10月4日、文部科学省が2022年度の「問題行動・不登校調査」の結果を公表しました。

全国の国公私立小中学校で30日以上欠席した不登校の数は10年連続の増加となり、29万9048人と過去最多を更新しています。『共同通信』(23年10月4日配信)によると、この2年間は前年度からの増加幅が2割を超え、計約10万人の大幅な増加となっているとか。

また、いじめ認知件数は10.8%(6万6597件)増の68万1948件で、身体的被害や長期欠席などが生じた「重大事態」は217件増の923件に上り、いずれも最多でした。

「いじめが理由」は0.3%

不登校といじめの関連性については、常々言われています。が、同調査では、学校が不登校の理由(3つまで選択可)と判断した「いじめ」はなんと954人(0.3%)という少なさでした。

文部科学省は、「必ずしも学校に行く必要はないとの認識が広まったことなどが不登校増加の要因」という認識で(同上)、専門家らから疑問の声が上がっています。

いじめへの認識が違う?

『東京新聞』(23年10月19日)は、他の文科省の各種調査と比較分析した東京電機大の鈴木翔准教授の下記のようなコメントを載せています。鈴木准教授によると、不登校を経験した児童生徒や保護者が直接回答した20年度「不登校児童生徒の実態調査」(20年度)から、不登校のきっかけが「友達のこと(いやがらせや、いじめがあった)」と回答したのは小学生25.2%、中学生25.5%だったそうです。

「(両調査はサンプル数が異なり『単純比較できない』とした上で)「いじめに対する子どもと学校の認識に大きな隔たりがあるのでは」

学校は子どもの世界のほぼすべて

学校は、子どもたちにとって「世界のほぼすべて」です。「1日の大半を過ごす」という物理的な理由だけではありません。友人、知識、価値観、コミュニケーション、所属意識未来など、あらゆるものが学校とつながっています。

子どもからすれば、学校から逃れることなど到底考えれません。

そんな「人生そのもの」の場所が、針のむしろになってしまったとしたら・・・。どれほどの苦痛を味わうことか。その絶望感たるや、想像を絶するほどではないでしょうか。

「怒り」は生き延びるために必要な、最も原始的な意見表明の方法です。
乳児が泣くのは、そこにそのまま捨て置かれたら死んでしまうという恐怖があるからです。だから「こんなところにほおっておくな!」と泣き叫び、助け (関係性)を求めるのです。

さらに言うと、乳幼児は、自分の泣き叫びを受け止め、応えてもらうことによって、「自分は大切なのだ」という自己肯定感や、 「助けを求めれば周囲は手を差し伸べてくれる」という基本的信頼感を育てて行きます。

コロナ禍で増える「~べき」

こうした感覚は、辛く困難が多い人生を生き延びていくために、不可欠なものです。
「怒り」を安心して表出し、受け止められる経験がなければ、自己否定感のほうが強くなり、他者を頼れない孤独で寂しい人間にならざるを得ません。

泣き叫びから、他者に伝わりやすい態度や言葉、やがては意見表明へと洗練されていくはずの「怒り」の表出方法も拙いままになります。それでは、タガが外れれば、制御不能のマグマとして噴出してしまって当然でしょう。
恐ろしいことに、適応的な 「良い子モード」の強要は、コロナ禍を経て、近年ますます加速しているように見えます。あらゆる場所で許容範囲が狭まり、「~べき」が増えているように感じます。

「良い子モード」のトレーニング

たとえば電車の中。「リュックは前に」「会話は控えめに」「席は詰めて」・・・と、 たくさんの「~べき」 のシャワーを浴びせられます。
そんな日本社会では、公共の場所で子どもが駄々をこねたり、大泣きしたりしていたら、鋭い視線が注がれます。親たちは「他者の目」を気にし、子どものコントロールを強めます。

