遺族を訴訟に追い込んだ大川小学校事故検証委員会(6/7)
もっとも津波や地震に詳しい教師の意見が通らなかったことも不思議ですが、「避難先に、なぜ新北上大橋たもとの堤防上にある三角地帯(学校から約250メートル離れたところにある)を選んだのか」も大きな謎です。
確かに、海抜1~2メートルの大川小から見れば、三角地帯は数メートル高い場所にあります。私が実際にこの場所に行ったときにも「校舎より高い」との印象は覚えました。
でも、3月11日のあの日、15時時32分にラジオが伝えた予想津波高は10メートル。しかも、津波が来る川は、すぐ目の前です。これでは、「あえて津波に向かっていく」ようなものです。
避難経路も不可思議
避難経路も不可思議です。文字で表現するのはわかりにくいと思いますので、まずは、『朝日新聞』の記事を掲載したサイトをご覧ください。
これを見ると、大川小と三角地帯の位置関係や、子どもたちがどんなふうに三角地帯を目指し、津波がどのように押し寄せたのかが分かります。
すでに津波が迫っていた?
サイトをご覧になった方はおわかりかと思いますが、一般的に大川小から三角地帯を目指すなら、学校を背に右に出で、大きな道(県道238号線)を通るのが自然なルートではないでしょうか。
ところが、子どもたちは、山に向かう左に出てから、道が狭く、ご遺族の話によると「袋小路に逃げ込むようなもの」である民家の隙間を進んで、三角地帯を目指しています。
どうしてなのでしょうか?
これは推測にすぎませんが、避難をはじめたときには、すでに右側から川津波が迫っていたからなのではないでしょうか。
右から水が来ているのを見れば、反対側(左)に逃げるのが生き物としての本能でしょう。(続く…)
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