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そんなわけでなかなか気持ちを込めて応援したり、楽しんだりすることができないオリンピックなのですが、今回はその気持ちが顕著でした。

それはオリンピック開始前から終了後まで続いていた「母に捧げるメダル」や「母がいたからここまでこれた」という、各選手をめぐる報道のせいです。週刊誌やワイドショーだけでなく、新聞までもが母への感謝と大絶賛に埋め尽くされていました。

親子にとって本当に幸せ?

「家族の支えがなければ続けられなかった」というのは本当のことでしょう。自分を支えてくれた人に感謝するのは当然のことですし、そのこと事態は、とても素晴らしいことだと思います。

しかし、小さな頃から母親が子どもの練習につきっきりで過ごすというのはどうなのでしょうか。家族の生活の中で、あるひとりの子どもの練習が何よりも優先されるというのは子どもにどんな影響を与えるのでしょうか。

練習を続けるには莫大なお金もかかります。もし、飛び抜けて裕福な家庭ではなかった場合、家族が経済的にも苦労しながら、自分の上達だけを望み、大きな期待をかけられるというのは本当に子どもにとって幸せなことなのでしょうか。

さらに言えば、パートナーと家族をつくるほどの年齢になった子どもに「お母さん(お父さん)のためにメダルを取る」と言われることは、親にとって幸せなのでしょうか。

これまたひねくれ者の意見

これもまたひねくれ者の意見で恐縮ですが、もし私がオリンピック選手の母親だったどうかと考えるのです。まったく仮定の話ですが、自分の子どもがそんな偉大な選手になって、そんなセリフを口にしたらどうなのかと想像してみるのです。

自分の人生を楽しむ中で最高のスポーツと出会い、新しいパートナーと力を合わせ、自分のためにベストを尽くすというのなら、親として応援もできます。「周囲の人に感謝してメダルを目指してね」と、笑顔で送り出すこともできると思います。

でも、もし「お母さんのためにメダルを取る」と言われたら・・・。

「そんなこと重たすぎるから勘弁してくれ」

それが、私の本音です。

そして、「ああ、私は子どもの人生をこんなふうに支配し、コントロールしてきた母親だったのか」と、改めて愕然とすることでしょう。

なぜならオリンピック選手となった子どもが「お母さんにメダルを捧げる」と語ることは、「あなたのために自分の人生はあった」と言うに等しいことだと思えてしまうからです。(続く…

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そろそろ話題を「子ども報告書」に戻したいと思います。

・・・が、まずはここでおわびがひとつ。
諸事情あって、今回のブログから一部の掲載を削除させていただきました。それにともない、全体のタイトルも変更させていただきました。
ずっと続けてブログを読んでくださった方には、途中での変更となり、大変失礼いたしました。
お詫びしたいと思います。

寂しさで壊れそうな子どもたち

さて、本題です。
今までにないくらい、読んで切ない気持ちになった第三回『子ども報告書』。
「親子関係」について考えさせられる内容がぎっしりだった報告書に、共通していたのは「このままでは寂しくて壊れてしまう」という、悲鳴のようなメッセージでした。

これは過去2回の『子ども報告書』にはなかったことです。

過去の『子ども報告書』でも、生徒会活動に教師が口を出してくる問題、生徒の自尊心をずたずたにする教師の暴言や体罰のこと、理不尽な校則について、居場所になっていた夜間高校が統廃合を止めたいという訴え・・・いくつもの出来事が、ひとりひとりの体験からリアルにつづられていました。

そして「おとなの都合に合う子どもだけを受け入れるのではなく、たとえ“ダメな子”であっても、こっちに顔を向けて欲しい」というメッセージもありました。
でも、そこには「どうしておとなは分かってくれないんだ!」という憤りのようなものが感じられ、子どもたちが怒っている分だけ、希望も感じられたのです。

