『子ども報告書』ができました!(4/7)

2019年5月29日

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そろそろ話題を「子ども報告書」に戻したいと思います。

・・・が、まずはここでおわびがひとつ。
諸事情あって、今回のブログから一部の掲載を削除させていただきました。それにともない、全体のタイトルも変更させていただきました。
ずっと続けてブログを読んでくださった方には、途中での変更となり、大変失礼いたしました。
お詫びしたいと思います。

寂しさで壊れそうな子どもたち

さて、本題です。
今までにないくらい、読んで切ない気持ちになった第三回『子ども報告書』。
「親子関係」について考えさせられる内容がぎっしりだった報告書に、共通していたのは「このままでは寂しくて壊れてしまう」という、悲鳴のようなメッセージでした。

これは過去2回の『子ども報告書』にはなかったことです。

過去の『子ども報告書』でも、生徒会活動に教師が口を出してくる問題、生徒の自尊心をずたずたにする教師の暴言や体罰のこと、理不尽な校則について、居場所になっていた夜間高校が統廃合を止めたいという訴え・・・いくつもの出来事が、ひとりひとりの体験からリアルにつづられていました。

そして「おとなの都合に合う子どもだけを受け入れるのではなく、たとえ“ダメな子”であっても、こっちに顔を向けて欲しい」というメッセージもありました。
でも、そこには「どうしておとなは分かってくれないんだ!」という憤りのようなものが感じられ、子どもたちが怒っている分だけ、希望も感じられたのです。

怒りは大切な感情

怒りは、とても大切な感情です。
自尊心が傷つけられたときにわきおこり、私たちに「自分が脅かされている」ことを教えてくれます。

そうした感情を感じることができればこそ、私たちは自分を守り、危険なものを遠ざけ、良くないものを良いものへと変えていくことができます。

怒りのエネルギーが、一歩間違えばとても破壊的なものになってしまうことも事実ですが、きちんと昇華させることができれば、大きな創造性につながります。
たとえば世界平和を歌うアーティスト、世の不条理を描く作家、自らの辛い過去を他の人の支援のために活かすサバイバーの方たちなどの仕事がこれに当たるでしょう。

怒りを感じられない報告書

身を守る機能を持つ怒り。その源泉をたどると、乳幼児の「他者を求める叫び」に行き着きます。
未熟なまま産まれてくる人間は、絶えず自分を気にかけ、寄り添い、そのニーズを満たしてくれる養育者(多くの場合は母親)がいなければ生き延びることはできません。

だから、養育者から離された乳幼児は、泣き叫んで養育者を呼びます。ひとりで、そこに置かれることは飢えて死ぬことを意味するから、必死になって自分のニーズを伝え、それを満たしてくれるよう訴えます。

そんな泣き叫ぶ乳幼児の心には、恐怖と悲しみをまとった「なぜ自分を放っておくんだ!」という怒りがあり、自分をおびやかすものから「解放して欲しい」と、養育者に求めています。

ところが、今回の『子ども報告書』からは「怒り」がほとんど感じられないのです。(続く…

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