相模原障害者施設殺傷事件から2年(8)
この悲劇的な事件を「容疑者の異常性の所産」に帰すことはたやすでしょう。事件後、逮捕された被告が「ヒトラーの思想が降りてきた」と話したなどの報道もありました。
しかし、あの“異常”な、大量虐殺を平気でやってのけるヒトラーという人物をつくったのは、彼の過酷な幼少期でした。
2012年に「生い立ちと人格」で詳述したように、幼い頃のヒトラーは、毎日のように父親にむち打たれ、名前も呼んでもらえず、犬のように指笛で呼びつけられていました。
子どもの頃のヒトラーは、「何の権利も認められぬ名無しの存在」(『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(アリス・ミラー著/新曜社210ページ)で、それはヒトラー台頭時のユダヤ人の身分とそっくりでした。
虐待を受けた者が、ストレスフルな環境に置かれると虐待者になってしまう「虐待の連鎖」については、よく知られていますが、ヒトラーはまさにその好例だったと言っていいのではないでしょうか。
人間が狂気へと向かうとき
相模原障害者施設殺傷事件の被告もまた、過酷な子ども時代を過ごした人物だったのか・・・今はまだよく分かりません。
しかしひとつだけ言えることがあります。それは、「彼がどんなどんな環境で生きてきたのかを明らかにしなければ何もわからない」ということです。
人間が狂気へと向かう根底には、必ず不安と恐怖、そして孤独があります。居場所があり、愛し・愛される者がいて、存在価値を感じている者は、けっして破壊的な選択を行いません。
悲劇を止めるために
この夏、同事件に関してのさまざまな報道がありました。「二度と悲劇を繰り返さないために」という言葉も何度も聞きました。
もし、本気でそう望むのであれば、この事件の原因を被告個人の異常性など矮小化することなく、「役に立たない者には価値がない」という日本社会を支配している価値観とそれに基づく構造そのものに対峙することではないでしょうか。
経済的合理性や自己責任を追求するのではなく、障害者も社会のなかでひとりの人間として尊重され、だれもが幼少期から「どんな命にも価値があり、人はみな尊厳を持った存在である」ことを日常的に実感できる社会へと転換しない限り、こうした悲劇が止むことはけっしてないでしょう。