衆議院議員・田中正造の名は、だれもが一度は社会科の教科書等で目にしているはずです。

無視された当事者の声

しかし、最も意見を尊重されるべき当事者の声は無視され、1906年、村は強制的に廃村となりました。明治初期に約2700人いた村民は、集団移住を余儀なくされ、遠くは北海道まで移転した方もおられるそうです

詳しく知りたい方は、『毎日新聞』(2012年9月17日)の記事
田中正造:再び注目される思想 足尾銅山事件と福島原発事故の類似性)を読んでいただきたいと思います。

この記事中で印象的だったのは、国学院大教授の菅井益郎さんのコメントです。菅井さんは「日本は近代化を進めるために、何か問題があっても責任をとらない構造を作り、それが今も続く。鉱毒事件も原発事故も政府は責任をとらず、企業も『国策に沿った』と、責任をとらない。被害を受けるのは弱い立場の人々だ」と指摘しています。

保障を受けられないことはいくらでも

国の発展という名目で、「国策の沿った」やり方が、一般の人びと、立場の弱い人びとに大きな被害をもたらしても、満足のいく保障が受けられないことはいくらでもあります。

たとえば旧日本軍兵士として闘った在日朝鮮人・韓国人・台湾人など、日本国籍を持たない傷痍軍人の方々もそうでした。

1970年代の初め頃までは、手足が無かったり、体に大きな傷を負った傷痍軍人の方々が、街頭で物乞いをしている姿を見かけることもめずらしくありませんでした。(続く…

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そして今、最も「発展の影で犠牲になっている」と強く感じているのが3.11の被災者の方々です。

「感情を失った時代」の回にも書きましたが、現実感の無い「景気回復」に浮かれ、実感のない「経済成長」優先の裏で、肝心の被災地の復興は遅々として進んでいません。
少し前にも復興予算の約1.2兆円が公益法人や自治体が管理する「基金」に配られ、被災地以外で使われているとの報道がありました(『朝日新聞』5月9日)。

国の予算審議が遅れ、補助が受けられないため、福島県から避難している方々への支援を打ち切らざるを得ない支援団体などが出始めていたり、過酷な状況下で働く福島第一原発事故の作業員の方々が、契約した派遣会社から契約通りの賃金をもらえない「ピンハネ」は後を絶ちません。

特例法案も成立したが・・・

つい最近、東京電力福島第1原発事故の損害賠償に関して、国の「原子力損害賠償紛争解決センター」に和解の仲介を申し立てている場合に限り、賠償請求権の3年の時効が過ぎても東電に賠償請求できるようにする特例法案が成立しましたが、内容を見るとかなりマユツバです。

この法律で救済されるのは、東電と交渉する裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てた人に限られます。

確かに、和解仲介を継続している人が3年の時効を迎えた場合には、和解仲介の打ち切り通知から1カ月以内に訴訟を起こせば賠償請求権の消滅は防げます。でも、逆に言えば申し立てが出来ていなかったり、1ヶ月以内に訴状を用意できなければ、請求権は消滅することになります。

当事者や支援者からは「法案は被災者の切り捨てにつながる」という危惧の声も聞こえます。

きちんとした保障を受けられるのはいつ?

そもそもADRは、職員不足などで解決まで半年以上かかることもあって利用者が低迷しています。文部科学省によると、利用者は現在約2万9000人で、約15万2000人いる避難者の19%程度に過ぎません。

被災者の方々が、きちんとした保障を受けられるのはいったいいつになるのか・・・。ついつい水俣病や足尾銅山鉱毒事件の被害者の方々と重ね合わせてしまいます。(続く…

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震災から2年が過ぎ、被災者の方々の生活状況はどんどん深刻さを増しています。

未だに高い放射線値が検出される福島に残って子育てをしていくことを決意した方々。
逆に、避難地域に指定されてはいないけれども、独自の判断で住み慣れた土地(福島の方だけではありません)を離れて子どもと生きていくことを決意された方々。

