早いもので、このブログを始めてからもう一年以上がたちました。多くの方々に支えられ、続けてくることができました。改めてお礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

格差社会から貧困社会へ

旧年中は、もう少し明るい話題を提供したいと思いつつ、なかなかそうもいきませんでした。

とにかく一昨年末の教育基本法「改正」以来、どんどん子どもの暮らす世界は窮屈になっていきました。保育や福祉の分野にもでも「自由化」という耳障りのいい言葉で、競争原理が入り込み、とても安心して子育てできない環境が広がっています(よっぽどお金があれば別ですが・・・)。

「格差社会」が問題視されたのも今は昔。すでに日本の社会問題は「貧困」です。

日本は、OECD(経済協力開発機構)諸国の中で、平均所得に満たない人の比率(相対的貧困率)がアメリカに次いで2位。国民健康保険の保険料が払えず、医療にかかれないまま死亡する例も出始めています(『東京新聞』1月4日付)。
また、OECDの資料から割り出した子どもの貧困率は他の加盟諸国が減少傾向なのに反して増加傾向を示しています(『保育白書』2007年版)。

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残酷な現実

しかも、すべてを市場原理と経済効率に任せ、人と人との繋がりを断つ残酷な社会をつくってきた張本人(資産家や政治家、財界人など)たちは、生活に困窮し、孤独に陥った人々を「個人の責任」と切り捨てようとしています。
そして、自分たちの利益を上げるためにつくり出した格差社会を「努力した者が報われる社会」などと呼んで、知らんふりを決め込んでいます。

「再チャレンジ」という言葉がお好きな政治家もいらっしゃいますが、実際には結果の出ない再チャレンジに疲れたり、そんな気力も持てないまま「自分が悪い」「自分は役立たず」と、あきらめていく子どもやおとなが増えています。

そんな現実と、それらがつくり出す人々の生きづらさを直視しようとすればするほど、明るい話題から遠ざかってしまいました。

昨年の年頭には「やり直しのきかない人生などない」とのタイトルでブログを書かせていただきました。が、皮肉にも昨年は「やり直すためのエネルギーや人間関係を奪われて生きざるを得ない」人々が増えたことを実感した年でした。

愛馬の死

「でも、そんな世の中は間違っている!」と、いつも以上にきわめて個人的な出来事から、今回は書かせていただきたいと思います。

実は1月1日に、17年を共にした愛馬が永眠しました。(続く…

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こんな個人的な話題をあえて書かせていただこうと思った理由は、ふたつあります。
ひとつは、私自身が抱える大きな喪失感を乗り越えるために、語らせていただく必要をとても感じているということ。

そしてもうひとつは、もし、愛馬がいなければカウンセラーという仕事に就くことはなく、当然、このブログも存在しなかっただろうと、その死を通して気づかされたからです。

極めて過酷な馬の人生

image080116.jpg よっぽど競馬で活躍したり、由緒正しき血統の乗馬馬であったりしない限り、馬の人生は極めて過酷です。その美しい容姿や、競馬場を駆け抜ける勇姿からは想像もできないほどです。

今の日本で、多くの人が馬を目にする機会と言えば、競馬場か競馬に関する宣伝でしょう。
競馬馬の中には、たくさんのレースで勝ち、芸能人並に人気のある馬もいます。でも、そうやって一握りの馬がもてはやされる反面で、多くの馬が「用済み」として葬られていく事実を多くの人は知りません。たとえ競馬場に問い合わせても、そんな話は絶対にしてくれないでしょう。

古来より人間の身近にいて農耕や狩りなどの重要なパートナーを努めてきた馬は、国策の転換に翻弄され、人間の都合に振り回されてきた“経済動物”です。
農業が機械化されればお払い箱になり、戦時中は外来種のような強い馬づくりのために在来馬が駆逐されました。

現在、日本ではほとんどの馬が競走馬(競馬馬)として生産されていますが、生産は過剰です。しかも、体の出来上がらない3・4歳のうちから無理やりレースに参加させられるため、故障する馬も少なくありません。競馬馬の8割以上が胃潰瘍にかかっているという話もあります。
そして、レースでいい成績の出せない馬、故障した馬は淘汰されていきます。食用になるのです。