怒りは大切な感情

怒りは、とても大切な感情です。
自尊心が傷つけられたときにわきおこり、私たちに「自分が脅かされている」ことを教えてくれます。

そうした感情を感じることができればこそ、私たちは自分を守り、危険なものを遠ざけ、良くないものを良いものへと変えていくことができます。

怒りのエネルギーが、一歩間違えばとても破壊的なものになってしまうことも事実ですが、きちんと昇華させることができれば、大きな創造性につながります。
たとえば世界平和を歌うアーティスト、世の不条理を描く作家、自らの辛い過去を他の人の支援のために活かすサバイバーの方たちなどの仕事がこれに当たるでしょう。

怒りを感じられない報告書

身を守る機能を持つ怒り。その源泉をたどると、乳幼児の「他者を求める叫び」に行き着きます。
未熟なまま産まれてくる人間は、絶えず自分を気にかけ、寄り添い、そのニーズを満たしてくれる養育者(多くの場合は母親)がいなければ生き延びることはできません。

だから、養育者から離された乳幼児は、泣き叫んで養育者を呼びます。ひとりで、そこに置かれることは飢えて死ぬことを意味するから、必死になって自分のニーズを伝え、それを満たしてくれるよう訴えます。

そんな泣き叫ぶ乳幼児の心には、恐怖と悲しみをまとった「なぜ自分を放っておくんだ!」という怒りがあり、自分をおびやかすものから「解放して欲しい」と、養育者に求めています。

ところが、今回の『子ども報告書』からは「怒り」がほとんど感じられないのです。(続く…

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それから、今回の『子ども報告書』のもうひとつの大きな特徴。それが「母的環境」(自分をそのままで認め、ニーズを汲み取り応じてくれる関係のこと。
必ずしも母親によってもたらされるわけではありません)の喪失です

自分で自分を守ることなど不可能な子どもは、どうあっても「母的環境」を必要とします。それがあってはじめて、世の中は安全だと知り、自分はここにいてもいいと思い、自分の力を伸ばすこともできるようになります。


ダダ星人(文中参照)になって

ところが今回の「子ども報告書」には、そうした関係性の上に立っていると思える子どもがほとんどいません。

それどころか、

「どうにかして親(身近なおとな)に振り向いてもらいたい」
「自分を評価して欲しい」

と頑張って、頑張って、さらに傷つく・・・。
そんな様子が見て取れます。

親との間に「母的環境」をもてなかった影響は、学校生活や友達との関係など、さまざまな場面にも影を落とします。

「キャラをつくらなければクラスにいられない」
「本当の自分はどこでも出せない」
「自分を認めてくれる性産業に心惹かれていく」

などなど、さまざまなエピソードが語られています。

いつでも他者を気にして、自分を評価してくれる人を求めて、その場で必要とされる人にならなめればいけないつらさ。

ある子どもは「ウルトラマン登場するダダ星人(三種類の顔を持っていて、それらを使い分けることができる)のように、顔や正確を変えないとその場にいることができないなんて、苦しすぎる」と表現しています。

結果をもたらさなければ愛は手に入らない?

そんな子どもたちの辛さに、周囲のおとなは本当に無頓着です。
きっと、子どもの気持ちを考える余裕もないほど、おとなたちも追い詰められているのでしょう。

子どもは、さまざまなSOSを出します。
ときには本当にストレートに、いじめられていること、否定せずに話を聞いて欲しいこと、自分なりに頑張っていることを認めて欲しいこと・・・などをぶつけます。

しかし、そんな子どもたちの思いを受け止めようというおとなは、「子ども報告書」には登場しません。
どの子も「おとなが気にしているのは、受験や成績、部活動での結果だけ。だれも自分という子どものことなど見ていない」と、つづります。

その姿は私がどうしても好きになれないオリンピックで、メダルという結果をもたらさなければ価値(愛)を手に入れられないアスリートとダブって見えます。(続く…

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本当は、『届ける会News Letter』に掲載された報告書をすべて読んでいただきたいくらいですが、分量の関係もあるのでちょっと割愛。

