不誠実な政府(1/3)

2019年5月29日

「子どもに権利なんか与えたらワガママになるだけ」
「子どもはおとなに従っていればいいんだ」
「何もできない半人前の分際で生意気を言うな!」

最近、そんな声があちこちから聞こえます。子どもの権利条約など風前の灯火です。

私は、この世でもっとも罪深いことのひとつに「親が子どもの人生を自分のもののように支配すること」が挙げられると思っていますが、そうした考えを後押しする社会文化的な構造が、日本を席巻しているように思えてなりません。

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日本政府が政府報告書を提出

ちょっとかたい話になりますが、4月22日に政府(外務省)が日本の子ども状況に関する第三回目の政府報告書を2年遅れで国連「子どもの権利委員会」に提出しました。

提出期限から大幅に遅れたことはさておき、今までの経過の中に「子どもはおとなの付属物」のように考える人々の姿がちらつくのです。

今回の政府報告書提出について大きな特徴は、ともに子どもの権利条約を広める活動をしてきた「第三回 子どもの権利条約 市民・NGO報告書をつくる会」ほかの(NGO)にいっさいの情報提供がなく、話し合う余地もなかったということです。

第二回目の政府報告書審査に基づき、国連から、日本政府への意見や勧告が出された2004年以来、NGO側は第三回目の政府報告書の提出スケジュールや、報告書に盛り込む内容についての意見交換会を持ちたいとたびたび申し入れしてきました。

しかし、4月の半ばになっても外務省は「提出時期は未定」を繰り返すばかり。あろうことか、5月に入ってから提出に関する懇談会をNGO側と持つ約束をしていました。振り返ってみれば、このときすでに報告書はできあがっていたのです。

ブログを読んでいる方には、「それってそんなに大騒ぎすることなの?」と不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、少し説明をしたいと思います。

政府の責務

日本のように「子どもの権利条約を守る」ことを決めた国の政府は、科学的、歴史的、世界的事実に基づき、子どもの成長発達を促すために定められた子どもの権利条約を生かし、それぞれの国の子ども状況を良くしていく努力をしなければなりません。
その一環として政府は5年ごとに、子どもの権利条約から見てどんな施策や政策がなされたか、もしくはなされなかったのか。また、子どもや子どもをめぐる環境がどんなふうになっており、どのような改善策を取ったのかなどを国連に報告する義務を負っています。

そして、できるだけ正確な状況を報告するため、条約は政府に対し、市民やNGOと協力することを求めています。福祉や保育、教育や親の動労環境など、それぞれの分野に詳しいNGOメンバーの意見は、政府には分からない事実を含んでいるからです。

過去二回の政府報告書提出に際しては、事前に、その内容に何をどう盛り込むかについて政府とNGOは話し合いを持ってきました。その結果が政府報告書にどの程度、反映されたかどうかは別にして、少なくとも政府側に「一般の人たちの意見も聞こう」という姿勢はありました。

政府とNGOの関係の質が低下

ところが三回目になる今回は、そうした話し合いの機会は用意されませんでした。さらに、前回までのように提出時期の見通しについての情報提供もまったくありませんでした。

1994年に日本が子どもの権利条約を批准してから、少しずつですが政府とNGOの関係は良くなっていました。年に数回の懇談会を持ち、NGOは率直な意見や疑問をぶつけるということもできるようになっていました。
ところが、ここ数年、政府とNGOとの関係の質は、明らかに低下しています。(続く…

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Posted by 木附千晶