前回紹介したような「先進国に生まれ育ちながら、努力しようとしなかったり、他人様に迷惑をかけるような人間は甘えている」という考え方を持つ人たちは、発展途上国の子どもも、もちろん先進国の子どもも、視野に入れてつくられた国連の条約である子どもの権利条約について、間違った解釈をすることがしばしばです。
たとえば、元国連人権小委員会委員でもある波多野里望氏は、「この条約は、そもそも発展途上国の子供の人権環境を改善することを主な目的」とし「子供の権利を突出させることを要求しているわけではない」(元国連人権小委員会委員・波多野里望氏)と解釈しています(引用)。
そして、いまだに保守系の議員の方は、これと同様のことをよく口にします。
今年は、ちょうど子どもの権利条約の国連採択20年、日本批准15年の節目に当たる年なのですが、まだまだ子どもの権利条約を正しく理解している人は少数です。何しろ、日本政府でさえ、つい多波野氏のような立場を取っていました。
あなたの身近に・・・
国連の条約を例に出して述べると「なにやら遠い話」のような気もしますが、ちょっと周囲を見回してください。
「私たちが子どもの頃は食べる物もなくて苦労したのに今の子は」
「昔は学校に行かせてもらえず、家の手伝いをするなんて当たり前だった」
「少子化で大事にされすぎてワガママになっている」
子どもを見て、こんなふうにつぶやく人はいないでしょうか?
アフリカで飢餓に苦しむ子どもや、児童買春の犠牲になる東南アジアの子どもには心を痛めるのに、日本の子どもには無頓着なおとながいないでしょうか?
「甘えている!」と平気で言えるおとなたち
たとえば、小さな頃からおとなの都合で引っ張り回され、ときには両親の母親役をし、外では「愛想の良い“いい子”」でいるよう強いられ、競争させられ、選別され、疲れ果てたり、無気力になっている目の前に子どもに対しては「甘えている!」と、平気で言えてしまうおとなに遭ったことはないでしょうか。
悲しいことですが、私はとてもたくさん、そういったおとなに遭いました。ちょっと街を歩いたり、電車に乗ったりするだけで、そんなおとなたちの会話が聞こえてきます。
そして、そんなおとなの価値観をすっかりすり込まれてしまった子どもにもいっぱい出会いました。
その多くは「こんな自分は恥ずかしい」と罪悪感を持っていたり、“おちこぼれ”の立場にいても「自分のせい」と諦めていました。(続く…)