小さなうずらの卵が投げかける大きな問題(1)
2024年2月、福岡県みやま市でうずらの卵をのどに詰まらせ小1男児が死亡するという痛ましい事件がありました。
このニュースがネットで拡散すると、「かわいそう」といったコメントが相次ぎました。
このニュースがネットで拡散すると、「かわいそう」といったコメントが相次ぎました。
ところが翌日、文部科学省が注意喚起を通知し、大分県佐伯市ほかの自治体が、「当面、給食にうずらの卵を使わない」とする通知を出したあたりから、様子は変わっていきす。
「危険要素を排除すればいいのか」「そのうち食べられる物がなくなる」など意見が増えていったのです。
増える過保護・過干渉
私も、「うずらの卵排除」には違和感をもったひとりでした。
今回の一件に限らず、昨今の子どもをめぐる状況(と言いますか、子どもの周囲にいるおとなの状況)を見ていると、どうも「過保護・過干渉すぎる」と感じることが増えている気がしています。
「子どもが危ない目に遭わないように」
「子どもが困らないように」
・・・なんでもかんでも先回り。「子どもの障害物になりそうなものはとことん排除しなければ!」。それこそが、子どもを守ることで、愛することなどだと信じて疑わないおとなが多くなっているように思うのです。
カーリングペアレント
以前、このブログでは「カーリングペアレント」について書きました。子どもの障害物になりそうなものを先回りして取り除こうとする親(おとな)のことです。そうしたおとなの関わりが子どもに与える影響について、以前のブログでは、次のように書いています。
「『先回りして障害物を取り除こうとする』ことで、『子どもの欲求をつぶしてしまって』、結果的に『子どもへの応答性を忘れて親の思い通りに子育てしようとする』から、問題なのです」
今、改めて、当時のブログを読んでみると、ほかにもいろいろと問題がありそうです。