今回は「子どもの声を国連に届けるプロジェクト」世話人一同による総論のエッセンスをご紹介したいと思います。

本当は、この総論だけでも全文読んでいただきたいところですが、かなり長くなってしまいますので、少しずつはしょったり、手を加えつつ、ポイントだけをお伝えしましょう。

「先進国・日本に生まれて」

総論は「先進国・日本に生まれて」という小見出しではじまり、次のように続きます。
「町中に溢れる人やモノ。TVの電源を入れれば味わえる感動。遠くの人とも関係し合えるインターネット。いつでも誰かと繋がれる携帯電話。

そんな恵まれた環境の中にあって、なぜか私たちは“からっぽ”な自分をいつも感じ、自分ではない誰かを常に演じているような感覚に囚われています。おとな達はそんな私たちを『思春期だから』とか『自分が無いから』と言い、『おとなになればそんな思いはしなくなる』と私たちに早く自立することの大切さを説きます。しかし、この思いは子どもの頃にも、そしてその時期を過ぎても、私たちの体の中に一生付きまとう感覚のようにべったりと張り付いて離れないでいるのです」

おとなが求める子ども像

そして、「子どもは経済的に豊かな国であり続けようとするおとなの苦しみを理解し、必死で努力し、演技をしている」と述べ、おとなたちの言動をこんなふうに分析しています。
「おとなは心の持ち様さえも評価対象にして、私たちに自分の感情を相手の求めによってコントロールすることを求めました。先生が求めている正解を言える子ども。最初から決められた目標に対して『結末の決まった』議論を熱心にやる振りのできる子ども。

そんな、おとなの求めるものをオートマチックに出し入れできる子どもたちが、結果的には社会に『適応力のある人材』として認められ、勝ち残っていくのです。

しかし、そんな積み重ねで、ある瞬間「自分のなさ」に気付いた時に、自分の顔や性格を変えないとその場に存在することが許されない不安感に押しつぶされそうになります。その恐怖から逃れるためにさらに揺れる感情に蓋をし、さらに何も感じない無機質な存在でいようとします。その繰り返しで最後には『感情が希薄な最近のコ』と言われおとなから揶揄されることになってしまうのです」

「孤独だった自分」という共通語

「でも、私たちは機械にはなれない」と、総論は続けます。

そのうえで、たとえば10代の読者がキャバクラ嬢に大きな魅力を感じる裏には、「孤独だった自分」という共通語があると記してます。
「『ひとりぼっちの自分を愛してくれる男がいる華やかな居場所』として、経済的に豊かな先進国の子ども達が本来ならば身を投じる必要のないはずの性産業の世界にさえ子どもが魅力を感じ、『ここなら生きられる私の居場所』として夜の世界を選択することさえあるのです」というのです。(続く…

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なぜ、子どもたちがそんなにも孤独なのか。総論は、こんなふうに書いています。

「おとなは『あなたが生きられる場所はここだけよ』と壁を設置して、その壁を乗り越えられない時には徹底的に子どもに烙印を押します。

その壁によじ登ってバタンと倒れて痛んで、泣いて、だれかそばいて、『大丈夫、また登ってみよう』と言ってくれるなら、壁はいくらでも乗り越えられます。けれど、今、おとなが私たちに言っていることは、よじ登ってバタンと倒れてしまったとき、痛みを感じるな、苦しむな、痛いと思ったら終わりだ。だらしない。そんなやつ脱落だ。愛される資格もない。そういうことなのです。

私たちは誰かに愛されたいと願い、たとえそれがおとなの所有物になることであろうが、親自身の商品価値を上げるための道具であろうが、必死になっておとなの揺れる心に付いていこうとします。けれど、おとなは私たちの揺れる心に一度でも向き合おうとしたでしょうか? 一瞬の『負の感情』に苛まれた私たちを抱きしめて、共に苦しんでくれたでしょうか?