天寿をまっとうできる馬はまれ

乗馬馬や観光牧場の馬などになって人生をやり直せる馬はごくわずかです。

受け入れ先である乗馬クラブなどが絶対的に少ないということもありますが、レースに勝つために強迫的に追い立てられてきた競馬馬を調教し直すことはかなり難しいことです。
その馬の気質にもよりますが、早く走るために必要なことだけを教え込まれた馬に、ゆったりと人を乗せることを教えるのはたやすいことではなく、そんな時間とお金をかけて調教し直してくれる人間に出会える幸運な馬は数えるほどしかいません。[参照:競走馬の文化史 優駿になれなかった馬たちへ抜粋]。

生き残りをかけた狭き門を無事くぐり抜けた馬たちも、安心はできません。怪我をしたり、年をとったりして人を乗せられなくなればすぐに「サヨウナラ」です。酷使されることも多く、たいていの馬は寿命に満たないうちにどこかを患います。

そして、「最後の家」(肥育家)に送られます。人間のために、文字通り身を粉にして働いてきたというのに、その「最後の家」の環境が劣悪であることも、少なくないといいます。

幾重にもふるいにかけられる人生を生き延び、天寿をまっとうできる馬は、本当にまれなのです(興味のある方は、ぜひ『競走馬の文化史—優駿になれなかった馬たちへ』/青木 玲著・筑摩書房をご一読ください)。(続く…

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image080121.jpg 私が馬の一生を知ったきっかけは、愛馬が足腰を痛めたためでした。もう15年ほど前になります。それまで全国大会で入賞を果たしていた馬だったため、乗馬クラブからこう勧められたのです。

「競技を続けたいなら、馬を買い換えた方がいい。今、手放せば、高く売れる」

そう言われて頭に浮かんだのは、以前に持っていた馬のことでした。
その数年前、私は馬を買い換えていました。当時の私は、馬の人生がどんなものかなどまったく知りませんでした。自分が手放した後も、ずっとだれかの自馬(オーナーのいる馬)としてかわいがられて生きていくと思っていました。だから、いつでも会いに行けると信じていたのです。

ところが、1年とたたないうちに、その馬の行方は分からなくなってしまいました。だれに聞いても、いったいどこへ売られていったのか教えてくれません。
それが馬をあつかう世界のルールであり、おかげで馬とかかわった人が「きっとどこかで元気に生きているはずだ」と、はかない夢を見続けることができるのだと分かったのは、後になってからでした。

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役に立たなくてごめんなさい

前の馬のことがあり、ふんぎりのつかないまま時間だけが過ぎていきました。愛馬は、競技に出ると、またすぐに休ませなければいけない状態の繰り返し。競技会での成績も以前ほど振るわなくなってきており、全盛期を過ぎたことは明確でした。

そんな折、愛馬のあつかいをめぐって乗馬クラブの担当者とトラブルになり、急遽、新しい預け先を探さなければいけなくなりました。
・・・とは言え、一生、馬を養い続ける自信はありませんでした。動物愛護団体やら、牧場やらを回り、どうにか一生のんびり暮らせる方法はないかと探しました。
そうした中で「過酷な馬の人生」のことを知ったのです。

前回紹介した『競走馬の文化史—優駿になれなかった馬たちへ』(筑摩書房)という本も、このとき知りました。この本の「最後の家」という頁に、肩身狭そうに横たわっている馬の写真があるのですが、その目が「大きくて邪魔でごめんなさい」「役に立たなくてごめんなさい」・・・そう、つぶやいている気がして、心が痛みました。

馬は経済動物だけど・・・

「馬は経済動物なのだから仕方がない」

そんな声が、どこかから聞こえてきそうです。
私も否定はしません。人間のために働いてもらったり、命の糧として食したりすることを間違っているなどと言うつもりは毛頭ありません。

多くの人を競馬場に呼び込み、早い馬をつくるために過剰生産し、ほんのわずかなタイムを競わせる。人間の勝手で競走馬としてしか生きていけないよう早くから調教し、体も出来上がらないうちから無理に走らせる。そして、人間の期待に応えられなければ、ほとんどの馬が生きる道を閉ざされてしまうというシステムに疑問を感じているだけです。

