本音とたてまえ、オモテとウラ(1/7)

2019年5月29日

耳ざわりのいい言葉やフレーズを聞くと、ついつい「それってほんと?」と、真意を疑ってしまう自分がいます。
ひねくれ者であるうえに、経験上、本音と建て前がかけ離れたものほど、きれいなオブラートに包まれていることが多かった気持ちがするからです。

最近、私が気になるのは地域のさまざまなサービス。地方負担が増える中で、サービスが低下するに連れて、そのネーミングはどんどんフレンドリーな雰囲気になっています。
たとえば説教ばかりする「さわやか相談員」、まったく相談に乗ってくれない「くらし応援室」、動物を処分する「動物ふれあいセンター」、子どもを縛る「子ども生き生きプラン」などなど・・・。

みなさんもお心あたりはありませんか?

うさんくさい「絆」

鳩山首相が大好きだという「絆」という言葉もそうです(谷垣氏のパクリ? 今年の漢字で鳩山首相はなぜか「絆」)。
もともとは人と人とのつながりを差す、とても良い言葉であることは分かっているのですが、最近の使われ方がどうも気になります。

民主党の子ども施策の目玉である「子ども手当」が、今まで子どもの居場所(人間関係)を保障してきた保育や教育などの予算を取り上げ、各家庭がそのお財布状況に合わせて消費活動をするようばらまかれるものであるという事実が象徴するように、民主党はけして「絆」を大事にする政党ではありません。

事業仕分けは、今まで「人と人とのつながり」を前提に行われたきた福祉や教育といった分野の事業までを、企業に丸投げし、その儲けの対象とすることになんら躊躇しない政党であることを明らかにしました(事業仕分け 「民業圧迫」と予算減)。

それなのに「友愛」だの「絆」だのという言葉を使う首相。
そのウラにはまったく違う真意、もしくは言葉の解釈があるように思えてしまうのは、うがった見方なのでしょうか?

「ゆとり教育」見直し

そんな私が、今年度になって、かなりげっそりした気分にされられたオモテとウラを感じる言葉のひとつが「ゆとり教育」です。

昨今、「ゆとり教育」は、「見直し」や「路線変更」というフレーズと言葉とセットで使われることが多いのですが、過去を振り返ってその中身や導入の経緯をきちんと検証することもなく、ただただページが増えた教科書と、それが学校現場に与える影響について、表面的な議論ばかりが飛び交っています。

そして中には「教科書が厚くなったのだから、子どもの学力は上がる」という、びっくりするような楽観論まであったりします。(続く…

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Posted by 木附千晶