戦争がなくても平和じゃない(8/11)
私は、「アルコール依存症家庭で育つ子どもに似ている」と思いました。
災害という子どもにはあらがえない暴力。それがもたらす、先行きの不透明感や構造性の欠如、不測の事態、おとな(親)の無力感・・・そんな日々は、「マクロ」と「ミクロ」の話という違いはありますが、アルコール依存症の家庭をはじめとする機能不全家族の様子と重なります。
アルコール依存の家庭は、暴力、そして非一貫性と予測できない事態で満ちています。
アルコール依存症の家庭では
たとえば、昨日は優しく物静かだった父親が、翌日は朝から酒を飲み、理不尽な要求を突きつけてきたりします。
いつもかいがいしく家族の世話をしてくれている母が、飲んだとたん、その視界にまるで子どもが入らないかのように振る舞ったりします。
今日が平穏だったとしても、明日も同じ状態が続くかはまったく分かりません。ましてや1週間先、1ヶ月先などはとうてい予測することなどできません。
アルコール依存の家庭では、ついさっきまでの平安は、お酒によっていとも簡単に破壊されます。
辛さを語る場のない子ども
子どもはその辛さを語る場を持ちません。
多くの場合、おとな(親)は家庭の問題が世間に知られることを嫌がり、隠そうとします。アルコール依存でない方の親(多くの場合は母親)は、依存症であるパートナーの言動が何よりの関心ごとになっており、変わらない日々の中で無力感に苛まれています。
そんないっぱいいっぱいの母親の状態が痛いほど分かる子どもは、「母親には自分(子ども)を抱え、安心できる生活を提供する余裕などあるはずがない」と、先回りして理解します。
「ここに私(自分)という重荷まで加わったら、大好きな母親が壊れてしまうかもしれない」という恐怖におびえ、「大好きなお母さんにこれ以上の苦労はかけたくない」と、自分の思いを出さないようにしていきます。(続く…)