遺族を訴訟に追い込んだ大川小学校事故検証委員会(7/7)
「なぜ、山側(学校を出て左側)に逃げたのか」という謎は深まるばかりですが、その疑問はちょっと置いておきましょう。
せっかく山側へと逃げたのですから、そのまま三角地帯とは逆方向の、あの子どもたちが日常的に遊んでいた裏山を目指せば、もっと多くの命が助かったことでしょう。
なぜそうしなかったのでしょうか。これもまた大きな疑問です。
日本の教育体制の象徴
ここでもまた推測で申し訳ないのですが、いったん「三角地帯に逃げる」ことに決めてしまったため、その考えにとらわれ、とっさの柔軟な判断ができなかったのだと考えることはできないでしょうか。
いや、もしかしたら最も地震や津波に詳しい教師の「裏山に逃げよう」という主張が無視され、山に逃げた子どもが連れ戻された時点で、すでに「裏山に逃げる」という選択肢は、「あり得ないこと」になってしまっていたのかもしれません。
こんな指摘をする人がいます。
「最後に子どもを救うのは、危険を肌で感じ、子どもの訴えに耳を貸しながら、事態に対応する能力を持つ教師。大川小事件は、そうした教師を育成してこなかった日本の教育体制の象徴だ。最終報告が提言するマニュアル整備や防災訓練・研修よりも、教師が日常から子どもに顔を向け、自分で考えられるように教育体制を見直さなければ。提言(※)(11・13)は『子どもが自分で判断・行動できる能力を育てよ』と言うが、教師ができていないことをどう子どもに教えるのか」(子どもの権利に詳しい福田雅章一橋大学名誉教授/『週刊金曜日』2014.3.14(983号))
検証委員会の罪は重大
生き残った子どもたちなどの証言によると、大川小では、何人もの子どもが「山へ逃げよう」と教師に訴えていました。「このままでは死んでしまう!」「先生、どうして山に逃げないんだ!」と、泣きながら叫んでいました。
それなのに、その悲痛な子どもたちの叫びは無視されました。
そうやって無念の死を遂げた友達に代わって勇気を振り絞った子どもたちの証言も、我が子に代わって真実を明らかにしようとする遺族の思いも、ずっとずっと無視され続けてきました。
大川小事件は、子ども一人ひとりの命の重さを軽んじ、自分の思いや意見を横に置き、命令に従う人材を育てることで、力を持った人々の利益を優先しようという、日本社会を映す鏡です。
子どもの命というかけがえのない犠牲を払いながら、検証を放棄して、日本社会の持つ問題を隠蔽した検証委員会の罪は計り知れません。
※検証委員会がまとめた『最終報告』にある提言
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