戦争がなくても平和じゃない(5/11)
また、農産物の放射線量を測りもしないで県産のものを給食に出す郡山市教育委員会に対しても、多くの保護者が不信感を抱くのは当然のように感じました。
今、郡山市のほとんどの子どもは給食で出された県産牛乳を拒否しており、弁当を持参している子も多いと言います。
親たちの不信感と失望、そして罪悪感
「何が安全で何が危険か分からない」、「将来、影響が出たらどうやって保障してくれるのだろうか」、「『原発は安全』と言い続け、リスク管理もしてこなかったうえに、大事な情報も“後出し”してくるような国(行政)を信じていいのか」・・・放射線量の高い地域で子育てをしている親たちは、そんな不信と裏切られた失望の中にいました。
そして、結果的に安全神話に乗っかるかたちとなり、子どもに大きなリスクを負わせてしまった親の罪悪感が、住み慣れた土地や学校を離れ、家族バラバラになってまで、「子どもたちの集団疎開を!」という声に結びつき、当事者である子どもたちを不安に駆り立てているように感じました。
「何歳まで生きられますか?」と問う子ども
8月17日には東京・永田町の衆議院議員第一会館で、福島県内に住む小中学生が政府の原子力災害対策本部や文部科学省の担当者らに、直接、次のように訴えかけました。
「私はふつうの子どもを産めますか? 何歳まで生きられますか?」(『朝日新聞』8月18日)
子どもたちにこんなセリフを言わせてしまう日本という国を、本当に「平和な国」と呼んでもいいのでしょうか。「戦争がないから平和なのだ」と、言ってしまっていいのでしょうか。(続く…)