馬がどんなに働いても、その利益が無冠の競走馬や、活躍できなかった乗馬馬たちに回ることはありません。欧米には多い養老馬牧場も、日本には数える程しかありません。

さらに、そんな事実を覆い隠し、イメージだけを売り込むことも、どうかと思います。
せめて人間の都合で生産され、競争させられ、酷使され、そして殺されていく馬の一生を「美しいイメージ」でカモフラージュするのは止めるべきではないでしょうか。
「癒されるから」と競馬場や乗馬クラブを訪れる馬好きの人たちに、馬の一生をきちんと知らせた上で、「それでももっと能力の高い馬がいいですか?」と、問いかけてみることも必要なのではないでしょうか。

「これからの馬の運命を決めていくのは、結局、私たち人間の欲望であり、夢なのだから」(『競走馬の文化史—優駿になれなかった馬たちへ』162ページ)(続く…

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今までに何度か、このブログを読んでくださった方はもうお気づきかもしれません。
馬の世界は、今の日本社会にとてもよく似ていませんか?

効率と競争によって、選別し、経済的な利益を生まない者は「役立たず」として淘汰する。そして、それを「本人の問題」としてあきらめさせ、肩身の狭い人生を余儀なくさせていく・・・。

前回のブログ(「子どもの『うつ』と『あきらめ』」)でも書いた、中学3年生と小学6年生を対象に行われた全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)も、選別のための装置に過ぎません。

「自由」「規制緩和」「改革」などの響きの良い言葉でごまかしながら、不安定雇用、福祉の縮小、経済格差などの現実がつくられ、社会の価値に合わない者、競争の土俵に乗れない者は、はじかれるというシステムが出来上がっています。
こうした社会は、私たちから人間関係を奪い、情緒を剥奪し、子育てや教育をうまくできないようにし、子を支配し、依存せざるを得ない親を増やし、孤独で寂しい人々を生んでいます。

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「効率優先の競争社会では、人々の心の中に、厳しい自己監視装置が内蔵され、この自己査定によって、人々は自らを上級、中級、下級品ないし市場に出せない企画はずれと考えるようになっている。このような社会の中では、他者と親密であることの価値よりも、自らの市場価値の方が優先される」(『家族の闇をさぐる—現代の親子関係』/斎藤学著・小学館 50ページ)からです。

国際競争時代だから仕方がない?

「国際競争時代なんだから仕方がない」

今度は、そんな声が聞こえてきそうです。
でも、貧困層が膨らむ一方で大企業が空前の利益を上げ、富裕層の資産は拡大しています。「国際競争に備える」を錦の御旗に、利益を独り占めにしている人々が、確かに存在しているのです。

企業が儲けをどれだけ労働者に配分したのかを示す労働分配率は2000年代に入ってから急下降。利益は、生活に困窮する人々を救うためではなく、株主や企業内部に溜め込まれています(『東京新聞』1月8日)。

1960年代には企業と個人がほぼ半々で支えていた税収も、90年代以降は個人負担が増えていきました。2002年には企業は約20%、個人が約45%となるなど、開きが大きくなっています(『週刊金曜日』2005年9月9日)。それにもかかわらず、今度は消費税率アップの話が出ています。

働かざる者、食うべからず?

「働かざる者、食うべからず」という諺があります。
そもそもこの諺の是非については、大いに異論があります。命ある者は、その存在そのものにかけがえのない尊厳があるからです。
が、ここでは100歩譲って言わせてもらいます。

産まれた直後からから競わせ、おとな(人間)の思い通りにならなければ生きていけないようにつくりあげ、生きるエネルギーを奪って働けない状況に追い込んでいるのは、いったいだれなのでしょう?
朝に晩に体を壊すほど懸命に働いている人よりも、右から左へちょっと資産を動かすだけで莫大な利益を手にする人々の方が働き者だと言えますか?

