カーリングペアレント(1/5)
遅ればせながら、「カーリングペアレント」という言葉を知りました。つい最近読んだ精神科医の片田珠実さんの著書『一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病』(光文社新書)に出てきたのです。
かんたんに言うと「子どもの障害物をすべて取り除く親」のことを指すそうで、その語源? は、ストーンを目標のところへと滑らせるため、氷の表面をブラシで掃くカーリング競技だそうです。
ネットで調べると2005年頃から教育評論家などの間で使われはじめ、もともとはスウェーデンが発祥とのこと。
子どもの“意見”は“聴く”べき
とあるブログでは「習いごとには送り迎えしたり、持ち物のチェックも全部親がやって、子供には命令形でではなく、常に子供の”意見”を聞いて、話し合ったりする、怒るのではなく、優しく注意する、子供がやりたい事だけをやらせる、楽しい事だけをやらせるなどなど」(在日スウェーデン女性の目から見た日本)がカーリングペアレントであると載っていました。
ここでは「常に子どもの“意見”を聴いたり、話合ったりすること」「優しく注意すること」なども「いけないこと」というように書いてありますが、そこは意見が分かれるところでしょう。
個人的には子どもの“意見”は“聴く”(“聞く”ではない)べきだと思いますし、怒るよりも優しく注意できたほうがずっと有効だと思います。「命令」や「脅し」は子どもに手っ取り早く言うことを聞かせるには便利ですが、「どうしてそれをやった方がいいのか」や「なぜそれがいけないのか」を伝えることはできないからです。
子どもの権利条約では
私が子どもの権利条約関係の講座や講演をさせていただく際、よく受ける質問というかお叱りのひとつに「子どもの意見など聞いたら子どもがわがままになる」「そんなことを気にしていたら、しつけができない」というものがあります(ちなみに“しつけ”についてもいろいろ思うところがありますが、本題からどんどんそれてしまいそうなので次の機会に譲ります)。
こんなふうにおっしゃる方は、たいがい「子どもの意見を“聴く”」という行為を「子どもの言うことを聞く」ことだと誤解されています。
これは大きな間違いです。「子どもの意見を聴く」ということは「子どもの意見を受容する」ということであって、「子どもの意見を許容(実現)する」ことではないのです。
さらに子どもの権利条約が言う、「子どもの意見」とは、学級会で子どもが何か意見を述べたり、自分の意思決定を伝えたりという類のものではありません。もし、そうであったら「乳幼児には意見を表明する権利など無い」ことになってしまいます。(続く…)