昨年末から何回かそうした親子の方々からお話しをうかがう機会がありました。

残る選択をされた方は「『集団疎開』などと声高に叫ぶ人たちの論調を聞くと、『なぜ放射線が高いと分かっていながらそこで子育てし続けるのか』と責められているような気持ちがする」と話し、母子避難された方は「『国も安全だと言っているし、みんなここで暮らしているのにどうしていっしょに暮らせないのか』と責め立てられる」と話していました。

残るのも避難するのも苦渋の選択

本来であれば、残るか避難するかは、その家族・夫婦・親子の問題です。他人がとやかく言えることではありません。

そもそも、原発事故さえなければこんな苦渋の選択・決断を強いることもなかったわけです。それならばたとえどちらを選ぼうと新しい生活をしていくための十分な保障がなされるのが当然のはずです。

でも、現実が「十分の保障」からどれほど遠い状況にあるかは、もう何度もこのブログでも書きました。

逼迫した母子避難の方々

そうした中で、たとえば母子避難をされた方々の生活はかなり逼迫したところまで来ています。

二重生活のための経済的な負担、離れて暮らす家族と会うための経済的・物理的負担、他の家族との考え方の違いによる軋轢、もともと暮らしていた土地の近所の方々からの詰めたい視線、避難先での心ない対応の数々・・・。あげればキリがありません。

少しだけでも生活費の足しにするため仕事をしようとしても、幼い子どもを預ける場所がなければ働けません。
医療や健康調査の通知等が届かなくなったりすることを防ぐため、多くの避難者の方々は住民票をもと居た場所に置いたままにしています。そのため避難先の自治体では門前払いにあって待機児童にさえなれなかったという話も聞きました。(続く…

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放射能という目に見えない、得体の知れないものに怯えながら低線量被曝がいったい生命に何をもたらすのかも分からない中で、たったひとりで子育てをするというだけでも、想像できないくらい大変なことです。

そんな避難生活をされている母子に「これでもか!」というほどたくさんの難題が次々と降りかかっています。

母子避難の方々が直面している問題がどんなものなのか。そのリアルな声を聞きたいいという方は、ぜひ関西に母子避難されている方々の体験手記『20年後のあなたへ』をお読みください。「避難ママのお茶べり会」より購入できます。

ここでは、私が強く心を揺さぶられた母子避難されているあるお母さんの言葉を一部抜粋のかたちでご紹介させていいただきたいと思います。
それは福島から関西に避難されているあるお母さんの話でした。彼女の手記が載った『子どもの権利モニター』116号(DCI日本発行)より転載いたします。

父親から引き離したことは正しかった?

「夫は月に一度来れればよい方です。『単身赴任や海外赴任のお父さんを持つご家庭と同じ」と、自分に言い聞かせて日々過ごしていますが、『いつまで』という任期があるわけでなく、おそらく相当長期に渡ってこの生活が続くと考えると、子どもへの精神面での影響が心配で、『本当に福島を出て良かったのか』と何度悩んだかしれません。お父さんが大好きだった3歳の息子を父親から引き離してしまったのは本当に正しかったのか? 震災当時、生後5ヶ月だった娘はほぼ父親を知らないで育ってしまって父娘関係に影響は出ないだろうか? なによりも、家族のためにたったひとりで福島に残って子どもの寝顔さえ毎日見る事が出来ない生活をしている夫の精神状態は本当に大丈夫なのだろうか? 休みには700キロ以上離れた大阪まで1人高速道路を車で飛ばして子どもたちに会いに来て、大阪では24時間も滞在できないで、また戻る。せっかく夫が来ても、子どもたちには 『お父さんは疲れてるから寝かせてあげて!』と声を上げる私は母親として何をやってるんだろう・・・」

手記からは、「放射能からは子どもを守ることができたけれども、父親との関係性を奪ってしまったことの影響はないのだろうか?」という迷いと苦悩が、伝わってきます。

心と体の健康はトータル

心と体の健康はトータルなものです。物理的な環境だけを整えても、子どもの心は健康に育ちません。たとえば、一切の放射能汚染の無い場所で、衣食住のすべてを満たす生活が保障されたとしても、それだけでは子どもはきちんと育ちません。無条件に愛し、常に関心を向けてくれるおとな(多くの場合は親)の存在が不可欠です。(続く…

