愛馬が教えてくれたこと(4/6)

2019年5月29日

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今までに何度か、このブログを読んでくださった方はもうお気づきかもしれません。
馬の世界は、今の日本社会にとてもよく似ていませんか?

効率と競争によって、選別し、経済的な利益を生まない者は「役立たず」として淘汰する。そして、それを「本人の問題」としてあきらめさせ、肩身の狭い人生を余儀なくさせていく・・・。

前回のブログ(「子どもの『うつ』と『あきらめ』」)でも書いた、中学3年生と小学6年生を対象に行われた全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)も、選別のための装置に過ぎません。

「自由」「規制緩和」「改革」などの響きの良い言葉でごまかしながら、不安定雇用、福祉の縮小、経済格差などの現実がつくられ、社会の価値に合わない者、競争の土俵に乗れない者は、はじかれるというシステムが出来上がっています。
こうした社会は、私たちから人間関係を奪い、情緒を剥奪し、子育てや教育をうまくできないようにし、子を支配し、依存せざるを得ない親を増やし、孤独で寂しい人々を生んでいます。

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「効率優先の競争社会では、人々の心の中に、厳しい自己監視装置が内蔵され、この自己査定によって、人々は自らを上級、中級、下級品ないし市場に出せない企画はずれと考えるようになっている。このような社会の中では、他者と親密であることの価値よりも、自らの市場価値の方が優先される」(『家族の闇をさぐる—現代の親子関係』/斎藤学著・小学館 50ページ)からです。

国際競争時代だから仕方がない?

「国際競争時代なんだから仕方がない」

今度は、そんな声が聞こえてきそうです。
でも、貧困層が膨らむ一方で大企業が空前の利益を上げ、富裕層の資産は拡大しています。「国際競争に備える」を錦の御旗に、利益を独り占めにしている人々が、確かに存在しているのです。

企業が儲けをどれだけ労働者に配分したのかを示す労働分配率は2000年代に入ってから急下降。利益は、生活に困窮する人々を救うためではなく、株主や企業内部に溜め込まれています(『東京新聞』1月8日)。

1960年代には企業と個人がほぼ半々で支えていた税収も、90年代以降は個人負担が増えていきました。2002年には企業は約20%、個人が約45%となるなど、開きが大きくなっています(『週刊金曜日』2005年9月9日)。それにもかかわらず、今度は消費税率アップの話が出ています。

働かざる者、食うべからず?

「働かざる者、食うべからず」という諺があります。
そもそもこの諺の是非については、大いに異論があります。命ある者は、その存在そのものにかけがえのない尊厳があるからです。
が、ここでは100歩譲って言わせてもらいます。

産まれた直後からから競わせ、おとな(人間)の思い通りにならなければ生きていけないようにつくりあげ、生きるエネルギーを奪って働けない状況に追い込んでいるのは、いったいだれなのでしょう?
朝に晩に体を壊すほど懸命に働いている人よりも、右から左へちょっと資産を動かすだけで莫大な利益を手にする人々の方が働き者だと言えますか?

経済を最優先させるシステムの残酷さとごまかし。ーーそれを最初に、実感を持って教えてくれたのが、元競走馬だった愛馬でした。
その存在がなければ、きっと私が今のような視点を持って相談や執筆に携わることはなかったことでしょう。(続く…

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Posted by 木附千晶