そうして知らず知らずのうちに、空気を呼んで、 同調し、その場に適応するよう、子どもに要求していくのです。それは「良い子モード」でいるよう、子どもをトレーニングしているようなものです。
そのなれの果ては、低い自己肯定感、強い孤独感、低い精神的幸福度を持ったおとなです。そんな不幸な人生を子どもに歩ませるかどうか。それは私たちおとなにかかっています。

私たちは、「PTSDの原因となるトラウマ体験」というと、 生死にかかわるような大きな危機を想像します。

しかし、
「ネガティブな感情表出をよしとしない文化のなかで生きる日本人の場合は、小さな危機だけでも十分に複雑性トラウマの様相を呈する」
という大河原氏の指摘通りだとしたら、通常、虐待とは思わないような行為――たとえば親の別居・離婚、それに伴う片方の親との別離、幼い頃からの受験勉強、親の期待に向けての叱咤激励などーーも、十分に複雑性PTSD の発症リスクとなりえるということです。

日本社会の「べき信仰」

ここからは私見ですが、親との関係を超えて、ネガティブな感情を表出しにくい、 日本社会の特徴があるような気がしています。いわゆる 「べき信仰」 です。

「子どもは無邪気で素直であるべき」
「親は子どもを愛して何よりも優先すべき」
「家族は両親がそろっていて子どもを持つべき」・・・。

そんなたくさんの「べき」 が暗黙の了解として、日本社会には存在します。
そんな「べき」からはみ出したり、違う形をしていると、「それは他言するのがはばかられる、隠すべきこと」ととらえられがちです。

たとえば離婚をめぐって

たとえば、昨今の日本では、三分の一は離婚するという現実があるのに、未だに離婚は「極力避けるべきこと」と考えられ、シングルマザーは「気の毒」で、離婚家庭の子どもは「かわいそう」と思われがちです。

そうした空気を敏感に感じる子どもたちから、こんなセリフを聞いたことがあります。

「友達から 『お父さん (お母さん)はいないの?』 と言われた」
「うちは(離婚しているから) 普通の家ではない」
「お母さんと苗字が違うのは変だと指摘された」

「怒る」ことも許されない

このように日本社会にはネガティブな感情を抱えやすい場面がたくさん存在するのに、そこで感じた気持ちをありのまま出すことが許されないわけです。

「友達にそんなことを言われれる筋合いは無い」
「親のせいでこんな思いをしている」
「どうして自分の悔しさ・悲しさをおとなは分かってくれないのか」

と、怒ってしかるべきなのに、そうした感情・思いは封じられていきます。

もうひとつは『子育てに苦しむ母との心理臨床 EMDR療法による複雑性トラウマからの解放』(日本評論社)です。とくに、第2章「子育て困難と複雑性トラウマの理解」と第3章「EMDR療法による支援」を興味深く読みました。

「よい子モード」だけで生きてきたがゆえに

第2章で筆者の大河原美以氏は、「日本人の場合、一次解離の防衛が機能することで、『(怒りを表出しない)よい子』の自我状態を実現することが『適応』にほかならない側面があるのです。そのため、『スモールt(trauma)だけの体験であっても複雑性トラウマ状態に陥りますし、無意識のうちに複数の自我状態を抱えます。しかし、そのまま症状化はしていない『ふつうの人』がたくさん存在します」(103頁)と述べています。

そして、その理由を「親に愛されるために必要な自我状態だけが『よい子モード』となり、親に愛されるという目的のために邪魔な自我状態は遠ざけられる」(101頁)とし、「出産したあと子育て困難に陥る方たちのほとんどが、この状態にあります。出産前は、『よい子モード』だけで安定して生きることが出来ていたのに、出産したら、これまで封印していたモードが無意識のうちに登場して、混乱が生じてしまう状態です」(103頁)。

