BOSTON STRONG(3/7)

2019年5月29日

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また、最近、「3.11後の福島とそっくり」と注目されている事件に、日本初の公害事件と名高い足尾銅山鉱毒事件があります

足尾銅山鉱毒事件は、当時のあらゆる技術の粋を集めて行われていたはずなのに、銅山から鉱毒が流出。排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が渡良瀬川流域を汚染した事件でした。19世紀後半(明治初期)のことです。

農作物や皮の魚などに甚大な被害を出し、最終的に政府は鉱毒を沈殿するため最下流地の谷中村を廃村して、遊水池とする計画を決定しました。

この政府の計画に最後まで村民とともに粘り強く反対した衆議院議員・田中正造の名は、だれもが一度は社会科の教科書等で目にしているはずです。

無視された当事者の声

しかし、最も意見を尊重されるべき当事者の声は無視され、1906年、村は強制的に廃村となりました。明治初期に約2700人いた村民は、集団移住を余儀なくされ、遠くは北海道まで移転した方もおられるそうです

詳しく知りたい方は、『毎日新聞』(2012年9月17日)の記事
田中正造:再び注目される思想 足尾銅山事件と福島原発事故の類似性)を読んでいただきたいと思います。

この記事中で印象的だったのは、国学院大教授の菅井益郎さんのコメントです。菅井さんは「日本は近代化を進めるために、何か問題があっても責任をとらない構造を作り、それが今も続く。鉱毒事件も原発事故も政府は責任をとらず、企業も『国策に沿った』と、責任をとらない。被害を受けるのは弱い立場の人々だ」と指摘しています。

保障を受けられないことはいくらでも

国の発展という名目で、「国策の沿った」やり方が、一般の人びと、立場の弱い人びとに大きな被害をもたらしても、満足のいく保障が受けられないことはいくらでもあります。

たとえば旧日本軍兵士として闘った在日朝鮮人・韓国人・台湾人など、日本国籍を持たない傷痍軍人の方々もそうでした。

1970年代の初め頃までは、手足が無かったり、体に大きな傷を負った傷痍軍人の方々が、街頭で物乞いをしている姿を見かけることもめずらしくありませんでした。(続く…

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