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3.11以後、子どもが育つための土台が破壊され、それに苦悩する親子がこんなにもたくさんいるというのに、1年経った今も子ども被災者支援法はその方向性さえ見えません。

こうした現実を否認し、子どもたちを置き去りにして「世界で勝てる国」になったからと言って、いったいどんな価値があるのでしょうか。

戦争、公害、基地、原発事故、テロ・・・表面的な繁栄の影で、蓋をされている問題が山のようにあります。
それにもかかわらず、問題の原因や背景をちゃんと検証し、進むべき道を見直すこともせず、ただ「前へ、前へ」と進むことが強い国の証しなのでしょうか。

立場の弱い人を踏みにじり、多くの犠牲の上に利益を築いてきたこの日本という国のいったい何を「取り戻す」と言うのでしょうか。

これが「JAPAN STORONG」?

「成長率、生産、消費、雇用、すべて改善している。サミットでも強い期待と評価をいただいた」と、安倍首相は胸をはりますが、その裏で生活保護受給者の数は216万人に達し、11ヶ月連続で過去最多を更新しています(『朝日新聞』2013年6月23日)。

TPP交渉を待たずとも、地方の第一次産業は青息吐息。その一方で都心の億ションが即時完売し、1千万円を越す輸入車の5月の販売台数は前年同月5割増しの916台、百貨店でも高級品が売れていると言います(『朝日新聞』2013年6月18日)。

これが3.11を乗り越えた「JAPAN STORONG」なのでしょうか。

猛進するのではなく

こうした経済成長こそが、人間を幸せにするのだと公言してはばからない人々の言葉を本当に信じていいのかどうか。少なくとも「ひたすら前へ」と猛進するのではなく、もう少し歩調を緩めて、考え直してみてもいいのでないでしょうか。

私たちが求めているのは、一部の人たちを犠牲にし、その姿を見ないようにした上で築かれた繁栄や格差を前提とした豊かさなのかを。

安倍首相率いる政府は、7月1日、集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を決定しました。

これは、戦後日本が守り続けてきた安全保障の道を大きく転換させるものです。ずっと「専守防衛」を言い続けてきた日本が、海外での自衛隊による武力行使にも道を開きます。

今まで日本は、たとえ集団的自衛権を持っていても、憲法上その行使は許されないという姿勢でした。

ところが今回の解釈変更によって、「わが国に対する急迫不正の侵害の発生」としてきた自衛権の発動は、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」に変わり、国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある場合」は自衛権を発動できると改めました。

でも、いったいだれが、何を持って「根底から覆される」と判断するのでしょうか。「我が国と密接な関係」とはどんな関係を意味するのでしょうか。とても曖昧です。

「日本人は平和ぼけしている」「自分の国は自分の力で守るべきだ」と主張する声がある一方で、こうした安倍首相率いる日本政府の動きを「戦争への道を開くもの」「平和憲法に背くもの」と批判する声も強まっています。

少年までが報復の対象に

一方、世界に目を移してみれば、戦争、武力闘争は後を絶ちません。

そんな国・地域のひとつであるパレスチナとイスラエルの間では、長年、血で血を洗う戦闘が繰り返され、子供たちまでを巻き込んでの憎しみの増幅、恨みの応酬が続いています。

先月末には、イスラエル人3人の少年が他殺体で発見され、今月2日には、誘拐されていたパレスチナ人の少年が遺体で発見されました。

パレスチナ暫定自治政府の司法担当者は、少年の死因について「何者かに体に火をつけられ殺害された」とする検視の結果を明らかにしました。

また、この事件の翌日に撮影されたものとして、東エルサレムで治安部隊が地面に倒れた無抵抗の少年に繰り返し暴力を加えている様子も報じられました。
暴力を振るわれていたのは、殺害された少年のいとこに当たる少年だとも言われています。(続く…