日本特有の文化が関係

この記述を読み、私は思わず膝を打つ思いでした。何人ものクライアントさんが、頭に浮かびました。

第3章では、その要因として、日本特有の次のような文化が、複雑性トラウマに陥りやすくさせているのではないかと書いています。

「日本人の場合、基本的に『怒りを表明することは控えるべきこと』という文化のもとで生きているので、つらい経験はたやすく封印され、一次解離(正常な防衛としての解離)のレベルであっても、自我状態がその不快な感情を抱え込んでしまうのではないか」(146頁)

複雑性PTSDとは

ここで、複雑性PTSDについても簡単に記しておきましょう。複雑性PTSDは、 2018年に世界保健機関(WHO) の改訂版国際疾病基準 (ICD-11) で採用されたばかりの比較的新しい概念です。

PTSD同様、衝撃的な経験・体験により発症し、フラッシュバックや悪夢などの従来の特徴に加え、①感情制御の困難、 ② 自分への無価値観、 ③ 人間関係構築の困難などがあります。

PTSD が事故や自然災害のような単回性の外的要因によって起こるのに対し、 複雑性PTSDは長期間にわたり、 繰り返し衝撃的な経験・体験にさらされることによって引き起こされます。
たとえば、 本来、最も愛してくれるはずの親による虐待や、いちばん安心できる場所であるまずの家庭で体験する ACE(逆境的小児期体験) などが関連するでしょう。

最近、非常に興味深く読んだ文献がふたつあります。

ひとつは、逆境的小児期体験(Adverse Childhood Experience : ACE)についての『逆境的小児期体験が子どものこころの健康に及ぼす影響に関する研究』 という論文です。

ACE とは、子ども時代の虐待だけを指すのではありません。「家族に大事にされていない」 「家族の仲が悪い」「だれも守ってくれないと感じた経験」などのストレス要因と、家族内に依存症や精神疾患あった、別居や離婚などによる親との別離、母親への暴力・暴言の目撃など、機能不全家族による逆境的境遇のことです。

ACE が成人期以降の心身の健康に影響を及ぼし、その体験は時の流れによってに癒されるものではないということが明らかになっています。

肥満治療がスタート

ACE研究をアメリカの疫学予防研究センターと共同研究を行ったフェリッティは、もとは肥満治療の専門家でした。どうしても減量できない患者たちの原因究明のための面接で、多くの患者が子ども時代のトラウマを語り、その辛さを解決するため、食べ続けていたことが分かったのです。

フェリッティらは、 小児期に逆境体験が多いほど、社会的、情動的、認知的な問題を可能性が高まり、その結果、暴飲暴食など生活習慣の乱れや、薬物依存や疾病などの危険が高まること。また、犯罪など社会不適応になることも増え、結果として早世の可能性が高まるとし、ACE が寿命に及ぼすメカニズムとして提唱しました。

ACE研究が、「トラウマ体験を持つ子ども」の調査や研究から始まったのではなく、「おとなになってからの健康状態や社会適応の状況」からスタートしたというのは、大変、興味深いことです。
その後のさまざまなACEに関する研究が、ほぼぶれることなく、一様な結果に結びついているのも、そのためでしょう。

日本におけるACE研究では

こうしたACE 研究は、日本ではまだあまり行われていません。

そうした中で、見つけたのが冒頭に紹介した論文でした。論文執筆者である医師らは、自身が関わる「ひとり親家庭」と「乳児院入所児 の保護者と子どもを対象に調査を行い、たとえば「ひとり親家庭」では、反抗挑戦性障害の発症リスクが2倍、反応性愛着障害3.87倍、PTSD3倍、解離性障害7.8倍となるとしました。

