児童相談所は子どもを守る最後の砦か(7/8)
ただ一方的に情報を取ろうとすれば、人は身を守ろうと構えます。疑ってかかられているならなおのこと。理解してくれない相手に真実を話す気になどなりません。最初から疑ってかかる相手に対して「本心を語れ」という方がどだい無理なのです。
本心を語って欲しいのなら、追い詰められている当事者の痛みを理解し、それを分かち合おうとする姿勢が必要です。
それが信頼関係を生み、当事者がひとりで抱え込んでいる困難をだれかに預けることができるようになります。虐待ケースであれば、結果的に子どもの命を救うことにつながるのです。
もし、そうした時間をかける余裕が無いほど危機的であると判断するならば、緊急に一時保護すべきです。子どもの命と人生を守る児相には、そうした状況判断ができる力量ある専門家が配置されなければならないのではないでしょうか。
「問題ある親」が問題?
児童相談所関係者や行政の方に、虐待親との対応について尋ねたことがあります。
たとえばある方は「厳しい状況で職員はよくやっている」と言い、また別の方たちは個々の職員の力量差を認めつつも、「話し合いが成立しない親もいる」とか「親の側にも問題がある」などと話していました。
確かにそうでしょう。
そもそも何も問題を抱えていない親であるなら、子どもを虐待することなどあり得ません。
話し合うことが難しい親がいることも、知っています。その親自身が、あまりに過酷な環境で生きてきた(生きている)ため、子どもの立場に立てなかったり、発達の途上にある子どもという存在の特徴が理解できなかったりすることはめずらしくありません。
責任は職員の側にある
でも、だからといって「きちんと話し合えないのは親のせい」と、言い切ってしまっていいのでしょうか。
少なくとも対峙する職員側はプロとして子どもの福祉のために、親と向き合っているはずです。
話合いが成立しない親や、やりとりが難しい親が相手だとしても、きちんと話合いを行う責任は、職員の側にあるはずです。
子どもの成長・発達のための国際的な約束である子どもの権利条約は前文で「家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員とくに子どもの成長および福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護および援助を与えられるべき」と、しっかりと謳っています。(続く…)