感情を失った時代(9/10)
こうした現状を「何も考えていないお役所仕事」「縦割り行政で市民の姿が見えていない」とする批判もあります。でも私の胸には、「本当にそれだけなのか?」という一抹の不安が過ぎります。
もちろん、「お役所仕事」も「縦割り行政」もあってはいけないことです。被災された方々のことを考えたら、どうしようもないほどに愚かで許されざる行為ではあることも確かです。でも「悪気は無い」という意味において罪は多少軽くなります。
でも、もしそれが確信犯だったら? 意図的に被災者を放置して故郷に近づけないようにし、人口を流出させ、無駄に見える大がかりな事業を行っているのだとしたら・・・どうでしょうか。
ぬぐい去れない不安
今まで国や行政は、過疎地や自然あふれた土地を狙って、「人口が少ないから」「国有地だから」「誘致すれば経済が潤うから」と、原発や基地を次々とつくってきました。
また、人が集まりにくい状況をわざとつくっておいて、「人がいないから」と児童館や学校などの公共施設を潰しては、安く企業に転売したりしてきました。
「この同じ手法を被災地でも行おうとしているのではないか?」という不安がどうしてもぬぐい去れないのです。
何しろ時代を担っているのは、国際競争力を高めるためには原発再稼働も厭わず、個人経営の第一次産業を犠牲にしてまでもTPP参加を表明し、武器輸出三原則を無視してまで金儲けのために次期戦闘機「F-35」の生産に日本企業を参画させても平気な安倍政権です。
よもや被災地が・・・
TPP参加後の国際競争で勝ち残っていくため、アメリカ並みの大規模農場や大食品加工場をつくれる広大な土地は安倍政権からすれば、のどから手が出るほど欲しいはずです。また、軍事産業を活性化させ、アメリカとの友好関係を堅固にするためにも軍事関連用地はいくらあっても足りないはずです。
それを得るためになら、きっとどんな資本投下も犠牲も厭わないでしょう。たとえ今は無人の浜でも、将来はそこに巨大な工場や基地がつくられるのだとしたら、どれだけのお金をつぎ込んでも無駄にはならないはずです。
「よもや人がいなくなった被災地が、そうした大企業向けの工場や農地、軍事関連施設としては使われることはないだろうか」と考えるのは、私の妄想であって欲しいと心から願っています。(続く…)