同じ日の新聞の表と裏に、「希望と絶望」「理想と現実」「共生社会と競争社会」の縮図が載っているようで、なんとも言えない悲しい気持ちになりました。

皮肉と言えばいいのか、 シュールと言えばいいのか・・・。いまだにうまくこのときの気持ちを表現する言葉が見つかりません。

私も今の社会の一翼を担っている

人と、動物と、自然すべてが、生き生きと輝く空間をつくりたい」という事業ビジョンを掲げる「もーもーガーデン」。

その取り組みには、 100%共感するし、心から応援します。「そんな世界ができたら、なんて素晴らしいのか!」と、その実現を願わずにいられません。

しかし、記事にあった非正規地方公務員の雇止めだけでなく、目先の利益にとらわれて人や動物や自然を破壊し、限られた者だけで利益を貪ろうとする大企業や日本政府。そんな社会の在り方を結果的に支えている、 国民がいるのも事実です。

私もその一翼を担っているのだと思うと、苦いものしかこみ上げてきません。

311後も何一つ変わらなかった

あの東日本大震災(311)を経験し、 あれだけの命と自然が犠牲になったのに。命ほど尊いものは無いと骨身に染みて実感したはずなのに。この国の政策も、選択も、ほとんど何一つ変わっていません。

それどころか、311以後の復興予算の使い方、コロナ対策の在り方、きな臭い世界情勢とこれらにともなう経済逼迫への対応を見ていると、いっそう「目先の利益優先」という風潮が強まっているように見えます。

エネルギー政策が典型例

よく分かるのが、エネルギー政策です。未曾有の人災に見舞われた福島第一原発事故後、いったんは原発依存を見直す雰囲気となり、その後の政権では原発の新増設や建て替えは「想定しない」としてきていました。

ところが昨年末、岸田文雄首相は、(1)次世代原発を開発・建設、(2)既存原発の60年超の運転を認める、という「GX(グリーントランスフォーメーション)」基本方針を決定し、原発回帰の姿勢を鮮明にしたのです。

「ロシアのウクライナ侵略で世界的なエネルギー危機が生じているから」と岸田政権は言います。

理念も信念も無い国の一条の光

一見、正論のように聞こえますが、つまりは「事情が変われば前提を覆すこともある」「窮すれば約束も保護にする」ということです。煎じ詰めれば、「政権運営者としての理念も信念もなく、行き当たりばったりに過ぎない」ということではないでしょうか。

そんな理念も信念も無い国に暮らしているからこそ、過酷な状況の中でもぶれない理想に向かって進もうとする「もーもーガーデン」に一条の光を感じるのかもしれません。

先日、「もーもーガーデン」という、被爆した牛の牧場が福島県大熊町にあることを知りました。 大熊町は、東日本大震災時の原発事故で、今も町の半分が帰還困難区域になっている場所です。

そのため、立入ることができるのは日中のみ。しかも役所の許可が必要で、インフラ整備もされていません。

そんな大変な土地で、飢えに苦しみ、さまよっていた牛を柵内に囲み、牛の「食べて、出す」 力を借りて、①農地を再生し、②山林を保全し、③動物 (野生動物も)と人間と自然の共生を目指す事業を展開しているそうです。

アフガニスタンの若者たちと、日本の若者たち。経済的な豊かさだけでは測れない、希望と絶望を分けるものは、いったい何なのか。番組を見ながら、ずっと考えていました。

たどり着いたのは、「周囲のおとなの違い」ではないかという結論でした。

たとえば、『希望と絶望の分岐点(1)』で書いた「英語教師になりたい」という少年の義兄は次のように話していました。

「(少年はアフガニスタンから逃げてきて)友達と離れて、ひとりで寂しそうだった。本人も手伝いたいと言うし、本人のためになると思ってここ(揚げパン屋)に連れて来た。本当は勉強させてあげて、大学へ行かせてやりたい。自分がやりたいことを選べる人生を送って欲しいから」

これを聞いて、「私だって、自分の子どもに対して同じように考えている」という日本人も多いのではないでしょうか。

日本人のおとなの多くは

しかし、その中身は違うように感じました。アフガニスタンのおとなたちは、「この厳しい現状のなかでも、子どもが自ら最善の道を選べるように」と考えています。

対して、日本のおとなの多くは、まず、おとなの側が選択肢を示します。
必ずしも言葉ではなくても、態度や自分の生き様、ちょっとしたため息などで「これか、あれか、それを選ぶべき」と、子どもに伝えています。

