静かなる反乱(3/8)

2019年5月29日

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私もごく身近で、そんな日本社会の残酷さを実感することがありました。つい数日前のことです。

夜8時過ぎ、ふいに家中の電器が消え、真っ暗な静寂がおとずれました。一瞬「ブレーカーが落ちたのかな?」とも思いましたが、とくに電力消費量の多い器具を点けたわけでもありません。

慌てて懐中電灯を探し、外に出て、他のお宅の様子も見てみようとしたところ、フッと部屋中の電気が点り、あちこちから「ブーン」という家電製品の放つ低い音が聞こえてきました。ほんのつかの間の停電でした。

外に出ると、いつもの風景。どの家からも灯りが漏れています。まるで何事もなかったかのようです。

唯一、停電があったことを確認できるサインと言えば、裏の公園の電灯が消え、公園が闇に包まれていたことでした。

鉄塔に登り、感電死

「なんだったんだろう?」といぶかしく思いつつも、眠りにつく頃にはもうすっかり忘れていた停電。その理由を知ったのは、翌日の新聞でした。

新聞には、気を付けて見なければ見落としてしまうほど、小さな小さな停電の記事が載っていました。

時刻、影響を受けた地域を見ると、おそらく間違いはありません。記事を読むと、「36歳の無職男性が鉄塔に登り、感電死。自殺を図ったと見られる。その影響で●●地域が停電となった」と書かれていました。

まだ30代。その若さで、感電死しようと鉄塔に登ったこの男性の人生とはどんなものだったのかとしばらく考え込んでしまいました。

おそらく、子どもの頃にはいろいろな夢もあったことでしょう。20歳の頃は、「30代後半になる頃には、仕事も落ち着いて、結婚もし、マイホームでも購入して、かわいい子どもと休日は遊びに行く」・・・そんなささやかな幸せのある未来を描いていたかもしれません。

生涯に終わりを告げた合図

私とほぼ同じ時代を生きてきたひとりの男性が、自らの生涯に終わりを告げた合図が、あの停電だったのかと思うと、言いようのないやるせなさがこみ上げてきました。

おりしも3月は自殺対策強化月間。テレビでも、政府がつくった様々なパターンの「自殺を思いとどまらせるため」のコマーシャルが、さかんに流れています。
内閣府のサイトには、「悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る人であるゲートキーパーになりませんか?」との呼びかけも載っています。

そんな啓蒙活動も、この男性の命を救うことはできませんでした。

そもそもこの啓蒙活動は「大切に思ってくれる人が側にいる」という設定。それ自体に無理を感じます。なぜなら、本当の意味で自分のこと気にかけ、弱みを見せてもすべて受け入れてくれると思えるような人が寄り添ってくれているのなら、人は自殺などしないのですから。

わずかな証しを残したい

湯浅さんや雨宮さんの言葉を借りれば、社会や仕事からも、地域からも、家族からも、そして自分自身からも排除され、「こんなふがいない自分は消えてしまった方がいい」と自殺への道を選んだ男性。

その彼が、最後の勇気を振り絞ってやったことが鉄塔に登っての感電死でした。少なくとも数千、数万戸の世帯に影響を与える死に方を選んだ理由が、なんだか分かる気がします。

「存在する意味さえ見失った自分。でも、自分という人間が『この世に確かにいたのだ』という証しをわずかなりとも残したい。せめて死んでいくときくらい、自分という存在を示したい」

そんな気持ちが男性の中にあったのではないかと思ってしまうのは、私の考えすぎなのでしょうか。(続く…

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Posted by 木附千晶