早いもので、このブログを始めてからもう一年以上がたちました。多くの方々に支えられ、続けてくることができました。改めてお礼申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
格差社会から貧困社会へ
旧年中は、もう少し明るい話題を提供したいと思いつつ、なかなかそうもいきませんでした。
とにかく一昨年末の教育基本法「改正」以来、どんどん子どもの暮らす世界は窮屈になっていきました。保育や福祉の分野にもでも「自由化」という耳障りのいい言葉で、競争原理が入り込み、とても安心して子育てできない環境が広がっています(よっぽどお金があれば別ですが・・・)。
「格差社会」が問題視されたのも今は昔。すでに日本の社会問題は「貧困」です。
日本は、OECD(経済協力開発機構)諸国の中で、平均所得に満たない人の比率(相対的貧困率)がアメリカに次いで2位。国民健康保険の保険料が払えず、医療にかかれないまま死亡する例も出始めています(『東京新聞』1月4日付)。
また、OECDの資料から割り出した子どもの貧困率は他の加盟諸国が減少傾向なのに反して増加傾向を示しています(『保育白書』2007年版)。
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残酷な現実
しかも、すべてを市場原理と経済効率に任せ、人と人との繋がりを断つ残酷な社会をつくってきた張本人(資産家や政治家、財界人など)たちは、生活に困窮し、孤独に陥った人々を「個人の責任」と切り捨てようとしています。
そして、自分たちの利益を上げるためにつくり出した格差社会を「努力した者が報われる社会」などと呼んで、知らんふりを決め込んでいます。
「再チャレンジ」という言葉がお好きな政治家もいらっしゃいますが、実際には結果の出ない再チャレンジに疲れたり、そんな気力も持てないまま「自分が悪い」「自分は役立たず」と、あきらめていく子どもやおとなが増えています。
そんな現実と、それらがつくり出す人々の生きづらさを直視しようとすればするほど、明るい話題から遠ざかってしまいました。
昨年の年頭には「やり直しのきかない人生などない」とのタイトルでブログを書かせていただきました。が、皮肉にも昨年は「やり直すためのエネルギーや人間関係を奪われて生きざるを得ない」人々が増えたことを実感した年でした。
愛馬の死
「でも、そんな世の中は間違っている!」と、いつも以上にきわめて個人的な出来事から、今回は書かせていただきたいと思います。
実は1月1日に、17年を共にした愛馬が永眠しました。(続く…)

よっぽど競馬で活躍したり、由緒正しき血統の乗馬馬であったりしない限り、馬の人生は極めて過酷です。その美しい容姿や、競馬場を駆け抜ける勇姿からは想像もできないほどです。
私が馬の一生を知ったきっかけは、愛馬が足腰を痛めたためでした。もう15年ほど前になります。それまで全国大会で入賞を果たしていた馬だったため、乗馬クラブからこう勧められたのです。
私がセラピーに興味を持ち、心理を学び、子どもや家族問題にかかわるようになったのも愛馬のことがきっかけでした。
ところで、愛馬と乗馬クラブの犬は大の仲良しでした。
その猫は、駅前の商店街で暮らしている三毛猫(女の子)。