経済を最優先させるシステムの残酷さとごまかし。ーーそれを最初に、実感を持って教えてくれたのが、元競走馬だった愛馬でした。
その存在がなければ、きっと私が今のような視点を持って相談や執筆に携わることはなかったことでしょう。(続く…

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image080213.jpg 私がセラピーに興味を持ち、心理を学び、子どもや家族問題にかかわるようになったのも愛馬のことがきっかけでした。

故障した愛馬の預け先を探す中で、ハンディキャップを負った子どもを対象にしたホースセラピーを知ったのです。
・・・とは言え、最初は「もっと日本にホースセラピーが定着すれば、行き場のない馬たちの受け入れ先が増えるのでは?」と思っただけ。

でも、馬と接することで変わっていく子どもたち、何より子どもたちが秘めたパワーに驚かされ、その可能性に惹きつけられました。そして、あらゆる人間が生来持って生まれてくるこうしたさまざまな能力の“芽”をつみ取ってしまうものは何なのかと考えるようになり、自分の子ども時代についても考える機会を得ました。

心理学を学ぶことを勧めてくれたのも、ホースセラピーを通して知ったある研究者の方でした。
それから大学院に入り、心理を学ぶまでには、さらに5年もの月日がかかりましたが、私の中で、心理学への興味が沸き、さらには「子どもと家族の問題に取り組む」という、今後、自分がかかわるべき方向性を見つけることができました。

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最後のプレゼント

さらに昨年の暮れ、愛馬がとても素敵な最後のプレゼントをくれました。

昨年11月に、あるテレビ番組で愛馬と乗馬クラブの犬の友情が取り上げられました。脚が変形し、ここ数ヶ月、馬房から出られずにいた愛馬の脚を犬がなめたり、励ましたりしている様子が放映されたのです。

その番組を偶然、見ていたのが、愛馬を生産した牧場のオーナーご夫婦でした。お二人は「26年前にうちの牧場で産まれた馬だ!」とすぐに気づき、遠路わざわざ、乗馬クラブを訪ねてくださったのです。

ずっと馬名を変えていなかったこと(馬はオーナーが変わるたびに名前を変えるのが普通です)、顔の模様が印象深かったことなどもありますが、何より、競走馬らしからぬ(つまり競争に向かない)おっとりした性格だったことが、ご夫婦の印象に残っていたのだとか。

ご夫婦は愛馬をなでながら「まさか26年前にうちで産まれた馬に会えるとは思ってもいなかった」と、とても感激されていたそうです。そして後日、4箱ものリンゴ(うち1箱は人間用)を乗馬クラブに送ってくださいました。

私が乗馬クラブのスタッフからその話を聞いたのは、愛馬が息を引き取ったあとでした。まるで最期に

「出会いをあきらめなければ、人生は変えることができるはず」

ーーーそんなメッセージをみんなに残してくれたかのようです。(続く…

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image080205.jpg ところで、愛馬と乗馬クラブの犬は大の仲良しでした。
たとえば寒い冬の夜、愛馬は自分の夜食である干草を、暖を取るために犬小屋に貸してあげていました。そして犬は、朝、愛馬がお腹を空かした時間になるとちゃんと干草を返してくれていました。

過去何度か、愛馬が倒れたときも、真っ先に気づいて大騒ぎするのはその犬で、状態の悪いときは、乗馬クラブのスタッフと一緒に、寝ずに看病してくれました。スタッフたちは、犬の様子から愛馬の病状が深刻なものかどうか判断していたほどです。

最期の日も、犬は、愛馬が倒れた際にすりむいた傷をきれいになめてくれました。そしてもう動かなくなった愛馬の馬着をひっぱり、耳元で吠え、どうにか起こそうと必死になっていました。


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私が駆けつけたとき、すでに愛馬は息絶えていたのですが、犬は私に「何とかしろ!」と言いたげに、ずっと訴えていました。日頃はそんなふうに人に向かって吠えない犬なのに、です。
その日はほんとうに一日中、ずっーと吠え続け、時折、愛馬を見つめては悲しそうに鼻を鳴らすのです。

その犬にとっても、愛馬は他の馬とは違う、特別な存在だったのでしょう。もう歩けないほど足が弱っても、体が衰え、やせ細っていても、他の馬では代わりにならない、唯一無二の存在だったに違いありません。

