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話が飛ぶようで恐縮ですが、「子どもを守る」というキーワードで思い出すのは、今年の夏、大阪府寝屋川市の中学1年の男女が遺体で見つかったいわゆる寝屋川事件です。

ふたりが京阪電鉄寝屋川市駅前の商店街の防犯カメラに映っていたのを最後に行方不明になったことが分かり、「子どもの深夜の出歩き」や「夜中も携帯電話(スマートフォン)でつながるこどもたち」の問題が、マスコミ等で指摘されました。

10月29日の『朝日新聞』に学校での動物飼育についての記事がありました。

「命の大切さを実感する機会として力をいれる学校がある一方、飼育経験が豊富な教員の減少や感染症の不安から、飼育をとりやめる学校も増えている」そうで、全国的には動物を飼育する学校は減少傾向だそうです。

広島県動物愛護センターが県内4市の小学校や幼稚園、保育所等に対して行ったアンケート(12年)によると、とくに減っているのが鳥類で、鳥インフルエンザの人への感染が確認されたことが影響しているとみられるとか。

その他、「動物の病気・けがが心配」「世話する人がいない」「人手不足」などで廃止にしたところがあり、動物アレルギーを持つ子どもへの配慮もあるそうです。

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なぜならそもそも少年法は、生育環境などの問題でうまく成長・発達することができなかったため、反社会的な行為をしてしまった未成年者が生き直せるよう、健全育成と環境調整を行うための法律です。
だから、少年法では教育・保護し更正することに力点が置かれています。

男性は、こうした少年法に基づいて医療少年院で約7年の治療を受け、社会へと復帰しました。

被害者や被害者遺族を誹謗中傷するような、もしくは犯した罪を肯定したりするような本なら批判されてもしかるべきでしょう。しかし、ただ「自分の気持ちを語りたい」と手記を著すことがなぜいけないのでしょうか。

少年法の考えに則れば、匿名での執筆も当たり前の話です。死刑が確定していた永山死刑囚とは違い、男性はこれからもこの社会の中で生きていかなければならないのです。本を出版しただけで、これだけの騒ぎが起きる日本社会ですから、顔と名前が周知されればどんなことになってしまうか・・・。火を見るよりも明らかです。

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こうした騒ぎの発端は、男性が今年6月に手記『絶歌』(太田出版)を発表したことです。
同書は、初版10万部を売り切って増刷となりましたが、被害者遺族は出版の中止・回収を求め、独自の判断で取り扱わないとする書店や図書館も相次ぎました。

識者らは「表現の自由」や「知る権利」などを理由に「出版はやむを得ない」とする立場と「被害者感情」を理由に「出版すべきでない」との意見を戦わせました。しかし、出版社側は「少年犯罪の理解に役立つ」と出版を継続し、バッシングの嵐が起きました

バッシングのきっかけとなったことのひとつが、世間はかつて未成年で殺人事件を起こした永山則夫死刑囚などが実名で執筆活動を行ったのに対し、男性が「元少年A」との匿名で執筆したことでした。

2015年2月、神奈川県川崎市の多摩川河川敷で中学1年の男子生徒が殺害され、遺棄されるという痛ましい事件がありました。

その1週間後に加害者とされる18~17歳の少年3名が殺人容疑で逮捕されると、成立が目前だった18歳選挙権と呼応して「成人年齢を下げるのなら、少年法の対象年齢も下げるべき」と少年法の厳罰化議論が再燃しました。

それについては、以前、このブログ(「機能不全社会(6)」)で書いたので、そちらをご覧ください。

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もともときっちりとした仕組みが行き届き、多様性よりも「他者と同質であること」が重んじられてきた日本社会。そこにアメリカを中心とする競争主義がなだれ込み、子どもを取り囲む環境はいよいよ息苦しくなっています。

本来であれば評価の対象になり得ない「心の在り方」や「ふるまい」までが評価対象となり、序列化されます。ごく小さい頃からみなと同じ振る舞いができるかどうかが問われ、ちょっとはみ出しているだけで簡単に「発達障害」と言われてしまったりします。

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市場で価値のあるものとされために自然の発達に逆らった枠をはめ、その枠に当てはまらないものを「不適応(不良品)」と考えるような学校を応援する社会。

そんな社会で育っていけば、だれだって自分らしさや自分自身に価値を見いだせず、自尊心は低くなり、自己肯定感も奪われがちになります。

それを端的に表した調査結果があります。
2014年9月から11月にアメリカ、中国、韓国と共同で実施された「生活と意識」をテーマにした国立青少年教育振興機構の調査結果です。各国の高校生約7千700人から回答を得ています。

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藤原さんが校長を辞した後も、やはりリクルート出身で、当時トップアスリート社代表取締役だった代田昭久氏が就任しました。

その後は民間人校長の採用は行われていないようですが、今も学習塾の講師を招いての有料の補習授業は続いているようです。

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「公平」という言葉の意味もなんだかよく分からなくなりそうですが、少なくとも当時、こうした藤原氏を国やマスコミがこぞって応援しました。

国は、和田中学校運営協議会に文部科学省の役人を送り込んだり、藤原氏創始の「よのなか科」などを広める民間企業を新教育愛初プログラムに指定するなどしました。

天下の『朝日新聞』は、「公教育の建前を並べるだけでは、学力をめぐる保護者の焦りは消えない。お金のかかる私立校や塾が現にあるのだから、ここは塾に行けない子への福音と考えたい」(2008年1月9日付け「天声人語」)とまで書いています。

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そんな空気のなかで藤原さんが、和田中学校の校長に就任すると、外部の人間や情報を取り込んで社会問題をあつかって世の中について学ぶ「よのなか科」をつくったり、大学生ボランティアと子どもが宿題などをする「土曜寺子屋」、英語講師を雇って土日に行う「英語アドベンチャーコース」など、表向き公教育の世界ではタブー視されていたビジネス的な視点、企業、価値観を堂々と和田中に持ち込みました。

次々と花火のように打ち上げられる新しい取り組みや、リクルート出身らしい話題づくり、キーワードづくりも上手でした。

なかでも、学習塾のサピックスと組んだ有料の課外授業「夜スペシャル」はかなりの注目度合いでした。