オスプレイ

だれが考えても、「感染拡大の大きな起因の一つが米軍基地であることは間違いない」(玉城デニー沖縄県知事:『東京新聞』22年1月8日)という気がしますが、日本政府は同記事でも「コメントは控えたい」(松野博一官房長官)などと、関連性を認めていません。

山際大志郎経済再生担当相に至っては、「因果関係だけ逝っても、感染拡大防止につながらない」(同記事)という、びっくりするようなコメントまでしています。

原因を突き止め、そこを改めることは、感染症拡大防止の基本ではないでしょうか。

オミクロン株

コロナの感染が止まりません。22年1月14日の感染者数は全国で2万2045人となりました(NHK「特設サイト 新型コロナウィルス」)。

沖縄県や東京都などで前の週の10倍以上になるなど、これまでにないペースで感染が拡大しています。元凶は、その感染力の強さを示す報告が世界中で相次いだオミクロン株です。

自分の考えや価値観に合わない人をたんに批判するというだけでなく、バッシングしたり、人格誹謗までする人が増加した社会を「不寛容社会」と呼ぶそうです。

①SNSによって、いつでも、どこでも、匿名性を保ったまま他者を攻撃・批判できる環境ができたこと、②スマートフォンなどのテクノロジーの進化で、個人主義が進んで“リアルな他者”を感じる機会が減っていること、などが原因のようです。

もちろん、インターネット等による誹謗中傷が人を追い込むことは知っています。

実際、2020年5月には、フジテレビの恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演していたプロレスラーの方が、会員制交流サイト(SNS)上で非難された後、遺書のようなメモを残して亡くなりました。

また、最近では、2020年11月に東京都町田市の小学6年生が自殺したのは、学校で配布されたタブレット端末のチャット上でのいじめが原因であるとのニュースも話題になっています。

その人たちは、PTSDの診断基準を満たしてはいませんでした。べつに大事故に巻き込まれたとか、拷問を受けたとか、奴隷にされたというような、ある意味わかりやすい命の危機に瀕した経験は持っていなかったのです。

私の知っている限り、なんらかの性的被害を受けている人は一定数いましたが、「必ずしも性的な被害を受けていた」というわけではありません。

共通点を挙げるとすれば、「本来、最も安心できるはずの家庭が、危険きわまりない場所であった」ということ。そして「だれよりも自分を守ってくれるはずの親(養育者)が、その人を最も脅かす存在であった」ということでした。

トラウマ

昨今、「複雑性PTSD」という病名がやたらと聞かれるようになりました。とある皇族女性の結婚問題をめぐる報道から、一躍トップワードになりました。

そもそもPTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)とは、命の危機を感じるような圧倒的な出来事に直面したり、それを直接目撃したことなどによる衝撃が発端となります。

「圧倒的な出来事」とは、たとえば戦争や性的被害、災害や事故などです。こうした生命を脅かされるような体験の記憶が自分の意思とは関係なく思い出されたり、悪夢が続いたり、繰り返し体験しているような感じがして、その出来事を想起させるようなことをどうにかして避けようとします。

また、その出来事に関連する記憶が抜け落ちたり、辛さのあまり現実感がなくなったりすることもあります。恐怖や怒り、戦慄、罪悪感などが継続的に感じられ、物事への積極的な興味関心などが薄れてしまいます。

1970年代にベトナム戦争に行った兵士やレイプ被害者への研究が進む中で、アメリカ精神医学会の診断基準である『DSM』に採用されることになりました。

「どうして政府は動かないのか」
「なぜ、だれもが有効とは考えていない緊急事態宣言・蔓延防止等重点措置を出すだけなのか」

憤りを感じながら、全国知事会などが「人の流れを抑えられるロックダウンのような措置を」と要求(『NHK NWES WEB』21年8月20日)するニュースなどを見ていて、ふと思いました。

「もしかしたら、わざと無策を演じているのか」と。

GIGAスクール構想のように

コロナ禍に乗じ、もともと機会をうかがっていた政策や立法の実現を目論んでいるのではないか、という考えが浮かんだのです。

たとえばコロナのおかげで、企業の新たな市場発掘のために進めたかった小中学生にタブレット等の端末を配布して教育現場のネット環境を推進するGIGAスクール構想も前倒しで進みました。関連予算は4600億円超です(『日経NEXT ACTIV』)。

コロナ禍だからこそ、多くの予算を少人数制のための教員増員や子どもが安全に登校できる設備づくりに充てるべきです。子どもは、関係性の中でしか共感能力や自己肯定感を身に着けることはできません。そうした人格形成のための教育を放棄し、教育を金儲けの道具にしてしまいました。

何かを狙っている?