子どもが「学びたいことがあり、大学に行きたいから」ではなく、「大学を出ないと世の中で通用しない(と思い込んで)」子どもにお金や時間を注ぎ込み、それを愛情だと信じて、子どもに期待をかけます。

私は自分らしい人生を選択できているか

そして何より、日本のおとな自身が「こうでなければ」に囚われて生きています。自分の道を切り開いて行こうとするのではなく、日本社会が是とする道からはみ出さないよう、周囲を見て、自分が浮かないように生きています。

「自分が潰されてしまうくらいなら」と故郷を後にし、「自分の人生は自分で切り開いていける」と信じ、進んで行くアフガニスタンのおとなとはまるで違います。

希望と絶望の分岐点。それは自分を偽らず、自らの意思で、自分らしい人生を選択できているかどうかなのではないでしょうか。

はたして私はどうなのか。改めて考えさせられた番組でした。

番組を見て驚いたのは、そんな大変な生活の中でも、多くの人が「未来」や「希望」を語っていたことです。

緑内障の治療のため、バスで22時間かけて病院へ行くという30歳の青年は
「少しでも良くなったら飲食店を立ち上げたい。人間は希望を持っているから生きて行ける。僕は希望を持って前へ進む」
と話していました。

中学3年生で逃げてきたというあるレストランスタッフは、
「希望は捨てていない。いつか学校へ戻れる日が来ると信じている」
と言います。

露店で、義兄とともに揚げパンを売っていた13歳少年は、今は学校に行けていなくても「夢は英語教師」と、覚えたての英語を披露してくれました。

「先の見えない生活」の中にいても、当然のように前に進もうとする人々の瞳は輝いていました。

一か所にカメラを据え、そこにやってくる人々の人生や生活などの人間模様を72時間にわたって定点観測する NHKの『ドキュメント72時間』というドキュメンタリー番組を見ました。

その日の舞台は、パキスタンの首都イスラマバード。アフガニスタン料理のレストランから始まりました。わざわざ「始まった」と書いたのは、なんと撮影開始早々にレストランから撮影を拒否されてしまったから。

その後の撮影は、レストラン近くのストリートで行われ、そこで出会った人の自宅を訪れるなど、異例の展開になっていきました。

身の危険を感じる人がいたため撮影拒否

番組の後半、その理由が明らかになりました。レストランのオーナーが「ドキュメンタリーは価値のあることだからOKしたけれど、お客の中にはタリバンを恐れ、カメラに映ることさえも嫌がる人がいた」と、突然の取材拒否を謝罪したのです。

NHKの同番組(『異国の地 アフガニスタンの食堂で』)の紹介ページには、「40万人以上が隣国パキスタンに逃げてきた」とあります。身の危険を感じる人も多くいたのでしょう。

先の見えない生活

このレストランのスタッフ25人も、全員アフガニスタンから逃げてきた人たちです。彼らは夜になると店内のいたるところで雑魚寝し、朝になると仕込みを始めるそうです。

3人の子どもと妻と一緒に、18時間かけて逃げてきたというコピー店で働く男性は、「日々の食事はタマネギとジャガイモを炒めたものだけ」と話していました。

ストリートで物乞いする女性と小さな子どもたちもいました。ひとりやふたりではありません。何十人という女性や子どもが、みな夫や父親などの大黒柱を失い、買い物客がナンを恵んでくれるのをひたすら待っていました。

アフガニスタンから避難してきた人が夜になると集まるサッカーグラウンドでは「難民として生きるのは大変だし、みんな経済的問題も抱えている」と語られていました。

どの人も、命からがら逃げ延び、異国の地で、先の見えない生活を送っているように見えました。