===
「その『絆』を断ちたいわけじゃない」

でも総論は、ただおとなを批判し、「おとななんかもうあてにしない」と言ってはいません。
それとはまったく逆の結論になっています。

「毎日自分の身に降りかかる様々な価値や評価に疲れて、私たちは誰に何を認めてもらえば良いのか分からなくなりつつあります。
それでも、きっと、私たちは国に認められるため、企業に認められるために生まれてきたわけではないはずです。いちばん身近なだれかにきちんと認められたい。ただ、それだけです。ただ、それだけの「糸」を手繰り寄せようと必死にもがいているのです。だからどうか、その糸を切ろうとしないでほしい。

すべての糸を断ち切って、皆がバラバラに点在しているような社会はきっと誰も幸せを感じられない世界ではないでしょうか。
そんな世界に生きるために、私たちは生まれてきたはずじゃない。私たちの母や、父や、先生だって、そんな世界を私たちに見せるために生きてきたはずじゃない。今こそ、点を線で結んで、繋がりあって、一人ひとりがしっかりだれかと向き合える、不安に怯えなくていい世界を」

国連に届け! 子どもたちの声

今月末、そんな子どもたちの思いを手に、私もジュネーブ(スイス)にある国連に行ってきます。
子どもの権利のための国連NGO・DCI日本(https://www.dci-jp.com/index2.html)の仲間も一緒です。

子どもの権利条約は、その批准国に対して5年ごとに国内の子ども状況や、子どもの権利条約の実施状況を国連「子どもの権利委員会」(国連)に提出することを課しています。そして、国連はその政府報告書と、おとなから集めたNGOの報告書(すでに提出済み)をもとに審査を行うのです。

第3回目になる今回は、5月27・28日が審査日です。
結果については、またこのブログでもご紹介したいと思っています。

どうか、どうか、子どもたちの声が届く結果が出ますように!!

100715_2.jpg 5月27、28日にスイスのジュネーブにある国連で開かれた子どもの権利条約に基づく第三回日本政府報告書審査の傍聴に行ってきました!
もちろん、「子どもの声を国連に届けるプロジェクト」(略称「届ける会」)の子どもたちも一緒です。

第二回目のときとは異なり、国連側の事情で入場制限が行われたため、ずーっと審査を傍聴するという「国連三昧」とは行きませんでした。
でも、フリーな時間が多かったため、ヨーロッパアルプスの最高峰・モンブラン(フランス)まで足を延ばしたり、ジュネーブ市街を散策して、宗教改革の旗手・ジャン・カルヴァンで有名なサンピール大聖堂で敬虔な雰囲気を味わったりすることができました。

国連審査が終わったあとは、オプショナルツアーにも参加。わずかな日程ではありましたが「食文化から豊かな暮らしを考えるトスカーナスローフードコース」で選んだイタリアも訪問。
めまぐるしいほど忙しいスケジュールではありましたが、ヨーロッパのゆったりした時間を体一杯に浴び、気分的にはかなりのんびり。命の洗濯ができました。

まるで「毎日がバカンス!」

また、イタリアでは素敵な日本人ガイド・五十嵐陽子さんとの出会いもありました。

五十嵐さんは、フィレンツェ県公認ガイドのライセンスを取得された方。イタリア好きが高じてフィレンツェに移り住み、ワイン好きが高じてソムリエになったという五十嵐さんがガイドするわけですから、ゆったりとしたイタリアの魅力が凝縮されたような内容でした。

ジュネーブでは「5週間のバカンスは当たり前」とか「だれもがきちんと暮らせるだけの給料が最低限確保されている」「高速道路は無料だからみんな気軽に出かけられる」と聞いて驚いたのですが、イタリアのトスカーナ地方は風景から空気から人のやりとりから・・・何もかもがゆったりのんびり。まるで「毎日がバカンス!」のような場所なのです。

「イギリスの人気歌手スティングが移り住んでいる」と聞きましたが、その気持ちが分かります。

イタリア政府からの援助で

100715_1.jpg その牧歌的な風景&文化を守り続けるために、イタリア政府(か県?)はさまざまな援助や規制をしているそうです。
たとえばトスカーナの土地はかなり高額で、なかなか買うことができません。そして田らしい建物を建てるにも規制が厳しく、空き家になった家を修復して住むのが基本とのこと。

また、オーガニックにこだわり、自然エネルギーを利用したアグリツーリズモという滞在型のワイナリーでは、「その運営に政府が補助金を出しているため、アグリツーリズモの負担が軽減されている」との話も!!

