「子どもに権利なんか与えたらワガママになるだけ」
「子どもはおとなに従っていればいいんだ」
「何もできない半人前の分際で生意気を言うな!」

最近、そんな声があちこちから聞こえます。子どもの権利条約など風前の灯火です。

私は、この世でもっとも罪深いことのひとつに「親が子どもの人生を自分のもののように支配すること」が挙げられると思っていますが、そうした考えを後押しする社会文化的な構造が、日本を席巻しているように思えてなりません。

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杉並区の住民や教師たちに話を聞くと、「立場を悪くするので表だった発言は控えたい」と言う人々から驚くような“オフレコ”の話が飛び出します。
マスコミや教育行政も絶賛する「夜スペシャル」についても、何人もの人から次のような話を聞きました。

「最初の募集では『夜スペ』希望者はゼロ。何度か募集をかけ、部活の顧問の口利きである特定の部活の子どもに声をかけ、どうにか人数を確保したが、そのうち成績の振るわない三名に申し込み取り下げさせた」

「和田中の多くの教師は『夜スペ』に反対している。藤原氏は職員会議で一方的に意見を述べ、何でも独断。反論しても言い負かされるから教師は疲弊し、『早く異動したい』と言う教師が多い」

また、不登校の子どもへの対応については、

「和田中は他の学校よりも不登校の子を適応教室に送る時期が早い。中には入学後すぐのケースもある」

など、学力向上に貢献できないこどもを切り捨てているのではないかと思わせる話も耳にしました。

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「東京での公立校との連携を地方進出の足がかりにしたい」(SAPIX中学部・高等部の高橋光代表・『AERA』2008年1月28日号)
塾にとって、設備投資が抑えられる公立校との提携は願ってもいない話です。

しかも、今回の和田中のように、話題性のある学校と組めばほうっておいてもマスコミが取り上げてくれます。連日の報道を見て、「初めてSAPIXの名を知った」人も少なくないはずです。

夜間塾は「公平」な教育機会の提供?

和田中の前校長は「教師の負担が多きすぎるから外部の力を呼び込む」と、新聞等で発言しています。
また、公立校が塾と提携することへの批判に対しては、和田中PTA広報と一緒につくっているホームページ上で以下のように述べています。

「子どもに100万円単位のお金をかけられない家庭では上位の高校にチャレンジすらできなかったが、和田中では月に一万円出せば上位校を受験するチカラがつく。これこそ、完全ではないが『公平』な教育機会の提供だ」

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今年1月26日にスタートした「夜スペシャル」は、「公立の学校が塾の力を借りて受験対策をする」というものです。

授業は国語と数学が週に3日。放課後、夜6時半から塾講師と一緒に夕食を食べた後に始まり、10時には教室を出られるようにします。希望すれば土曜日の午前中には「オプション英語」も付けられます。
月謝は週3日で1万8000円、週4日で2万4000円と、「授業を担う塾での同じ内容の授業の半額」を売りにしています。

対象は受験を控えた中学2年生で、受講生は20名弱。杉並区立和田中学校(和田中)校長の「学校の授業についていけない生徒にはむしろ負担になる。無理に参加しないで」(『朝日新聞』12月9日)、「意欲や力のある『ふきこぼれ』の生徒に対応する」(『東京新聞』12月11日)などという発言から、成績の良い子ども向けと分かります。

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実はつい先日、「他者は自己の成功への妨害物として、他者への敵意を植え付けられた子ども」の影響を垣間見ることがありました。
東京都杉並区でのことです。

今、杉並区では小学校の“荒れ”が問題になっています。
授業妨害をするくらいは当たり前。下級生に鉄棒を突きつけて脅したり、街頭で消化器をばらまいたり、休日に校舎に入ってスプレーで落書きしたり、ドアを蹴り倒してガラスを粉々にしたりという事件も起きているそうです。

ところが、こうした事件はなかなか表面化しません。
日ごろは問題を起こしていても、保護者や見学者の前では“いい子”を演じられる子が多いためです。
日常の音楽の授業は成り立たないのに、合唱コンクールなどでは見事にピアノやウ゛ァイオリン弾きこなしたりするのだそうです。