これと同様、自粛という名で責任を国民に押し付け、無策に走るふりをしつつ、何かを狙っているのではないでしょうか。

安倍政権時に、「東京オリンピック・パラリンピックに向けたテロ対策」として、平成の治安維持法とも呼ばれる「テロ等準備罪」(共謀罪)がつくられたように。21年秋に行われる自民党総裁選に立候補している岸田文雄前政調会長が、アフガニスタンからの日本字らの退避をめぐり、自衛隊法を改正すると言い出したように。

恐ろしい妄想

もしかしたらそれは、言うことを聞かない国民や、都合の悪い考えを持つ国民がいたら、規制をかけられるような法律づくり。国が「有事」と判断したら、国民の自由を制限できるような仕組みづくりなのではないでしょうか。

オリパラ強行開催やワクチン供給量の不足など、国の責任は棚上げにして、「自粛しろと言ったのに、国民が従わなかったからコロナが蔓延した」と、今以上に、自分たちにとって都合よく国民をあしらう準備をしているのではないでしょうか。

そんな恐ろしい私の妄想が、妄想であってほしいと祈る今日この頃です。

無策

それにしても日本は、この国の政治家は、権力者たちは、どうしてここまで無策なのでしょう。なぜここまで有効なコロナ対策ができないのでしょうか。

オリンピック・パラリンピックを強行しようというのならば、せめて国民に潤沢なワクチン供給を約束するべきでした。

ジャニーズのコンサートのようにすぐに埋まってしまう予約枠のおかげで、多くの人がワクチンの予約のために無駄な労力を使わされています。ワクチンを打ちたくてもいまだ打てない人がいっぱいいます。

東京都渋谷区に設置された東京都若者ワクチン接種センターに長蛇の列ができたことを見ても、「若者の接種意識は低い」という話も眉唾です。

接種のための予約方法も、少ない供給量を隠すために、わざわざ予約手続きを複雑にしているのではないかというような手間がかかり、とても不親切です。

アメリカでは身近なドラッグストアで簡単に接種予約が取れたり、球場など不特定多数の人が集まる場所で未接種の人にワクチンを打って歩いたりという話も聞いたとき、日本との違いにびっくりするのを通り越し、怒りがわきました。

東京パラリンピックが無観客のまま開幕しました。新型コロナウィルスの全国的な感染拡大の中での開幕です。

この間、海外から来日し選手村に滞在する選手1人を含む新たに10人が新型コロナウイルスに感染したと報道されました。大会組織委員会の発表(24日)によると、東京パラリンピックに関連して新型コロナの検査で新たに陽性反応を示した人は10人。

これで組織委員会が今月12日から発表しているパラリンピック関連の感染者は154人となりました(『NHK NEWS WEB』2021年8月24日) 。

そして何より、不満を持ちつつもオリンピックムードに酔う多くの国民の感覚も、私には理解できませんでした。

国民に行き渡るだけのワクチン供給さえできず、「オリンピック最優先」で日常生活の制限までされているのに、オリンピックが始まるやいなや、街頭インタビューでは「家に帰ってテレビを見るのが楽しみ」だの「日本選手の活躍にワクワクする」といったコメントをする人たちがいました。

関連グッズも飛ぶように売れたそうです。開会前の8倍にも上る勢いだったとか(『Yahoo!ニュース』21年7月28日

英雄や権力者、理想とする人物を真似たり、そういった人々と一体感を味わうことで、劣等感などの満たされない欲求を満たそうとする無意識の働きを精神分析では「同一化」と呼びます。

もしかしたら、多くの日本人が“満たされなさ”を抱えているという証拠かもしれません。

子どもたちは何を受け取る?

今回のオリンピックから、子どもたちはいったい何を学んだしょうか。少なくとも「多様性」も「調和」も「つながり」も学ばなかったことだけは確かでしょう。

「この時期の日本は温暖で晴天が多い」と嘘をついて大会を招致し、森善朗・前組織委員会会長の女性蔑視発言に代表されるパワハラやセクハラ、障害者や容姿への差別などが続出しました。

大会ボランティアの弁当を大量廃棄するなどの食品ロス、大学生をはじめとする子どもたちの動員問題もありました。

大会期間中にコロナ感染者が爆発的に増え、国民の生活と命を危険にさらしても、だれも責任も取ろうとしません。

「力がある者は何をしてもいい」

子どもたちはそんなメッセージを受け取ってはないでしょうか。

パラリンピックに子どもを動員?

こんな状況で、今度はパラリンピックを有観客にするかどうかの議論が行われています。

「小中高校生らが学校単位で参加する『学校連携観戦プログラム』の活用を求める動きがある」というニュース(『毎日新聞』21年8月8日)を見て、腰を抜かしそうになりました。

日本代表選手団の河合純一団長は8月5日に、千葉県庁を訪れ、パラリンピックの有観客へ積極的な姿勢を示していた熊谷俊人知事に子どもたちが観戦できるよう協力を求める要望書を提出したというのです。

思わず小説家で劇作家、俳優でもある筒井康隆氏のエッセイ『狂気の沙汰も金次第』(新潮文庫)というタイトルが頭に浮かびました。

オリンピックは中止にすべき

商業主義オリンピックとなってからどうにも受け入れがたかったオリンピック。しかし、今回ほどで強い嫌悪感を感じたことはありません。
本来の目的を失い、金と利権にまみれた祭典、そして不信と分断、差別と格差を募らせるオリンピックなど、金輪際、行うべきではありません。