とにかく「開発」にしかお金を出したがらない日本政府とはなんたる違い!(続く…

※写真はサンピエール大聖堂側の路地とアグリツーリズモで訪れたワイナリー

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image100722.jpg のっけから脱線してしまいましたが本筋にもどし、そろそろ国連の話をしましょう。

前回「国連側の事情で入場制限があった」と書きましたが、まずこれが大変でした。子どもの権利条約のための国連NGO・DCI日本の代表や事務局長が10日間も、ほとんど寝ずにやりとりを交わし、それでも頑なに「入場者数を制限する」と引かなかった国連側。

最終的には当日の朝、雨が降る中を最後の交渉をして、交代制で入ることになったのですが、こんなことは初めてです。
過去2回の傍聴のときはまったく問題にならないことでした。

事務局長いわく「子どもの権利条約についてだけでなく、あらゆる条約関連での国連事務局(委員会ではない)のNGOへの対応が変わってきている」とのことですが、平和の象徴である国連なのですから、あらゆる人に対してオープンであって欲しいものです。

2日にわたる審査

すったもんだの末、「過去一度も傍聴したことがない」人から優先的に中へ。傍聴経験者は、いったん解散し、その日の午後の傍聴に回ることになりました。

私が傍聴に入ったのは27日の午後。午前中に総論的な審査を行い、そこで上がったテーマについて午後は各論的に議事が進行されていました。

審査は2日間に及ぶ長いものなので、その全貌をここで示すことはできませんが、DCI日本が「第3回子どもの権利条約 市民・NGO報告書をつくる会」(「第3回つくる会」)とともにつくり、国連に提出した報告書が活きた審査になっていたと思います(審査にご興味のある方はDCI日本のホームページをご覧ください)。

NGO報告書のポイント

ごく簡単に、まずは今回の審査の“もと”になったNGO報告書について説明します。DCIの事務局長は、NGO報告書のポイントを次のように述べています。

1)親や教師など、子どもとかかわるおとなの労働の規制緩和による家庭の崩壊、保育などあらゆる分野における子ども施策の後退という制度的問題、進む競争的な教育制度があること
2)それらが子どもの育ち、教育を保障する立場にいるおとなたちが余裕を無くし、子どもとかかわれない状態に陥らされていること
3)その当然の結果として、子どもたちは安心できる居場所(受容的・応答的な人間関係)を奪われて孤独になり、苦しんでいること、
4)そのような事態を打破するための視点と、対抗軸となる子どもの権利条約の本質について

国連「子どもの権利委員会」委員の方々は、このNGO報告書を熟読し、さらにNGO代表から話を聞く2月の予備審査(本審査の前に行われます)で、突っ込んだ議論をし、今回の本審査に臨まれていました。(続く…

※写真は審査が行われた国連の別館パレ・ウィルソンの入り口

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それからもうひとつ、委員の方々に大きなインパクトを与えたものがあります。
本審査前日の26日に行われた「子どもの声を国連に届けるプロジェクト」(「届ける会」)の8人の子どもたちが行ったプレゼンテーションです。

国連にインパクトを与えた子どもたちのプレゼン

100811.jpg 実は今回、子どものプレゼンテーションの日時や場所も、同席できるおとなの人数も、本審査同様、最後まで確定しませんでした。

しかし、傍聴ツアー出発直前になって「本当にプレゼンテーションができるのか?」というような情報がもれ聞こえる中、子どもたちはただ黙々と、プレゼンに向けての準備をしていました。

