戦争がなくても平和じゃない(7/11)
地震、そして津波からの避難。やっとたどり着いた避難先では、ホッとしたのもつかの間。水は瞬く間に建物の1階を飲み込み、大勢の人々が巻き込まれました。
それを目撃してしまった子もいます。押し寄せる濁流と共に、流れ込んで来た遺体に遭遇したという子もいます。水の難は逃れたものの、冷え切った体で低体温症を起こし、亡くなっていく方を見てしまった子もいます。
しかも停電です。灯りも食べ物も無い暗闇に降り積もる雪。体を寄せ合って暖を取る、親しい人の安否さえ分からない長い夜を子どもたちは過ごしました。
「もう3月だというのに、あの日は午後からものすごく冷え込んで、暗くなるのもものすごく早かった」と、現地の方々は口をそろえました。
率先して働く子ども
それなのに、子どもたちはパニックに陥ることも無く、泣き出すことも無く、とても落ち着いていたのだそうです。
いつもはなかなか言うことを聞かないやんちゃな子まで、きちんとおとなの指示に従い、少ない食べ物を欲しがろうともせず、差し出されるとみんなで分け合って、ただじーっとしていたのだそうです。
そしてライフラインが復旧しないまま避難生活が始まると、おとなよりもずっと率先して水くみをしたり、トイレ掃除をかって出たりしたそうです。また、そうやって、おとなの仕事を手伝う一方、子ども同士で元気に遊んだりもしていたそうです。
そんな子どもをどう見る?
そんな子どもたちの話を、みなさんはどんなふうに感じられたでしょうか。
かねてより「今の子どもたちは戦争も体験せず、経済的にも甘やかされてワガママになった」と発言してきた識者の方々ならば、「やっぱり自制心や道徳心を育てるには苦労が必要なのだ」と言うかもしれません。
「子どもはおとなほど深刻にはならない」と信じている人であれば、「そんな生活をしていても元気に遊び回れるのだから、子どもというのはすごいもんだ」と話すかもしれません。
「子どもは希望だ」とか「子どもはいつでも前向きだ」と考える人であれば、子どものパワーに感嘆するかもしれません。(続く…)