大谷選手の元通訳の事件に思う(2)
裏切られたショック以前に、「どうにか丸く収める」ことを考えてしまいそうです。それまで公私に分かって共に歩んできた友人が自分の対応ひとつで窮地に陥るのですから、先のことは考えられず、肩代わりを承諾してしまうかもしれません。
大谷選手のすごさ
頭を冷やして、時間をおいて考えれば、「肩代わり」という選択は、だれも幸せにしないと分かります。もし、肩代わりすれば、自らもスポーツ賭博に加担したことになり、その責めを負うことになります。
そうなれば、選手生命が絶たれ、夢半ばで諦めることになりますから、自分をそんなところへと追い込んだ親友への怒りや恨みはさらに大きくなるはずです。
しかしだからと言って、告白されて即座に代理人に連絡を取るなどというマネは、とても私にはできそうもありません。いったい、どんな思いでその冷静な判断を下したのか。大谷選手のすごさを身に染みて感じたエピソードでした。
水原さんの心中は?
そうしなかったのはなぜか。もしかしたら、「もう、こんな辛い毎日は終わりにしたい」「もうこれ以上、親友を裏切らせないよう、だれかに自分を止めて欲しい」という思いがあったのではないでしょうか。
臨床の場で会った人たち
私が臨床の場で会った人たちのなかにも、そんな人たちが何人もいました。
妻に「見てね」と言わんばかりに風俗店の名刺を持ち歩いていた夫、夫に明細が届くクレジットカードで莫大な買い物をしていた妻、恋人が来ると分かっていて浮気相手を招き入れた男性・・・。
だれよりも大切なはずの人を傷つけ、自分を破滅に導くと分かっていながら、その行為を止められないから、「依存症なのだ」と、しみじみと思います。
人生の悲しみに目を向けて
親友を裏切り続け、いつばれるのか分からない毎日を生きるのは、本当に大変なことだったはずです。大谷選手が肩代わりをことわったとき、水原さんはがっかりすると同時に、ほっとしたのではないでしょうか。
「もう、これ以上、嘘をつかなくていいんだ。もう、これ以上、この親友を裏切らなくてすむんだ」と。
犯罪行為は決して許されるものではなりません。しかし、犯罪行為をしたことを責めるよりも、依存症にならざるを得なかった人の人生の悲しみに目を向けてくれるーーそんな社会であって欲しいと切に願います。