私が、今の乗馬クラブに愛馬を預け代えてから15年くらいがたっていますが、その間、ふたり(一頭と一匹)は、1日と離れたことがないのです。お互いの存在が、もう自分の一部のようになっていたのでしょう。

「千の風になる」ということ

『千の風になって』という詩(歌)がヒットしています。私は今まで、その意味を「亡くなった者も温かい思い出として、残された人を元気づけたり、心の中で生き続けたりしていく」というくらいに考えていました。

けれども、そんな簡単な意味ではなかったのだと、今は思います。
亡くなった者と過ごした時間、その存在があったからこそやってきたこと、考えたこと、出合った人・・・そうやって積み上げられた歴史が、今の私の人生であり、生活であり、私という人間の一部になっています。

もし、愛馬の存在がなければ、もし、出合ったのが他の馬であったら、今ここにいる私は、また違う人間になっていたはずです。
だからこそ、あらゆる生命はその存在そのものに価値があり、生きとし生ける者はすべてかけがえがないのです。

私の一部となった愛馬は、これからも私と共に生き続け、未来をもつくっていきます。それが「亡くなっても、残った者とともに生き続けるということなのだ」と、愛馬は教えてくれました。

実は、まだ夢の段階ですが、愛馬が引き合わせてくれた多くの人たちと一緒に、愛馬の遺志(?)を継ぎ、ホースセラピーができる場をつくれないかと、新たな展開も考えているところです。

最後にかえて

私が愛馬の残したメッセージを未来につながるものと受け止められるよう、私の傷みに寄り添い、悲しみを分かち合ってくださった人々に感謝したいと思います。

そして、最後になりますが、こうした長い長い語りの場を与えてくださり、さらにそれを読んでくださったすべての方々に、心よりお礼申し上げます。

最近、「地域が崩壊した」と言われることが多くなりました。
ただ、個人的には「崩壊させられた」という感が強くあります。

たとえば、学校を中心とした地域社会の崩壊について考えてみましょう。

その原因のひとつには、学校選択制や学校統廃合などが進んだことがあります。住んでいる場所から遠いところに通う子どもが増えれば、当然、保護者同士のつながりが薄れます。教師には家庭訪問しにくくなり、通学中の子どもが地域の人から声をかけられることも減ります。教師は、校外で子どもたちが何をしているのか分からなくなります。

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親の学校不信

親の学校不信も深刻です。「学校に任しているだけでは、きちんとした学力がつかない」という不安感と言った方がいいでしょうか。

文部科学省の『子どもの学校外での学習活動に関する実態調査』によると、「学習塾通いが過熱している」と考える保護者は6割にもなり、その理由として「学校だけの学習への不安がある」を挙げています。
また、公立小中学校の家庭で学習塾等にかける補助学習費は年々、過去最高額を更新しています(文部科学省『子どもの学習費調査』。東京都では、低所得層の子どもに塾代を融資する対策も始めました。

つくり出された崩壊

一見、「時代の流れ」のように見えますが、ちゃんと裏があります。
学校選択制や学校統廃合は、国が方向性を示し、各自治体が率先して行ってきたことです。「いじめられた子が他の学校にも行きやすいように」とか「親のニーズに応えられる多様性のある学校づくり」などと言いながら、実際には、自治体の教育費負担を減らし、親が選択しなければいけないような雰囲気をつくってきました。

「学力不振」(学力の二極化)も、同じようにつくりだされてきたものです。
まずは教師を徹底的に管理し、「物言えぬ教師」にするため人事考課制度や数値目標で縛ると同時に事務仕事を激増させて、子どもと向き合う時間を奪いました。

その一方で、「ゆとり教育」を柱とする学習指導要領に改定して公教育費を削減するために平等教育を解体しました。簡単に言うと、それまでの「どんな子どももできるようになるまで」という教育から「できる子には手厚く、それ以外には最低限で」という教育へと移行させたのです。

