小さなうずらの卵が投げかける大きな問題(2)

何もかもおとなが手を出していれば、子どもは、間違ったり、工夫したりしながら、自分の力で達成するという機会を持てません。それでは自己効力感や自信も育ちません。

一定度の刺激(危険なものを含む)を受けることも、実はとても重要なのです。そうした刺激によって、身を守る術や対処方法を知っていくというだけでなく、「安全」な関係や環境、領域などが分かるようになります。
先回りして危険を除去し、守られているばかりでは、「いざ」というときに自分を守ることもできなくなります。

安全基地とは

もちろん、子どもが自らの力を伸ばすには、安心や安全を与えてくれる「安全基地」(慰め、守ってくれるおとな)は不可欠です。しかしそれは、「あらゆる困難の防波堤になってくれるおとな」のことではありません。

安全基地の役割は、子どもが求めているとき(必要なときに)にはきちんと助け、それ以外のときには「どーんと構えて待つ」こと。子どもが冒険したり、傷ついたりして帰ってきたときに、そこでエネルギーを充填できるような場所になることです。

だから間違っても、「子どもが心配」と、くっついて動き回ったりしてはいけません。先回りしてシールドになったり、おろおろとしているのもダメです。
「うずらの卵排除」に象徴される、「あらゆる危険因子を子どもから遠ざけよう」というおとなは、逆に子どもの成長発達を妨げる有害なおとなになってしまいます。
それなのに、なんでもかんでも排除しようという様子に、違和感を感じたのだと思います。

だれも責任を取らない国

それからもう一つ。
「子どもを守る」という、だれもが反論しづらい正論を隠れ蓑に、「面倒ごとは御免被る」という態度が透けて見えたからでしょうか。
子どもは冒険をするものです。・・・というより、冒険することで成長していきます。でも、冒険には危険がつきものです。細心の注意を払っても事故を100%防ぐことはできません。事故が起これば、その責任はおとなが引き受けねばなりません。

そんな手間や労力、責任を引き受けたくないなら、「危険なものはすべて排除」が一番楽です。
小さなうずらの卵が、不正や汚職、裏金にどっぷり浸かった政治家たちが跋扈する「だれも責任を取らないこの国の姿をありありと浮かび上がらせた気がします。

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Posted by 木附千晶