また、2020年に施行された体罰禁止規定の後から、体罰容認から否定に転じた人たちに、その理由を尋ねたところ、「法律で体罰が禁止されたから」との回答者が2割弱いたというのも、驚きでした(体罰を容認する大人が約6割から約4割に減少――セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの調査結果)。

「法律で禁止されたから体罰は良くない」ということは、逆に言えば、法律で体罰を容認すれば「やってもいい」ということです。それは体罰や虐待が子どもにどんな影響を与えるのかとか、子どもを力で支配することのダメージなどについは、関心が無いということにはならないでしょうか。


「地毛証明書」に鳥肌

相変わらず日本では、「力で子どもをねじ伏せ、言うことを聞かせる」、「おとなの考えや感情や都合を押し付ける」ことが、まかり通っています。

それを如実に表しているのが、「都立高校の4割以上が黒髪直毛以外の生徒に対し、『地毛証明書』の提出を求めているという事実です(『朝日新聞』デジタル2021年2月26日)。

「地毛証明書」は髪の色が黒以外であったり、くせ毛であったりする生徒に、地毛であることを証明する届け出です。数年前、「地毛証明書」なるものの存在を知り、そのばかばかしさに笑ったことを覚えていますが、いまだ4割以上、つまり半数近い都立高校が行っていると聞き、ちょっと鳥肌が立ちました。

東京都教育委員会が公開した資料によると、小中学生時代の写真や医師による証明書の提出を求めたり、申請以後に一度でも髪を染めたりパーマをかけた場合は届け出を失効とするなどの高校もあるそうです。

独自性を認めない国

「事実誤認による指導を防ぐのが目的。提出は任意であることを保護者や生徒に説明するよう各学校に通知している」(都教育委員会)そうですが、そもそも「黒いストレートな髪がスタンダード」という発想そのものがナンセンスです。

一方では、「多様性のある生き方を推奨する」とか「違いを認めよう」と言いながら、日々の生活のなかでは「みんなと同じでなければいけない」と強要する。口先では「あなたはあなたのままでいい」などと言いながら、髪の色や髪質のような生まれながらの身体的な独自性も認めない。

日本は相変わらずそんな国なのだ、心の底からゾッとしました。

 子どもの人格形成にも有害です。
 アイデンティティをつくっていく時期に、こんなダブルスタンダードを突きつけられたら、子どもたちは混乱します。そして、「本音と建て前を使い分けることが大事」と学習し、「面従腹背で世の中を渡る」ことを覚えていきます。

突飛な頭髪も意見表明

金髪

 そもそも髪を染めたり、パーマをかけたり、目立つヘアスタイルにするのも、子どもの意見表明です。そうやって子どもは、「ねぇ、ねぇ、こっちに顔を向けてよ」と呼びかけています。

 子どもが気づいて欲しい思いつつ、心の中にしまっている思いは、「学校や先生への不満」かもしれません。「将来への不安」かもしれないですし、「両親が喧嘩ばかりで耐えられない」ということかもしれません。

いずれにせよ子どもたちは、自らは語れない、だけど聴いてほしい思いを「髪を染める」というたちで表現し、助けてくれる人間関係を求めているのです。地毛証明書は、そんな子どもたちの声を封じ、SOSを見えにくくし、周囲のおとなとの間につくろうとしている関係性を奪ってしまいます。

「愛する」とは「自由にする」こと

留守番

支配や管理によって子どもに言うことを聞かせようという風潮は、どんどん強まっているように思います。

 たとえば昨今、「子どもの安全」を理由に登下校にはおとなが付き添い、親が不在の放課後には送迎付きの習い事。「ひとりで留守番などとんでもない」と考える親が増えています。