つい先日発表されたOECD調査によると、日本の公教育費はOECD加盟国中、最下位です。

企業の利益に貢献

こうした政策によって、学習塾や教育産業の利益に貢献し、企業が学校教育に携わる機会を増やしました。

最近では、大手金融機関による金融教育、金融広報中央委員会が行う教師向けのセミナー、東京証券取引所が作成した「株式学習ゲーム」。マクドナルドやカルビーなど子どもが大好きなジャンクフード会社が行う食育にNTTドコモによる携帯電話の安全な使い方の授業・・・。挙げればキリがないほどです。
教育内容をコーディネイトする教育コンサルタント会社も業績を伸ばしています。また、東京都杉並区立和田中(和田中)のように塾と連携した受験対策をする学校も出てきています(「『人と生きる』ことを学ぶ学校」参照)。

上からの地域づくりは無駄

施策として地域を崩壊させ、人と人とのつながりを断っておきながら、一方で「地域の安心安全」として地域ボランティアによる防犯パトロールなどを強化し、住民同士が監視し合う仕組みをつくってきました(「子どもが危ない」参照)。

また、今年度からは50億4千万円をかけた学校支援地域本部事業も始まりました。今年度中に全国1800カ所に学校支援地域本部をつくるのだそうです。
建前は「学校を中心とした地域の再生」「外部人材の登用で教師の負担を減らす」となっていますが、先行して本部づくりが行われてきた和田中では、本部が企業に入ってくるためのトンネルになり、受け皿になってしまっています。

こんな「上からの」方法では絶対に「人と人のつながり」のある地域にはなりません。

次回の予告

どんどんかたい話になってきてしまいました。そろそろ切り上げましょう。
次回からは、足下から地域を再生する猫の話をご紹介したいと思います。(続く…

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image_080926.jpg その猫は、駅前の商店街で暮らしている三毛猫(女の子)。
商店街の人々や通行人がご飯をあげ、雨宿りの場所を提供し、避妊をし、かれこれ10数年、そこで暮らしています。いわゆる「地域猫」です。

駅前開発や店主の引退などでかわいがってくれていた人が去っても、また別にかわいがってくれる人を見つけては、地域猫としてたくましく生きてきました。
だれが付けた名前か分かりませんが、みんな「ミーちゃん」と呼んでいます。

人間で言えば、おそらくもう70歳くらい。かつて交通事故に遭ったため、左前足が内側に曲がっています。
でも、まだまだ元気。ものすごい早さで駐車場を走ったり、フェンス越えもなんのそので自由に動き回っています。食欲も旺盛で、いつも通る人に向かって「ごは〜ん、ごは〜ん」と鳴いています。

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大きな受難

10年以上もそこで暮らし、いるのが当たり前だったミーちゃん。もうすっかり風景に溶け込だようになっていましたが、今年になってその存在感を知らしめる出来事が起きました。大きな受難に遭遇したのです。

それは4月のあたまのことでした。何者かがミーちゃんを捕まえ、遠くの公園に捨てたのです。たまたま見かけていたずら心が動いたのか、それとも故意に狙ったのか。それはいまだに分かりません。
とにかくミーちゃんをかわいがっている人のお店がすべて休みの日の出来事でした。

最初に異変に気づいたのは、最近、メインで世話をしている美容院の経営者でした。かつてミーちゃんをとてもかわいがっていた小料理屋さんが閉店して1年あまり。その美容院には、ほぼ毎日ご飯を食べに来ていました。台風や雷の晩には、店に泊まったりもしていました。それなのに休日明けから4日たっても姿が見えなかったのです。(続く…

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捜索開始

隣の飲み屋さんや、道を挟んだ隣の八百屋さん、向かいの割烹料理屋さんや数件先の居酒屋さんなどと声をかけあい、それぞれの店に来るお客さんにも聞いてみたりしながら、ミーちゃん探しが始まりました。

まずは自治体の動物保護しているセンター(昔でいう保健所)や、警察などに連絡。ミーちゃんらしき猫が保護されていないか確認しました。次に迷子のポスターをつくることにしました。実は私も、このポスターづくりを手伝いました。

ところが、困ったことに肝心のミーちゃんの写真がありません。みんな「前の携帯電話に保存していた」とか「昔のパソコンに取り込んでいた」などと言い、今は持っていないというのです。

