「もやっ」とした年
大きな話で言えば、進まない能登半島の復興、終わらない戦争、自国の利益だけを声高に叫ぶ指導者の乱立・・・などなど、ため息の出ることばかりでした。
能登半島地震から1年が経つというのに、未だ避難所生活を続けている人は多く、住宅の整備すらままならない状況です。円安による建築資材の高騰や建設業の人手不足が原因、と言われます。
一方で、東京は建設ラッシュです。超高層ビルがバンバン建ち、うちの近所でも新築の戸建てが雨後の筍のごとく次々とつくられています。大阪万博の準備も着々と進んでいます。
ロシアによるウクライナ侵攻は止まることを知らず、ガザ地区では子どもを含む4万人以上がイスラエルの攻撃によって亡くなったと報じられています。さらにイスラエルとレバノンやイランとの戦闘にも発展し、中東全体に戦禍が広がる勢いです。
そんな状況を大国は放置したままです。
定着した格差
円安の追い風に乗って大企業の収益は伸び続け、株価はうなぎ上り。富裕層の金融資産はつり上がる一方なのに、日本の雇用の7割を支える中小企業は円安に苦しんで倒産が続出しています(『東京新聞』24年7月21日)。
大企業の収益増で法人税は激増、国の税収が過去最高の78.4兆円になるのに(『日経新聞』24年12月25日)、NPO法人が12月28日に行った食糧配布には通年で最多の人が並び、「食品がないときは、水道水にしょうゆをたらしておなかを満たしました」(52歳女性)という人も(『東京新聞』24年12月28日)。
過保護? それとも優しさ?
近年気になっているのが、「電車の中で当然のように座る子どもと、譲るおとなの図」です。もちろん、幼児なら気にしません。が、遊び盛りの小学生や元気盛りの中学生が当然の顔をして空いた席に座り、一緒にいるおとなが立っています。立っているおとながランドセルを持ってあげていることもあります。
それが祖父母であったりすると、なおさら「もやっ」と感が募ります。
同じような違和感
同じような違和感は、けっこうな大きさの子どもを自転車の幼児用座席に乗せ、必死で自転車をこぐおとなとすれ違ったときにも感じます。
自転車の幼児用座席に乗せることができる子どもの年齢制限が、46都道府県で「6歳未満」から「小学校入学まで」に緩和されたせいなのか? それにしては妙に大きなサイズの子どもが乗っていたりします。
ときには、祖父母と思わしき初老の人物が、自転車で孫(とおぼしき小中学生)を幼児用座席に座らせ、よたよたしながら運んでいる姿にも出くわします。「無理せず子ども自身に自転車をこいでもらったほうが良いのでは」と心配になることもしばしばです。
来年の抱負
今年はぜんぜんブログを更新できませんでした。来年こそは、こうした「もやっ」とした思いを文章にして、発信していきたいと思っています。
みなさんどうぞ、よいお年をお迎えください。