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人格形成についても同様です。
第二次報告は、徳育や自然体験、職業体験を行うことで「命の尊さや自己・他者の理解、自己肯定感、働くことの意義、さらには社会の中で自分の役割を実感できるようになる」としていますが、本当にそうでしょうか?

確かに、自然体験や職業体験は、机にかじりついているよりも視野を広げ、見識を深めてくれることでしょう。「良いこと」と「悪いことを」を教えれば、善悪の区別はつくようになるでしょう。

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「ゆとり教育」の実態を見てみると、その中身は子ども自身が持って生まれた能力を伸ばすことができる本当の「ゆとり教育」にはなっていません。

2005年当時に取材した教育行政学の専門家は、「ゆとり教育」をこんなふうに分析していました。

「日本の『ゆとり教育』とは、公教育費削減を実現するため『少数に厚く、残りの人には最小限にする教育』のこと。でも、そんなふうに言えば国民は賛成しないから、『ゆとり教育』という名前を付けただけ。少数の人だけを優遇する教育制度にしたのだから、全体的な学力が低下するのは当然」

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image070626.jpg 授業内容の厳選(三割削減)も「ゆとり」には結びつきませんでした。
たとえ教科書が薄くなっても受験体制が変わらなければ、子どもに教えなければならない内容は減りません。
それなのに総合学習や学校5日制の導入で授業時間全体が少なくなったのですから、当然「ゆとり」ある授業などできようはずはありません。

その影響は低学年ほど顕著でした。
子どもは磁石で砂鉄を集めて遊んだり、ジュースの量を量ったりするなど、生活に密着した遊びを取り入れた授業の中で、理科や算数の基礎を身につけていきます。ところが、そうした「ゆとり」のある授業ができなくなってしまいました。

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「ゆとり教育」が奪った「ゆとり」

「ゆとり教育」の中身にも、疑問があります。再三やり玉にあがっている「ゆとり教育」とは、本当に「ゆとり」のあるものだったのでしょうか?

私が「ゆとり教育」について取材をしたのは05年のことですが、保護者や教員たちは口をそろえてこう言いました。

「『ゆとり教育』が始まった頃から、子どもも教師もまるでゆとりがなくなった」

取材をしていくうちに、その原因と思われることがいくつか浮かび上がってきました。

まず授業時間全体は減ったのに小学校3年生以上だと週3時間、中学生になると週2〜4時間の総合学習の時間が始まりました。
総合学習の内容も問題です。子どもが自分のペースで何かを調べたり、課題について研究したりできるような「ゆとり」のある総合学習を行っている学校はあまりありませんでした。

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まずは「学力向上」のための「ゆとり教育」見直しについて考えてみましょう。

今年4月の文部科学省発表では「ゆとり教育」世代の学力と勉強への意識は向上しているといいます。
その理由としては、「部活や行事を犠牲にした結果」や「受験を重視した授業が組まれた学校が多かった」など、さまざま言われています。

伊吹文明文部科学大臣は昨年11月の国会で「(子どもの権利条約に基づく国連「子どもの権利委員会」からの「過度に競争主義的な教育制度を見直すこと」などの)勧告を受け、学習指導要領を見直して『ゆとり教育』を導入した結果、学力が低下してしまった」という主旨の発言をしていますが、コトはそう単純ではないようです。

首相の肝いりで始まった教育再生会議が第二次報告をまとめました。
そこで重視されているのは「学力の向上」と「人格形成」。そのために「ゆとり教育」を見直し、徳育の勧め、大学・大学院の改革を提言しています。

教育再生会議と言えば、つい先月、若い親たちに対して子育ての指針を示した「親学」に関する緊急提言を出そうとして引っ込めたという経緯があります。その提言の内容に、世間だけでなく政府内部でも疑問の声が数多く上がったからです。

以下が「親学」として提言しようとしたポイントです(『毎日新聞』4月26日付)。

(1)子守歌を聞かせ、母乳で育児
(2)授乳中はテレビをつけない。5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せない
(3)早寝早起き朝ごはんの励行
(4)PTAに父親も参加。子どもと対話し教科書にも目を通す
(5)インターネットや携帯電話で有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」の実施
(6)企業は授乳休憩で母親を守る
(7)親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞
(8)乳幼児健診などに合わせて自治体が「親学」講座を実施
(9)遊び場確保に道路を一時開放
(10)幼児段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目を習得させる
(11)思春期からは自尊心が低下しないよう努める

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数字でも、10年かけた改革の成果が現れてきています。
学級崩壊や不登校は減少傾向。市が小中学校教師全員に行なった調査では、小学校で80.5%、中学校で60.7%の教師が「学習に対する興味や関心のある子が増えた」と答え、不登校の割合は全国の小学生が0.36%に対し、犬山は0.12%と三分の一の低さです。

さらに少人数の「学び合い」は、最近話題になっている小一問題(新1年生が「先生の話を聞けない」、「落ち着いて席に座っていられない」などで授業が成り立たない問題)への効果も期待できそうです。
昨年、初めて試験的に小学校1年生に少人数授業を導入した小学校の教師は言います。

「『先生といっぱい話せる』『先生が自分を見ていてくれる』と、思いの外、子どもたちが落ち着いたんです」

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中学生の子どもを持ち、小学校で本の読み聞かせボランティアをしている母親は、改革が始まってからの子どもたちの変化をこんなふうに語ります。

「学校を休む子が本当に減りました。うちの子なんて夏休みになると『あ〜あ、学校がないからつまらない』と言ったりするんです。読み聞かせをしていても、年々、子どもたちの集中力が上がっているように思います。こちらがびっくりするような鋭い質問をする子も増えました」

「まだちょっと難しいかな?」と思う本を取り上げても、子どもたちは食い入るようなまなざしで真剣に聞き、読み聞かせが終わった後は、盛んに質問するそうです。

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image070511.jpg 例えば犬山で合った中学三年生の知子さん(仮名)のクラスでは、班を決めるのは子どもたち自身。出来る子だけ・出来ない子だけで固まらないよう話し合うので、かなり時間をかけて悩みながら決めるそうです。

計算は早いけど、漢字は苦手な子もいます。勉強はイマイチだけれど、みんなの意見をまとめるのが上手な子もいます。お互いのことをよく知らなければ、班決めはできません。
「小学校の頃からみんなバンバン発言することに慣れているから」(知子さん)、議論が白熱することもしばしばだそう。

知子さんは、班学習の効用をこんなふうに話します。

「苦手だった子でも同じ班になると自分との共通点が見えて仲良くなれたりする。クラスで浮いていた子も、班で助け合ってやっていくうちにいつの間にか他の子に合わせられるようになって浮かなくなる」

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犬山で、まったくオリジナルの教育改革が始まったのは1997年。牽引役となったのは、その年に教育長に就任した瀬見井久さんでした。
「犬山の子は犬山で育てる」を合い言葉に、すべての子どもの人格形成と学力保障を実現するための改革を進めて来たのです。

瀬見井さんが目指した改革は極めてシンプル。

「私が子どもであったとして、また教師であったとして、『通いたい学校』を追い求めることで、学校を教師自らの手で内側から変えてゆく自己改革」(『全国学力テスト、参加しません。犬山市教育委員会の選択』/明石書店刊・19ページ)です。