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image_081105.jpg 商店街の店同士のご近所づきあいも盛んになりました。
「ミーちゃん見た?」を合い言葉に、ミーちゃんの話題を通して、さまざまな会話が繰り広げられるようになったのです。

通行人の方々を始め、あちこちからキャットフードが美容院に届くようになったことも、ご近所づきあいを促しました。
あまりにも大量のキャットフードが届くので、美容院の人はミーちゃんにご飯をあげている他の店にも配りました。

すると、今度は配ったお店の人が「ミーちゃんファンのお客さんが置いて行ったから」と果物を届けてくれたり、「市場で安売りしてたから」と、いろいろな物を分けてくれたりするようになりました。
また、ミーちゃんの避妊手術をした金物屋さんは、旅行のお土産やケーキを持って美容院に遊びに来るようになり、ミーちゃんを発見した女性は時間があると美容院に立ち寄るようになりました。

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地域総動員でミーちゃんの捜索を開始してから約一月半がたった頃です。あるひとりの女性が美容院を訪れました。
近所の猫好きの方から
「最近、お宅にご飯をもらいに来る猫のポスターを駅前あたりで見た気がする」
と聞き、気にしながら習い事に向かう途中、ポスターが目に留まったとか。

「ここ1〜2ヶ月くらい家にご飯を食べに来ている猫だと思います。人なつっこい猫だし、首輪もしていたので気になっていました」

そう話す女性に
「今度、ご飯を食べに来たら、ミーちゃんを捕まえておいてください」
とお願いし、その夜、数人で引き取りに行きました。

しばらくぶりに会ったミーちゃんは、少し痩せたようでした。一回り小さくなって、体も汚れ、怖い目に遭ったのかちょっとオドオドしていました。連れて帰る途中の車の中で、何度も不安げに「ナ〜」と、かぼそい声で鳴きながら、窓の外を見ていました。

心配していた商店街の人たちのお店にミーちゃんを連れて報告に行くと、みんな商売そっちのけで外に出てきました。涙を浮かべながら、「どこにいたの?」「よく戻って来たね」と、代わる代わる声をかけます。まだよく事情が飲み込めないらしいミーちゃんはキョトンとしたまま、みんなの腕に抱かれていました。

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毎日、出勤前と帰宅時にご飯をあげていたOLさん姉妹は、土日になると自転車を飛ばして近所を探して歩きました。日々の寝床を提供していた美容院の人たちは空き家やビルの隙間を捜索。
いつも美容院に来ていたあるお客さんは、「遠くで見かけたこともあるから」と、半径1キロ以内を探して歩きました。
美容院の経営者は、「遠くに連れて行かれたかもしれないから・・・」と、休みの日に車で、野良猫が多いと評判の公園や河川敷なども見に行きました。

割烹屋さんの板前さんが「隣駅のスーパーの駐車場で似た猫を見た」との情報が入り、一縷の望みをかけて私も探しに行きました。

それ以外にも相変わらず大勢の人が、美容院のドアを開けては「ミーちゃん、見つかった?」と声をかけて行きました。

いつもミーちゃんと会うことが楽しみで母親と一緒に美容院に来ていたという幼稚園の子は、

「だれかに連れて行かれちゃったのかな? 猫は意地悪すると化けて出るっていうから、そういうことした人は怖い目に遭うよ」

と泣いていたとか。

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捜索開始

隣の飲み屋さんや、道を挟んだ隣の八百屋さん、向かいの割烹料理屋さんや数件先の居酒屋さんなどと声をかけあい、それぞれの店に来るお客さんにも聞いてみたりしながら、ミーちゃん探しが始まりました。

まずは自治体の動物保護しているセンター(昔でいう保健所)や、警察などに連絡。ミーちゃんらしき猫が保護されていないか確認しました。次に迷子のポスターをつくることにしました。実は私も、このポスターづくりを手伝いました。

ところが、困ったことに肝心のミーちゃんの写真がありません。みんな「前の携帯電話に保存していた」とか「昔のパソコンに取り込んでいた」などと言い、今は持っていないというのです。

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image_080926.jpg その猫は、駅前の商店街で暮らしている三毛猫(女の子)。
商店街の人々や通行人がご飯をあげ、雨宿りの場所を提供し、避妊をし、かれこれ10数年、そこで暮らしています。いわゆる「地域猫」です。

駅前開発や店主の引退などでかわいがってくれていた人が去っても、また別にかわいがってくれる人を見つけては、地域猫としてたくましく生きてきました。
だれが付けた名前か分かりませんが、みんな「ミーちゃん」と呼んでいます。

人間で言えば、おそらくもう70歳くらい。かつて交通事故に遭ったため、左前足が内側に曲がっています。
でも、まだまだ元気。ものすごい早さで駐車場を走ったり、フェンス越えもなんのそので自由に動き回っています。食欲も旺盛で、いつも通る人に向かって「ごは〜ん、ごは〜ん」と鳴いています。

