このシリーズの最初の記事へ

優しさや安全感が欠如し、人間が“人間らしく”生きることができないような社会になってしまっていることは、日々のニュースを見ていてもひしひしと感じます。

安倍首相にはその認識は無いようですが、一般的な感覚から言えば所得格差の広がりはどう考えても拡大しています。

その大きな要因となっているのが、非正規労働者の増加です。兼業主婦によるパートやアルバイトを含む数字ではありますが、最近の統計では労働者のやく4割が非正規雇用にあたるそうです。
(参照元:パートやアルバイトは増加継続…非正規社員の現状をグラフ化してみる(2015年)(最新) – ガベージニュース

こうしたなかで、政府が1月に閣議決定した2015年度予算案では生活保護費が削減され、介護報酬の総額が引き下げられるなど、低所得者への対策は後退しています。一般庶民の立場から言えば、「デフレからの脱却」というよりも、「物価の上昇」が生活を圧迫しはじめています。

このシリーズの最初の記事へ

もし、日本の家族の80%が、機能不全に陥ってるのだとしたら、今、世の中を生きているほとんどのおとなはアダルトチルドレン(AC)ということになります。

多くの人が、「自分には価値がない」と思っていたり、 人の目(評価)を異常に気にしたり、必要以上に「完璧でなければならぬ」と思っていたり、いつも対人関係にトラブルを来してしまったりする「生きづらい」人間であるということです。

もし、こういう人たちが本当に増えているのだとしたら、それはもう「家族がうまく機能していない」というレベルでの問題ではありません。

その家族が所属する社会に問題があるということではないでしょうか。

新年あけましておめでとうございます。
松も取れ、鏡開きも終わり、お正月気分も抜けてすっかり「日常」に戻ってしまった感もありますが、おくればせながらご挨拶申し上げます。

9年目を向かえる「カウンセラー木附が語る子どもと社会」を今年もどうぞよろしくお願いいたします。

毎年、新年になると「今年こそは良い年になりますように」と願っています。お参りに行ったときには「あらゆる命が幸せに生きられる1年になりますように」と必ず、願をかけます。

でも現実には、毎年毎年、どんどんだれもが生きづらい社会、子育てしにくい社会になっている感が否めません。

このシリーズの最初の記事へ

ところが実際には、前にご紹介した高校生の女の子のようなことが起きています。

そしてそれは、びっくりするほどのレアケースでも無いようです。ここ1年あまりの間に子どもの権利のための国連NGO・DCI日本のオンブズマンには、「児相が子どもを連れて行ってしまい、会わせてもらえない」という相談が6件ほど寄せられています。

相談者のひとりであるある母親は、神奈川県内の児相により、2010年に4歳(当時)だった長女と引き離されました。

元夫からのDVが原因で抑うつ的になっていたため精神薬を多用し、その影響で死にたい気持ちが増すなどの症状があったことを受け、精神科医が「子どもの世話ができる状態ではない」と判断したことが、引き離された理由でした。

このシリーズの最初の記事へ

ただ一方的に情報を取ろうとすれば、人は身を守ろうと構えます。疑ってかかられているならなおのこと。理解してくれない相手に真実を話す気になどなりません。最初から疑ってかかる相手に対して「本心を語れ」という方がどだい無理なのです。

本心を語って欲しいのなら、追い詰められている当事者の痛みを理解し、それを分かち合おうとする姿勢が必要です。
それが信頼関係を生み、当事者がひとりで抱え込んでいる困難をだれかに預けることができるようになります。虐待ケースであれば、結果的に子どもの命を救うことにつながるのです。

もし、そうした時間をかける余裕が無いほど危機的であると判断するならば、緊急に一時保護すべきです。子どもの命と人生を守る児相には、そうした状況判断ができる力量ある専門家が配置されなければならないのではないでしょうか。

このシリーズの最初の記事へ

大前提として、虐待のケースが後を絶たないことは否定しません。たくさんのケースを抱えて走り回る児相職員の方がいるのも知っています。繰り返しになりますが、何よりもこの国の福祉行政の貧しさが大問題だということも分かっています。

しかしそれでも、先のブログで紹介した女子高校生の声などを聴くと、「職員の対応も見直すべき点があったのではないか」と思うことがあります。

このシリーズの最初の記事へ

ここまで読まれた方の中には、「児童相談所(児相)がまさかそんなことをするの?!」と、にわかには信じられない方も多いのではないでしょうか。

実は私もそうでした。

私が知っている限り、児童相談所や子ども家庭支援センターなど、虐待問題に関わる職員は、どちらかというと「積極的に親子を引き離すようなことはしない」という印象をもっていました。
カウンセラーの立場で「しばらくの間、分離した方がよい」とか「祖父母等、親権者以外の養育者が育てる方がよい」などと進言しても、聞き入れてもらえることはめったにありません。

その背景にはもちろん、今回のブログ冒頭で書いたような児相の人手不足という問題もありますし、事実誤認だった場合の責任を考えると、なかなか強硬な態度に出られないということもあるでしょう。

親子分離をタブー視していたり、「できる限り行政の手は借りず、自己責任で解決して欲しい」というような雰囲気も感じられました。

そんな「親子分離に消極的」という今までの児相の問題を覆すように、女の子の話は次のように続きます。

このシリーズの最初の記事へ

だから子どもの気持ちは無視し、事実関係もろくに確かめず、親から引き離すなんていう悲劇も生まれます。

次のパラグラフ以下でご紹介するのは子どもの権利条約に基づく国連NGO・DCI日本発行の『子どもの権利モニター』(120号)に寄せられた、ある高校生の女の子のお話です。

女の子は、とある理由から「虐待を受けた」と友達に嘘をつきました。年ごとの女の子なら、親に反抗したかったり、友達をびっくりさせるような冗談を言ってみたりするものです。

ところがその嘘が一人歩きし、児相によって一時保護され、いくら「嘘だった」と言っても認めてもらえず、大事な高校受験期を母親から引き離されて過ごし、中学校の卒業式にも出られなくなってしまいました。

このシリーズの最初の記事へ

今から数年前に、社会的養護の現実を取材したことがあります。
そのとき分かったのは、ひとりの児童相談所職員(児相)が抱えるケースの多さです。100件を超えていることもざらで、多いと130ものケースを担当していました。

そのほとんどは、危険な虐待が疑われるケースです。法律上は、18歳未満の子どもに関するあらゆる相談に応じるのが児相の役目ですが、実際には、「生きるか、死ぬか」のようなケースが優先され、それ以外のケースは後回し、もしくは手つかずの状態になってしまいます。

「だからしょうがない」とは言いませんが、その大変さは察してあまりあるものがあります。

このシリーズの最初の記事へ

虐待は増えているのか、そうでないのか。実際はどうなのでしょう。
興味深い話があります。

虐待を受けたために、養育者との間に健全な絆(愛着関係)を築けなかった子どもや、親を失って施設などで暮らす子どもたちの調査・研究から知られるようになった愛着障害という診断名があります。

子どもは、養育者との間に愛着関係を結ぶことで、養育者を安全基地とし、探索行動をし、認知を広げ、人との良い関係も築けるようになります。ごく簡単に言うと、愛着障害とは、それがそれがうまくできない、障害された状態を指します。