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実は、人間が持つさまざまな能力を伸ばすには、競争よりも「みんなで伸びる」ことを目指す犬山のような教育の方がはるかに効果的です。

協同教育を研究している中京大学の杉江修治教授(教育心理学)は『全国学力テスト、参加しません。—犬山市教育委員会の選択』(明石書店)で、こう書いています。

「最近の教育改革では、教育に競争原理を導入しようという議論が多いのですが、競争が効果的だという話はそのほとんどが神話(根拠のない空論)に過ぎず、協同が一貫して有効なのだということが実証研究では明らかになっているのです。(略)競争と協同とを比較すると、学習でも作業でも、ほぼ一貫して協同のほうが効果的なのです。競争は勝つ見込みのある一部の人しか意欲づけることはありません。また、自らの成長より人に勝つことのほうが目的になってしまいます」(90頁)

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「学び合い」の授業

どの授業風景もとても印象に残るものでしたが、とくに印象深かったのは小学二年生でやっていた算数のグループ学習(三〜四人)です。

学習障害と思われる友達に一生懸命教えている仲間の姿があったのです。最初から答えを言うのではなく、相手に考える時間を与えながら、根気よく友達が答えにたどり着くのを待っていました。
休み時間になっても、学習障害の子が理解して、答えを出すまで付き合っていたのです。

そして、その学習障害の子が、机から物を落としそうになったとき、ひとりの見学者が落ちないよう手を添えると、同じグループの子どもが「ありがとうございます」と、代わってお礼を言ったのです。

その様子を見ていて「ああ、これが犬山の『学び合い』の授業なんだ」と、つくづく思いました。

一月末、愛知県犬山市に行ってきました。犬山市立楽田小学校の公開授業を参観させていただいたのです。

犬山市は以前にもこのブログで紹介した「子どもの権利条約が生きた町」です。

この2月には、今年度に引き続き来年度の「全国学力テスト」(全国学力・学習状況調査)への不参加も決めました。同市の市長をはじめ、市民の間には「犬山だけが参加しないのはいかがなものか」との声もありますが、このテストの問題性を重視し、不参加としたのです。

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image080205.jpg ところで、愛馬と乗馬クラブの犬は大の仲良しでした。
たとえば寒い冬の夜、愛馬は自分の夜食である干草を、暖を取るために犬小屋に貸してあげていました。そして犬は、朝、愛馬がお腹を空かした時間になるとちゃんと干草を返してくれていました。

過去何度か、愛馬が倒れたときも、真っ先に気づいて大騒ぎするのはその犬で、状態の悪いときは、乗馬クラブのスタッフと一緒に、寝ずに看病してくれました。スタッフたちは、犬の様子から愛馬の病状が深刻なものかどうか判断していたほどです。

最期の日も、犬は、愛馬が倒れた際にすりむいた傷をきれいになめてくれました。そしてもう動かなくなった愛馬の馬着をひっぱり、耳元で吠え、どうにか起こそうと必死になっていました。

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image080213.jpg 私がセラピーに興味を持ち、心理を学び、子どもや家族問題にかかわるようになったのも愛馬のことがきっかけでした。

故障した愛馬の預け先を探す中で、ハンディキャップを負った子どもを対象にしたホースセラピーを知ったのです。
・・・とは言え、最初は「もっと日本にホースセラピーが定着すれば、行き場のない馬たちの受け入れ先が増えるのでは?」と思っただけ。

でも、馬と接することで変わっていく子どもたち、何より子どもたちが秘めたパワーに驚かされ、その可能性に惹きつけられました。そして、あらゆる人間が生来持って生まれてくるこうしたさまざまな能力の“芽”をつみ取ってしまうものは何なのかと考えるようになり、自分の子ども時代についても考える機会を得ました。

心理学を学ぶことを勧めてくれたのも、ホースセラピーを通して知ったある研究者の方でした。
それから大学院に入り、心理を学ぶまでには、さらに5年もの月日がかかりましたが、私の中で、心理学への興味が沸き、さらには「子どもと家族の問題に取り組む」という、今後、自分がかかわるべき方向性を見つけることができました。