最近、「地域が崩壊した」と言われることが多くなりました。
ただ、個人的には「崩壊させられた」という感が強くあります。

たとえば、学校を中心とした地域社会の崩壊について考えてみましょう。

その原因のひとつには、学校選択制や学校統廃合などが進んだことがあります。住んでいる場所から遠いところに通う子どもが増えれば、当然、保護者同士のつながりが薄れます。教師には家庭訪問しにくくなり、通学中の子どもが地域の人から声をかけられることも減ります。教師は、校外で子どもたちが何をしているのか分からなくなります。

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私たちの社会は、「親は子どもを愛するもの」という幻想を抱いています。
もし、そこに疑いを抱いてしまったら最後。多くの人が「自分の親も無償の愛を注いでくれた人ではなかった」という現実に直面しなければならなくなってしまうからです。

多くの人が自らの感情にはふたをして「いろいろ辛いこともあったけれど、親は自分のことを思ってくれていたんだ」と、自らを納得させます。そうして、かつて親が自分にした残酷な仕打ちは「なかったこと」あるいは「ありがたいもの」にして、親と同じように子どもに接します。

だから、子どもが親や社会への反抗とも取れる事件を起こしたりすると、

「親は出来る範囲で、その親なりに子どもを愛してきていたのに、愛を感じられない子どもの方にこそ問題がある」

と、子どもを責めます。

心理の専門家のなかにも、事件を起こした少年たちに対して「(親に)愛があるのに、子どもに届いていない」などと言う人もいます。

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子どもにとって、親は神に等しい絶対的な存在です。

人間の赤ちゃんは「生理的早産」とも呼ばれるほど、とても未熟な状態で産まれてきます。
たとえば人間以外のほ乳類の赤ちゃんの多くは、産まれた直後から自分の足で立つことができます。
そして、生後1年もたてば、自らの空腹を満たす術も身につけます。

ところが人間の赤ちゃんはそうではありません。産まれた直後に立つなんてもってのほか。食事も排泄も、外界から身を守ることも何一つ、自分一人ではできません。生きていくために不可欠なことのすべてをだれかに頼らなければ1日たりとも生きてはいけないのです。

しかも、今、何をして欲しいのか、何を必要としているのか、自分がどんな状態なのか・・・それらを伝えるための手段は「泣く」ということだけです。
赤ちゃんは、その泣き声から、自らが必要としていることをくみ取り、かなえてくれるだれかに頼らなければ生き延びることはできません。

さらに成長し、立てるようになってからも、自らの力で生きていくための能力を手に入れるまでには、10年以上もの長い年月がかかります。その間、子どもの毎日、人生、未来はすべて親(養育者)に握られています。

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「人の顔色を見て、人に合わせて、嫌われないように生きていくのに疲れ、耐えられなかった。すべてを終わりにしたかった」

『東京新聞』(8月8日付け:埼玉版)に載っていた先月19日に父親を殺害した埼玉県川口市の中学生の供述です。

新聞には「『人からどう見られるかが、とても気になる』と自己分析する性格で、『勉強は好きでなかったが、両親によく思われたかった』と小学校時代から塾に通い、中学受験してさいたま市の中高一貫校に進んだ。入学後も友人や両親の目が気になった」とも書かれていました。

自殺も考えたそうですが「家族が周りから自殺した子の親や弟と言われる」と、人の目を気にして思いとどまり、家族全員を殺害することにしたそうです。

そのように結論を出しても何度も決行を思いとどまった中学生が犯行に及んだ理由は、事件当日に保護者会が予定されていたためでした。新聞には「期末試験の成績が分かり、怒られると、自分も両親も嫌な気持ちを持って死ぬことになる」と書かれています。

家族については「今でも『家族のことは好き』と話している」とのことです。

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image_080812.jpg 私がよく知っている大学生にこんな女の子(A子さん)がいます。

A子さんは、大企業に勤める父と教師の母、妹の四人で暮らしていました。母は教育熱心、ボランティア活動などにも精を出す人で、親戚には大学教授など社会的に高い地位にいる人物も多い家系。端から見ると理想の家族で、おそらくA子さんの両親もそう思っていたことでしょう。

ところが15歳のとき、A子さんは「ここにいたら死んでしまう」と、家を出て知人宅へ転がり込みました。
そのときの心境を次のように語っています。

「暴力を振るわれたり、ご飯をもらえないなんてことはなかったけど、ずっと『自分は受け入れられていない』と感じながら生きてきていました。親から温もりとか安心感を受け取ったことがないんです。家にいてもいつも自分をつくって、親に気に入られるよう振る舞っていました。話をするときも親が一方的に、自分の言いたいことを話すだけ。私の言い分を聞こうともしませんでした」