静かなる反乱(6/8)

2019年5月29日

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おかげですっかり、私たちの精神には「他人様のお世話になるのは恥ずかしいこと」という考えが染みこんでいます。
そして、「世間様に後ろ指を指されない人間でなければならない」という思いに縛られています。

自分の意見があっても飲み込んで、多数に合わせて、多数に迷惑をかけないように振る舞うことが「おとなの態度」と言われてしまったりもします。その多数の言っていることが、どんなに理不尽で、どんなにおかしかったとしても・・・。

日本の学校教育は、まさにこうした「多数(社会)に逆らわず、耐える人間」を育てることにずっと貢献してきました。
たとえばランドセル、制服、学習指導要領に校則などがその道具に使われてきました。子どもは「なぜ従わないといけないのか」も分からないまま、合理的な理由もないのに、これらを黙って身につけ、従うしかありません。

支配と忍耐

そんな学校教育をよく現した歌のひとつに、アーティスト・尾崎豊の「卒業」(1985年)があります。尾崎はこう歌います。

人は誰も縛られた かよわき子羊ならば 先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向かうべきなのか これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分に たどりつけるだろう
仕組まれた自由に 誰も気づかずに あがいた日々も終わる
この支配からの 卒業 戦いからの 卒業

尾崎の「卒業」は、2003年の男子高校生による国連「子どもの権利委員会」への報告書とも重なります。

(略)忍耐忍耐忍耐! 先生たちも人がくずのように扱われていても風波立てぬように自分たちが無であるように忍耐忍耐忍耐! 先生の言うことにすることに疑問を持つなんてとんでもない。(略)“はい謹慎”“はい退学”、問題の本質を考えることなく、たくさんの仲間がやめていった。やめされられていった。くずのように扱われて、世の中こんなもんだとあきらめさせられて。

ソフトな手法で行われる支配

しかも質の悪いことに、この支配は本人さえ「暴力」とは気づかないほど、ソフトな手法で行われことが多々あります。
1997年に国連「子どもの権利委員会」でプレゼンテーションした女子高校生はこう言っています。

私たち子どもは、「子どもだから」と話合う場を用意されず、学校では意見を言うように教えられていても言う場を与えられず、もし意見を言っても聞いてもらえません。また、意見を言わなくても、それなりに生きていける物質的には裕福な社会にいます。
逆に意見を言ったために周りから白い目で見られ、孤立させられてしまうなど、時には思いもよらぬ不当な扱いを受けます。
そうしているうちに多くの子どもたちは、意見を言うのを恐れ、また言っても何も変わらない現状に疲れ、自分の意見を主張するのをやめていきます。

増殖するソフトな支配

こうしたソフトな支配は、格差社会が進む中で家庭をはじめ、あらゆる場所で増殖しています。負け組に入るしかなかった人たちの反乱を抑え、自らの不遇を「自己責任」として抱え込ませるためです。

「ルールを守ろう」「マナーを大切に」「迷惑行為は止めよう」・・・そんなだれも反論できないような柔らかな言葉を使って、街中に規範と規律がまき散らかされています。(続く…

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Posted by 木附千晶