相模原障害者施設殺傷事件から2年(7)

2019年5月29日

ランドセル 国は、「子どもの相対的貧困率が12年ぶりに改善した」と胸を張りますが、沖縄県では5歳児のいる世帯の約2割が困窮のため「ランドセルが買えない」そうです(『東京新聞』18年7月13日)。

 また、17年11月、子どもの権利条約に基づく日本政府報告審査へのカウンターレポートを国連「子どもの権利委員会」に提出した『CRC日本報告書』では、「困窮が目立つひとり親世帯の総体的貧困率はバブル絶頂期の1991年から15年までほぼ同水準」と指摘しています。

 つまり、この国は、景気が良くても悪くても、子どもの貧困対策に本腰を入れたことなど一度も無い、弱者の痛みに無頓着な国だということです。

夏休み前後に命を絶つ子ども

 そんな格差社会、自己責任社会の価値に合わせ、子どもたちは幼少期から、勉強や習い事に振り回されます。ことあるごとにだれかと比べられ、序列化され、社会の物差しで自分を計ることを余儀なくされても、「役立たず」として切り捨てられないよう、歯を食いしばって頑張ります。

 頑張りきれず、夏休み終了前後に命を絶つ子どももいます。
 2015年の『自殺対策白書』によると、長期夏季休暇が終わって新学期が始まる9月1日が131人と突出しています。さらに9月2日は94人、8月31日は92人です。

 自殺者数が3万人を切っても、19歳以下だけは減らず500~600人が続いていることも、子ども時代の絶望感の表れと言ってもいいのではないでしょうか(『朝日新聞』18年)。

被告のものと大差ない優勢思想

 こうやって子どもを追い込む、安倍首相が率先してつくってきた「生まれてきてほしい命と、そうでないものとを区別する社会」、その社会を支える思想は、“異常”とされた相模原障害者施設殺傷事件の被告の思想とどれほどの差があるというのでしょうか。

 私には大差なく思えます。おそらく、被告もそう感じていたのでしょう。だから事件を起こす前、衆議院議長への手紙に「愛する日本国の為にお力添えいただきたい」と、「手紙の内容を首相に伝えて欲しい」と、以下のような内容を記したのではないでしょうか。

「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです」(【相模原殺傷】「障害者470名を抹殺できます」植松聖容疑者、衆院議長に手紙(全文)

 安倍首相の目指す日本社会の実現を手助けすることこそ正義だと考えたからこそ、5億円の援助等を要求したのではないでしょうか。

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Posted by 木附千晶