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前回ご紹介した『教室内(スクール)カースト』(鈴木翔著・光文社新書)という本でも、教師がこうした上下関係をどのように理解しているのか、興味深い考察が記されています(第4章後半から第5章)。

端的に言うと、教師は「自己主張ができて『カリスマ』的な『強い』生徒は『上』で、『やる気がなく』『意思表示しない』『弱い』生徒は『下』であると考え、「教師はこうした生徒間の上下関係を利用して、教室内の秩序を維持しようとしている」(302ページ)そうです。

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本当にスクールカーストなるものは存在するのでしょうか。

都内に住む高校一年生の女生徒に尋ねてみました。すると、驚く答えが返ってきました。

「うちの中学には『ハデーズ』と『ジミーズ』というグループがあった。きっちりした基準みたいなものはなかったけど、みんなだれがどのグループか認識していた。グループは固定されていて、入れ替わることはなかった」

彼女によると、「ハデーズ」は、明るくていい意味でも悪い意味でもみんなを引っ張って行く子たちのグループで、強い発言権を持っていたそうです。対する「ジミーズ」は地味な子たちのグループで、たとえばアニメ好きなどのオタクと呼ばれる子たちが入っていたとのこと。

「ハデーズ」はいつも偉そうな感じで、「ジミーズ」を“いじって”いて、見下しているようだったとのことです。
たとえばプリントを取りに行くとか、ちょっと面倒なことを「ジミーズ」にさせていて、「ジミーズ」は黙って従っていたとのこと。

いわゆる「アゴで使う」ような感じだったようなのですが、言葉としては「取って来て」と言うだけ。そのニュアンスを文字で表現するのはとても難しと思います。

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前出の教師が、「それはいじめじゃないの?」とやられている側の子に尋ねたときも、「いじめなんて言われたらプライドが許さない」との答えが返ってきたとのこと。

やられている側の子も笑ってはしゃいでいるため、教員の方も「遊んでいるんだ」と思ってしまいがちです。“いじられキャラ”が、たとえいじめの延長線上にあるものであったとしても、周囲はおろか、本人でさえ気付かないのです。

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本当に何らかの法律をつくることによって、いじめが日常化した子どもたちの状況を救うことができるのでしょうか?

そもそも、昨今のいじめとはどのようないじめなのでしょう。

ある教師に尋ねたところ、かつては「おとなに見えにくいいじめ」として話題になったインターネットを使ったいじめは、すでに当たり前だそうです。

たとえば学校で「キモい」と言われている子に無理やり告白させたり、待ち合わせをすっぽかしておいて当惑する姿を隠し撮りして動画で流したり、マスターベーションを強要して撮影し、仲間内で共有したりするなどは、めずらしくないのです。

でも、こうしたいじめは、新たに法律などつくらなくても、すでに教育委員会やNPOなどがサイト上を巡回していじめや犯罪につながる情報を見つけ出す「ネットパトロール」などで取り締まることはできます。

ところが、今、教師の人たちが対応に困っているのは「遊びと区別しにくいいじめ」です。

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道徳の強化や、いじめっ子への「毅然とした対応」を前面に出したいじめ対策は、今までのいじめ対策となんら変わりません。

いじめ自殺事件が起きるたびに、時の政権や教育行政機関、識者などの多くは「『いじめはいけない』と徹底して教えるべきだ」と声高に叫び、「いじめっ子たちには罰を与えよ」と繰り返してきました。

今回の推進法が、こうした過去のいじめ対策と違う点を挙げるとすれば、自治体や学校などに「いじめ防止基本方針」を定めるよう求め、いじめ防止のための組織を常設するなどいじめ防止のための仕組みをつくることが決められたことでしょうか。

6月21日に、いじめ防止対策推進法が成立しました。

昨年の大津いじめ自殺事件以来、再び「いじめ」の問題が大きく取り上げられるようになり、ネットや携帯電話の普及などによって子どもたちの間でいじめ問題が深刻化するなかでの成立です。

「再び」と書いたのは、注目を浴びるいじめ事件が起こるたびに、「いじめはいけない」という何の効果もないキャンペーンが毎回、毎回、繰り広げられてきたからです。そのことに関して、詳しくは「歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた」の回を参照してください。

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3.11以後、子どもが育つための土台が破壊され、それに苦悩する親子がこんなにもたくさんいるというのに、1年経った今も子ども被災者支援法はその方向性さえ見えません。

こうした現実を否認し、子どもたちを置き去りにして「世界で勝てる国」になったからと言って、いったいどんな価値があるのでしょうか。

戦争、公害、基地、原発事故、テロ・・・表面的な繁栄の影で、蓋をされている問題が山のようにあります。
それにもかかわらず、問題の原因や背景をちゃんと検証し、進むべき道を見直すこともせず、ただ「前へ、前へ」と進むことが強い国の証しなのでしょうか。

立場の弱い人を踏みにじり、多くの犠牲の上に利益を築いてきたこの日本という国のいったい何を「取り戻す」と言うのでしょうか。

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放射能という目に見えない、得体の知れないものに怯えながら低線量被曝がいったい生命に何をもたらすのかも分からない中で、たったひとりで子育てをするというだけでも、想像できないくらい大変なことです。

そんな避難生活をされている母子に「これでもか!」というほどたくさんの難題が次々と降りかかっています。

母子避難の方々が直面している問題がどんなものなのか。そのリアルな声を聞きたいいという方は、ぜひ関西に母子避難されている方々の体験手記『20年後のあなたへ』をお読みください。「避難ママのお茶べり会」より購入できます。

ここでは、私が強く心を揺さぶられた母子避難されているあるお母さんの言葉を一部抜粋のかたちでご紹介させていいただきたいと思います。
それは福島から関西に避難されているあるお母さんの話でした。彼女の手記が載った『子どもの権利モニター』116号(DCI日本発行)より転載いたします。

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震災から2年が過ぎ、被災者の方々の生活状況はどんどん深刻さを増しています。

未だに高い放射線値が検出される福島に残って子育てをしていくことを決意した方々。
逆に、避難地域に指定されてはいないけれども、独自の判断で住み慣れた土地(福島の方だけではありません)を離れて子どもと生きていくことを決意された方々。

昨年末から何回かそうした親子の方々からお話しをうかがう機会がありました。

残る選択をされた方は「『集団疎開』などと声高に叫ぶ人たちの論調を聞くと、『なぜ放射線が高いと分かっていながらそこで子育てし続けるのか』と責められているような気持ちがする」と話し、母子避難された方は「『国も安全だと言っているし、みんなここで暮らしているのにどうしていっしょに暮らせないのか』と責め立てられる」と話していました。

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そして今、最も「発展の影で犠牲になっている」と強く感じているのが3.11の被災者の方々です。

「感情を失った時代」の回にも書きましたが、現実感の無い「景気回復」に浮かれ、実感のない「経済成長」優先の裏で、肝心の被災地の復興は遅々として進んでいません。
少し前にも復興予算の約1.2兆円が公益法人や自治体が管理する「基金」に配られ、被災地以外で使われているとの報道がありました(『朝日新聞』5月9日)。

国の予算審議が遅れ、補助が受けられないため、福島県から避難している方々への支援を打ち切らざるを得ない支援団体などが出始めていたり、過酷な状況下で働く福島第一原発事故の作業員の方々が、契約した派遣会社から契約通りの賃金をもらえない「ピンハネ」は後を絶ちません。