絶望と自殺(3/6)
秋葉原の事件が起きた6月8日は、7年前に大阪教育大学附属池田小事件に乱入した男に、小学生8人が無差別に殺されるという事件が起きた日でした。
それが単なる偶然だったのかどうか。今の時点では分かりませんが、秋葉原事件の容疑者の書き込みには、
「犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居る気がする」(06/05 11:51)
「ちょっとしたきっかけで犯罪者になったり、犯罪を思いとどまったりやっぱり人って大事だと思う」(06/05 12:02)
「人と関わりすぎると怨恨で殺すし、孤独だと無差別に殺すし難しいね」 (06/05 12:04)
「誰でもよかった」 なんかわかる気がする (06/05 12:05 )
などと書かれています。
少なくとも容疑者が、無差別殺人を行う人間に共感を寄せていたことは事実でしょう。自分が殺人者になってしまうのではないかという恐れを抱きながら、ぎりぎりのところで踏みとどまっていたことも分かります。
気になるのは「やっぱり人って大事だと思う」という一文です。
言葉が足りないので、真意のほどが定かではありませんが、自分が殺人者になってしまうことを止めてくれるような人、自分のことを「特別」だと思い、気にかけてくれるような人を求めていたように思います。
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「だれかとつながりたい」
人との接触を求める言葉は、書き込みのあちこちに顔を出します。
「彼女が欲しい」というたぐいの文だけでなく、たとえば犯行に使う凶器を買った後、
「店員さん、いい人だった」(06/06 14:39)
人間と話すのって、いいね (06/06 14:42)
タクシーのおっちゃんともお話した(06/06 14:43)
などと書き、事件当日には、「ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれた奴らがいる」とも書いています。
「自分はダメなやつだ」「こんな自分を受け入れてくれる人間などいやしない」と否定しながらも、「だれかとつながりたい」という欲求が伝わってきます。
宅間死刑囚との類似点
ところで、大阪教育大学附属池田小事件で死刑になった宅間守死刑囚も、孤独の果てに絶望し、社会への恨みに押しつぶされ、犯行に及んだ人間でした。
そんな宅間死刑囚は、小学生を襲った犯行動機について次のように供述しています。
「恵まれた子どもも、自分みたいな将来の展望のないアホに、たった数秒でいつ殺されるか分からないという『不条理さ』を世の中に分からせたかった」(「誰も書けない宅間守の秘密」『新潮45』2003年9月号)
彼もまた、競争社会の中で自分が“負け組”だと思わされ、それまでの人生・・・おそらく親子関係の中で、自分に価値があるという確信を持たせてもらえなかった人間だったのでしょう。(続く…)