 確かにそうやって子どもを監視し続ければ、「身の安全」は確保できるかもしれません。しかし、そうやって、ずーっとおとなの視線を浴び、道草をくうことも、ひとり自由に過ごす時間も、秘密をもつこともできないまま成長していくことが、「心の健康」を損ないはしないでしょうか。
 自分で自分の身を守る経験や、自分らしさを育てること、自ら何かをやってみようという意欲をそいでしまったりはしないでしょうか。
 支配し、管理することと、愛することは違います。「愛する」とは安心と自信を与え、子どもを自由にすること。そんなことを強く感じる、今日、この頃です。

イギリスのチャールズ国王の次男ヘンリー王子の自叙伝『Spare(原題)』が話題になっています。

『東京新聞』(23年1月7日)によると、ヘンリー王子は著書の中で、①結婚した翌年に自宅を訪問した兄が、王子の妻・メーガン妃を「不愉快だ」と言い、口論の末、自分を床にたたきつけたこと、②エリザベス女王死去の際には、父からメーガン妃を連れて来ないように言われたこと、など「家族の不和」を物語るエピソードを明かしています。

また、17歳でコカインを吸引したことや、陸軍時代にアフガニスタン戦争で敵の戦闘員25人を殺害したことなども告白しているそうです。


嫌悪感を覚えることも

個人的には、こうしたプライベートな話をセンセーショナルに取り上げること自体、あまり好きではありません。

日本の皇室報道でもよく感じていることですが、いくら公の人である(あった)としても、一人の人間です。そんな個人のプライベートな部分を根掘り葉掘り、尾ひれはひれを付けて騒ぐ心理が、私には理解できません。ときに嫌悪感さえ覚えます。

自叙伝の一貫したテーマ

しかし今回、あえて王子の自叙伝を取り上げたのは、そのタイトルが衝撃的だったからです。

このタイトルについて、『東京新聞』は「次男は、世継ぎの長男に何か会ったときのスペア(予備)」という古い言い伝えが由来だというガーディアン紙を引用しています。

ネット上では、以下のような突っ込んだ話も載っていました。

「自分が生まれた際、父のチャールズ国王(当時皇太子)が、母のダイアナ妃に『スペア』」を産んだことに感謝し、自分の仕事を終えたと述べた」として、「ウィリアム王子とヘンリー王子もこれに漏れず、『王位継承者とスペア(The heir and the spare)』と度々言及されてきた」

このネット記事によると、「スペア」であることへの恨みが自叙伝での一貫したテーマとなっているそうです。

話は少しそれますが、先進38カ国の子どもの幸福度を調査したユニセフ報告書「レポートカード16」(2020年9月発表)によると、日本の子どもの身体的幸福度は1位、精神的幸福度は37位でした。

つまり、「物質的には恵まれいても、心は満たされていない」ということです。
物に溢れ、飢えが無く、衛生的で、あらゆるものがそろった環境にいても、それだけでは人は幸せを感じないということです。

ヘンリー王子の生き様は、その事実を改めて、私たちに突きつけています。


ずっと傷ついてきた王子

イギリス王室に生まれ、何不自由の無い暮らしを送り、美しい妻に恵まれても、彼はちっとも幸せそうではありません。

10代の時にはコカインの力を借り、おとなになった今は恨みの暴露をしなければならないほどに傷ついています。

自分を「スペア」として扱ってきた(少なくとも本人がそう思っている)周囲への怒りと憎しみとらわれてずっと生きてきたのでしょう。

必要な確信

私たち人間が、「自分は幸せだ」と実感し、「この世は自分の味方である」と思いながら生きていくためには、「この世のたった一つの宝として、愛され、望まれて生まれてきた」という確信が必要です。

その確信さえあれば、さまざまな逆境を耐え抜き、人を信頼し、自分の人生を肯定的にとらえて生きていくことができます。

『Spare』が教えてくれていること

「あなたは決して替えの効かない、唯一無二の大切な存在である」

子どもはいつでもそう言ってくれる身近なおとなを求めています。

そうしたおとなに出会えなかったとき、その影響はおとなになっても続き、周囲がうらやむような生活を手に入れたとしても、本人を苦しめ続けるーー。その事実をヘンリー王子の『Spare』という自叙伝は私たちに教えてくれています。