前回からの恒例である「恐怖の直前英語合宿」は、出発二日前から成田空港近く(ということは、周囲には何もないような場所)の素泊まり宿で夜を徹して行われました。聞こえるのは念仏のような仲間が発する英語だけ。ある子ども曰く「あまりにも英語ばっかり繰り返していたので日本語までろれつが回らなくなった」というほどです。


===
中には、合宿中にもまだプレゼンの内容を書き直している子もいました。

「自分が何を言いたいのか」
「ひとり2分、しかも英語で伝えなければならないというプレゼンの中で、何を最優先に伝えるべきか」
「そのために、落としてはいけない部分はどこで、削れるのはどこなのか」

みんな最後まで、迷いに迷っていたのです。

「ひとりぼっちにしないで!」

そんな子どもたちがたどり着いたメッセージをひとことで言い表すなら、「ひとりぼっちにしないで!」でした。

ある子は両親に、ある子は教師(学校)に、またある子は人との関係性を奪う競争的な社会と制度を肯定しているあらゆるおとなに、というように、対象はそれぞれでしたが、プレゼンを貫くメッセージは同じでした。

8人のメッセージ

たとえばAさんは、満たされない寂しさを「おとなたちの頭に浮かんでいる『正解』を必死で探すことで自分は必要とされ身は増されることもないと思い込んだ。
顔や性格を変えないと、自分の存在価値がなくなる。助けて欲しいときにはだれも助けてくれず、その場にひつようとされる人にならないとだれからも振り向いてもらえない。それって苦しすぎる」と表現しました。

Bさんは「(いじめや学校での生きづらさから不登校になった子を)先生たちは『逃げている』『負け犬』『みんな頑張っているのにお前だけだ』と責め、最後は見捨てる。こんな世の中は生きづらいしおかしいと思いませんか? 私たちの声を聞いてください。私たちは頑張っているし、逃げているわけじゃありません」と叫びました。

また、Cさんは、頑張っている自分を認めてくれず「怠けている」という母に対し、「まず最初に話を聞いて欲しいと、必死に訴えました。でも、『子どものくせに生意気な』『子どもの言うことに説得力はない』と押さえ込まれ、結局、母からの一方的なコミュニケーションになってしまい、まったく相手にされませんでした」と述べ、また違う子は「学校での話し合いはおとなに合わせていくことを覚える場だった」と、「もっとしっかり向き合い、対話して欲しい」と訴えました。(続く…

※写真はジュネーブにあるレマン湖の名所・大噴水

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image100823.jpgそして「周りにバカと言われる学校に通っている劣等感を持っていた」というDさんは、「このまま(劣等生)でいい」という思いと「競争に戻ってみんなに勝たなければ」という矛盾した思いを紛らわせようと「明るいバカというキャラを演じて友達と合わせてきたけれど、それが高じて自分がどんどん希薄になっていき、自分が分からなくなった」と言い、本当の自分を見せられない毎日について語りました。

また、「家庭の経済事情で進学の幅が狭められているにも関わらず、受験競争に失敗すれば人生はやり直しが利かなくなる」と発言したEさんは、「一人ひとりが持っているさまざまな疑問や不安(略)を先生や子どもたち同士で、安心して話し合い、考え、活動する環境が欲しいのです。(略)私が望んでいること、それはどんな子どもでも一個人として認めて欲しいということです」と述べました。

さらにFさんは「自由に議論しなさい」と言いながら、先生の望むこと、すなわちおとなの都合に合わせて行くことを学ぶ場でしかなかった学校での体験を語り、そんな日常の中で自分の意見を持つことが出来なくなってしまった同級生の中から「共感してくれる友達を探すのにとても時間がかかった。生徒会として動こうとすればするほど、学校にいい顔をする『いい子』と決めつけられた。自分の意見を持つほど、学校では孤立する」と言いました。


平坦でなかったプレゼンへの道のり

思い返してみれば、「国連でプレゼンする!」までの道のりは、ほんとうにデコボコでした。

「届ける会」の活動は「たんにプレゼン希望者を募り、話したいことを書いてもらってそれを英訳してジュネーブに行くだけ」と思われがちですが、実際はそんなキレイなものではありません。

