国連傍聴ツアーに行ってきました!(4/6)
そして「周りにバカと言われる学校に通っている劣等感を持っていた」というDさんは、「このまま(劣等生)でいい」という思いと「競争に戻ってみんなに勝たなければ」という矛盾した思いを紛らわせようと「明るいバカというキャラを演じて友達と合わせてきたけれど、それが高じて自分がどんどん希薄になっていき、自分が分からなくなった」と言い、本当の自分を見せられない毎日について語りました。
また、「家庭の経済事情で進学の幅が狭められているにも関わらず、受験競争に失敗すれば人生はやり直しが利かなくなる」と発言したEさんは、「一人ひとりが持っているさまざまな疑問や不安(略)を先生や子どもたち同士で、安心して話し合い、考え、活動する環境が欲しいのです。(略)私が望んでいること、それはどんな子どもでも一個人として認めて欲しいということです」と述べました。
さらにFさんは「自由に議論しなさい」と言いながら、先生の望むこと、すなわちおとなの都合に合わせて行くことを学ぶ場でしかなかった学校での体験を語り、そんな日常の中で自分の意見を持つことが出来なくなってしまった同級生の中から「共感してくれる友達を探すのにとても時間がかかった。生徒会として動こうとすればするほど、学校にいい顔をする『いい子』と決めつけられた。自分の意見を持つほど、学校では孤立する」と言いました。
平坦でなかったプレゼンへの道のり
思い返してみれば、「国連でプレゼンする!」までの道のりは、ほんとうにデコボコでした。
「届ける会」の活動は「たんにプレゼン希望者を募り、話したいことを書いてもらってそれを英訳してジュネーブに行くだけ」と思われがちですが、実際はそんなキレイなものではありません。
2006年に「届ける会」が発足した当初、集まったメンバー達は「友達のこと」や「兄妹のこと」などを語っていました。
中には、子どもの貧困や平和活動などについて、まるで教科書から抜き出してきたような視点で話す子もいましたし、「いったい何をするための会か分からない」という疑問符を投げかける子もいました。
そんな、言ってしまえば「他人事」で話しをする彼・彼女らの様子。それは、まるで
「自分には何も問題はない。だけど世の中には大変な思いをして生きている子もいる。だから、それをどうにかしたい」
と言っているようにも見えました。
モヤモヤが少しずつかたちに
ところがどっこい。合宿や会議(というよりおしゃべり会?)を重ねるうちに子どもたちは「これば自分のいいたいことなのか?」「これが自分の本音なのか?」と、徐々に考え始めます。
何を言っても否定されない、安心して自分をさらけ出せる場所に顔を出すうちに、理性でふたをされ、「こんなことは取るに足らない」と思ってきた自分のなかのモヤモヤが少しずつかたちになっていったのです。(続く…)
※写真は日本政府報告書審査が行われたパレ・ウィルソンの議場(審査の休憩時間に撮影)