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しょうがないので、パソコンでイラストの素材集から猫の絵を取り込み、似た模様に色づけをしてポスターをつくりました。そして迷子の呼びかけと一緒に「写真を持っている方はご連絡ください」と、美容院の電話番号を書き込みました。

ちなみに、イラスト素材を提供してくれたのは、このブログを管理してくださっているIFFの方です。

すごい反響

ポスターを貼ったところ、すごい反響がありました。
それまで、まったくあいさつもしたことがなかった通行人の人たちまでが、ポスターに足を止め、ときに涙ぐみながら美容院を訪れてはミーちゃんの行方を尋ねるようになりました。

それはもう驚くくらいたくさんの人たちでした。毎朝、駅に行く途中にご飯をあげていたOLさん姉妹、近所の歯医者さんやそこに勤める衛生士さん、買い物で通っていた主婦の方、人工透析を受けに病院に行く道すがらミーちゃんになぐさめられていたご夫婦、幼稚園の行き帰りに通っていた親子、駅を利用している高校生や商店街を通学路にしていた小学生・・・などなど、挙げればキリがありません。

そして毎日5〜6人の人が、美容院の周辺でミーちゃんにご飯をあげていたことが分かりました。

実はミーちゃんが避妊手術をしていたことも、このときに分かったのです。
なんと、裏通りにある金物屋さんがやってくれていました。そのうえ金物屋さんは、かつてミーちゃんが産んだ子猫たちを全員、育てていました。全部で7匹にもなります。

本当はミーちゃんも飼い猫にしようと思ったそうなのですが、何度、家に連れ帰ってもまた商店街に戻って行ってしまったとのこと。
「でも、商店街の人に首輪もつけてもらってみんなにかわいがられているから」と、毎日ご飯だけをあげに来ていたことが分かりました。(続く…

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毎日、出勤前と帰宅時にご飯をあげていたOLさん姉妹は、土日になると自転車を飛ばして近所を探して歩きました。日々の寝床を提供していた美容院の人たちは空き家やビルの隙間を捜索。
いつも美容院に来ていたあるお客さんは、「遠くで見かけたこともあるから」と、半径1キロ以内を探して歩きました。
美容院の経営者は、「遠くに連れて行かれたかもしれないから・・・」と、休みの日に車で、野良猫が多いと評判の公園や河川敷なども見に行きました。

割烹屋さんの板前さんが「隣駅のスーパーの駐車場で似た猫を見た」との情報が入り、一縷の望みをかけて私も探しに行きました。

それ以外にも相変わらず大勢の人が、美容院のドアを開けては「ミーちゃん、見つかった?」と声をかけて行きました。

いつもミーちゃんと会うことが楽しみで母親と一緒に美容院に来ていたという幼稚園の子は、

「だれかに連れて行かれちゃったのかな? 猫は意地悪すると化けて出るっていうから、そういうことした人は怖い目に遭うよ」

と泣いていたとか。

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写真が届いた!

そんなことが続いていたある日、とある男性が美容院のドアを叩きました。

「これ、よかったら使ってください」

そう言って、ミーちゃんの写真をCDに入れて置いて行ってくれたのです。
もちろん、それまで美容院に来たことがあるわけでもない、まったく見ず知らずの間柄でした。

男性が訪ねて来た日は日曜日。「平日は早朝から仕事に行ってしまうため、なかなかお店が開いている時間に届けられませんでした」と、わざわざ休みの日に届けてくれたのです。

そのうちの1枚が、前にこのブログに掲載されていた写真です。

写真入りのポスターを作成

すぐにポスターをつくり直し、今度は写真入りのものを貼りました。近所にも配りました。
さらにインターネットの「迷子猫サイト」にも登録しました。

すると、もっと多くの人からも反響がありました。
「うちのお店にも貼ってあげる」と言うスナックや料理屋さん。
「児童館に貼らせてもらえないか聞いてみる」と言ってくれた主婦。
「自治会の集まりで配りたいからたくさんチラシが欲しい」と電話をかけてきてくれた美容院のお客さん。

・・・それこそ挙げればキリがないほどの人たちが、毎日毎日、ミーちゃんを見つけるために奮闘していました。

私も「ポスターが欲しい」と言う人がいるたびに、メールやファックスで送ったりました。(続く…