2006年に「届ける会」が発足した当初、集まったメンバー達は「友達のこと」や「兄妹のこと」などを語っていました。

中には、子どもの貧困や平和活動などについて、まるで教科書から抜き出してきたような視点で話す子もいましたし、「いったい何をするための会か分からない」という疑問符を投げかける子もいました。

そんな、言ってしまえば「他人事」で話しをする彼・彼女らの様子。それは、まるで

「自分には何も問題はない。だけど世の中には大変な思いをして生きている子もいる。だから、それをどうにかしたい」

と言っているようにも見えました。

モヤモヤが少しずつかたちに

ところがどっこい。合宿や会議(というよりおしゃべり会?)を重ねるうちに子どもたちは「これば自分のいいたいことなのか?」「これが自分の本音なのか?」と、徐々に考え始めます。

何を言っても否定されない、安心して自分をさらけ出せる場所に顔を出すうちに、理性でふたをされ、「こんなことは取るに足らない」と思ってきた自分のなかのモヤモヤが少しずつかたちになっていったのです。(続く…

※写真は日本政府報告書審査が行われたパレ・ウィルソンの議場(審査の休憩時間に撮影)

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100831.jpg そうやって、子どもたちが迷い、考え、身を削りながら、力を振り絞って臨んだプレゼンテーションなのですから、国連の委員の方々の胸を強く打たないわけがありません。

しかも、彼・彼女らのメッセージの核心は見事に一致していたのです。それは、「ひとりぼっちにしないで!」ということでした。

立場も、考え方も、体験も、何一つ一緒ではない8人。
すでに書いたように取り上げたエピソードだって、もちろん全部違います。ある子は両親に向けて、ある子は教師(学校)に向けて、またある子は人との関係性を奪う競争的な社会と制度を肯定しているあらゆるおとなに向けて、のメッセージだったのに、訴えたいことの中心はまったく同じだったのです。

※写真は政府報告書審査が行われたパレ・ウィルソンの玄関ホールから議場へ向かう通路

国連は子どもたちの声を受け止めた

子どもたちのメッセージを国連「子どもの権利委員会」は真摯に受け止めてくれました。

プレゼンテーションの後、ちょっと意地悪な質問をされた委員の方もいらっしゃいましたが、ほとんどの委員さんたちは「あなたたちの思いを共有させてくれてありがとう」、「あなたたちの思いを日本政府への最終所見に活かせるよう最大限の努力をしたい」と、口々に語り、子どもたちに握手を求めてきました。

子どもたちの中には、感極まって声を詰まらせる子や、こみ上げてくる涙を必死に押し殺しながら受け答えしている子もいました。

国連が「子どもとおとなとの関係の崩壊が原因」と指摘

こうした子どもたちのプレゼンテーション、そして私たちおとなのNGO報告書は、審査後に国連「子どもの権利委員会」が日本政府に向けて出す最終所見(日本の子ども施策や子どもの権利の状況について「ここは評価できる」とか「ここはもっと改善を」など、国連「子どもの権利委員会」が出す意見)に反映されました。

第3回目になる最終所見は、「驚くべき数の子どもが、情緒的・心理的充足感(well-being)を持てずにおり、その決定的要因が子どもと親および教師(おとな)との関係の貧困さにある」と述べ、学校や子どもに関する施設のみならず、最も安全な場でなければならないはずの家庭が崩壊してしまっていることを指摘したのです。

また、第1回目の審査から繰り返し指摘されてきていて、親(おとな)が子どもに期待をかけすぎたり、子どもの感情を無視した子育てをしたりする原因になっている「競争主義的な教育(学校)」の問題も、次のように指摘しました。

「子どもの数が減っている(少子化)にもかかわらず過度な競争への不満が増加し続けており、高度に競争主義的な学校環境が子ども間のいじめや精神障害、不登校や中退、自殺に関連している」。(続く…