このシリーズの最初の記事へ

では、人類史上、一度も存在したことのない平和の文化を築くには、どうしたらいいのでしょうか。それよりなにより、暴力というものはいったいどこから生まれてくるのでしょうか。

それは、わたしたちひとりひとりの心の中です。私たちはだれもが心に「内なる暴力」ーー子どもの頃から身に受けてきた自覚できていない暴力ーーを抱えているのです。

このシリーズの最初の記事へ

そもそも平和とはどんな状態を指すのでしょう。
戦争がなくて、テロがなくて、食べ物が十分にあれば平和と言えるのでしょうか。

もしそうだとしたら、世界の国々と比較すれば戦後の日本はほかに類のない平和な国ということになります。
間接的にアメリカ軍を応援したり、自衛隊の増強を図ってきたり、集団的自衛権を行使できるよう憲法解釈を変更するなど、「本当に戦争を放棄した国なの?」と思う動きは多々あしますが、少なくとも具体的な戦闘状態というのはありませんでした。

このシリーズの最初の記事へ

その後も、イスラエルとパレスチナの戦闘はどんどん激しさを増しています。
イスラエル軍の軍事作戦がはじまった7月8日以降、パレスチナ人の犠牲者は550人にも及び、21日には7人の子どもを含む9人が死亡。病院までもが砲撃の対象になっていると報道されています(『東京新聞』2014年7月22日)。

また、ロシアとウクライナの関係が悪化する中、今月17日には、乗客乗員295人を乗せてオランダからマレーシアに向かっていたマレーシア航空の旅客機がウクライナ東部で墜落するという事故が起きました。
墜落の原因は、親ロシア派による撃墜との見方が濃厚です。

二度にわたる世界大戦を教訓に、国際社会が「平和」「平和」と言い続けてきたはずなのに、現実はまったく違う方向に向かっているように見えてなりません。

安倍首相率いる政府は、7月1日、集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を決定しました。

これは、戦後日本が守り続けてきた安全保障の道を大きく転換させるものです。ずっと「専守防衛」を言い続けてきた日本が、海外での自衛隊による武力行使にも道を開きます。

今まで日本は、たとえ集団的自衛権を持っていても、憲法上その行使は許されないという姿勢でした。

ところが今回の解釈変更によって、「わが国に対する急迫不正の侵害の発生」としてきた自衛権の発動は、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」に変わり、国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある場合」は自衛権を発動できると改めました。

でも、いったいだれが、何を持って「根底から覆される」と判断するのでしょうか。「我が国と密接な関係」とはどんな関係を意味するのでしょうか。とても曖昧です。

「日本人は平和ぼけしている」「自分の国は自分の力で守るべきだ」と主張する声がある一方で、こうした安倍首相率いる日本政府の動きを「戦争への道を開くもの」「平和憲法に背くもの」と批判する声も強まっています。

このシリーズの最初の記事へ

「なぜ、山側(学校を出て左側)に逃げたのか」という謎は深まるばかりですが、その疑問はちょっと置いておきましょう。

せっかく山側へと逃げたのですから、そのまま三角地帯とは逆方向の、あの子どもたちが日常的に遊んでいた裏山を目指せば、もっと多くの命が助かったことでしょう。

なぜそうしなかったのでしょうか。これもまた大きな疑問です。

このシリーズの最初の記事へ

もっとも津波や地震に詳しい教師の意見が通らなかったことも不思議ですが、「避難先に、なぜ新北上大橋たもとの堤防上にある三角地帯(学校から約250メートル離れたところにある)を選んだのか」も大きな謎です。

確かに、海抜1~2メートルの大川小から見れば、三角地帯は数メートル高い場所にあります。私が実際にこの場所に行ったときにも「校舎より高い」との印象は覚えました。

でも、3月11日のあの日、15時時32分にラジオが伝えた予想津波高は10メートル。しかも、津波が来る川は、すぐ目の前です。これでは、「あえて津波に向かっていく」ようなものです。

このシリーズの最初の記事へ

教師には、子どもの命と安全を守る義務があります。教師ではない、多くのおとなであれば見過ごしてしまうような危険であったとしても、それを予見し、回避することが求めらます。

そのような専門家であるからこそ、親は安心して子どもを学校に預け、教師を信頼することができるのです。

このシリーズの最初の記事へ

何しろ検証委員会は、せっかく集めた証言までも「プライバシー保護」を盾に、どんな立場の、どんな人物が証言したものかをぼやかしてしまいました。

そして、相反する証言をただ並べ立て、羅列しました。
「山への避難を訴えたり、泣き出したり、嘔吐する子どもがいた」と書いたと思えば、その一方で「遊び始めたり、ゲームや漫画など日常的な会話をしていた」と記すなどして、検証という行為を放棄しました。

こうして検証委員会は、何一つ新しい事実を提示できなかっただけでなく、遺族の方々が事故直後から集め続け、積み上げてきていた事実を曖昧にしてしまいました。

そうして「津波予想浸水域に入っていなかったから危機意識が薄かった」「裏山は危険で登れないと思っていた」など、「子どもたちが命を落としたのは仕方なかった」と言わんばかりの最終報告をまとめたのです。

このシリーズの最初の記事へ

検証の方法も、とうてい理解できるものではありませんでした。

わかりやすい例を挙げましょう。たとえば、検証内容の振り分け方です。
検証委員会には六名の委員のほか、四人の調査委員がいます。その中には、弁護士や学者などさまざまな専門家が入っているのですが、当日の津波について検証したのは、津波工学の権威とされる委員ではなく、心理学者である調査委員でした。

それだけでもびっくりですが、さらに続きがあります。

この調査委員は、7月に出された中間とりまとめ(検証の中間報告)のとき、「学校への津波到達時刻は3時32分」と、それまでの通説だった「3時37分よりも早い」との見解を示し、みんなを驚かせました。
そして、遺族やマスコミ関係者らから、科学的根拠を示すよう求められ、疑問を投げかけられると、あっさりと新見解を引っ込めたのです。

このシリーズの最初の記事へ

大川小事故検証委員会は、石巻市の依頼を受けた第三者機関として2013年1月に活動を開始しました。

委員会発足当初、付いた予算は当初2,000万円。しかし、2014年8 月の補正予算で審議のないまま3,700万円上乗せされ、合計5700万円ものお金が投じられました。

そんな委員会には遺族の思いや願いに誠実に応える義務がありました。

なぜなら、本来、最も真実を明らかにする義務があるはずの石巻市教育委員会は、

①遺族説明会を開かない
②だれよりも真実を知っているはずであるただひとり生き残った教師を「病気休職中」として表に出さない
③最初の段階で聴取した子どもの証言を改ざん・隠蔽し、重要な証拠となるはずの聞き取り時メモを廃棄する

など、不誠実な対応を重ねてきたからです。