愛馬が教えてくれたこと(2/6)

2019年5月29日

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こんな個人的な話題をあえて書かせていただこうと思った理由は、ふたつあります。
ひとつは、私自身が抱える大きな喪失感を乗り越えるために、語らせていただく必要をとても感じているということ。

そしてもうひとつは、もし、愛馬がいなければカウンセラーという仕事に就くことはなく、当然、このブログも存在しなかっただろうと、その死を通して気づかされたからです。

極めて過酷な馬の人生

image080116.jpg よっぽど競馬で活躍したり、由緒正しき血統の乗馬馬であったりしない限り、馬の人生は極めて過酷です。その美しい容姿や、競馬場を駆け抜ける勇姿からは想像もできないほどです。

今の日本で、多くの人が馬を目にする機会と言えば、競馬場か競馬に関する宣伝でしょう。
競馬馬の中には、たくさんのレースで勝ち、芸能人並に人気のある馬もいます。でも、そうやって一握りの馬がもてはやされる反面で、多くの馬が「用済み」として葬られていく事実を多くの人は知りません。たとえ競馬場に問い合わせても、そんな話は絶対にしてくれないでしょう。

古来より人間の身近にいて農耕や狩りなどの重要なパートナーを努めてきた馬は、国策の転換に翻弄され、人間の都合に振り回されてきた“経済動物”です。
農業が機械化されればお払い箱になり、戦時中は外来種のような強い馬づくりのために在来馬が駆逐されました。

現在、日本ではほとんどの馬が競走馬(競馬馬)として生産されていますが、生産は過剰です。しかも、体の出来上がらない3・4歳のうちから無理やりレースに参加させられるため、故障する馬も少なくありません。競馬馬の8割以上が胃潰瘍にかかっているという話もあります。
そして、レースでいい成績の出せない馬、故障した馬は淘汰されていきます。食用になるのです。

天寿をまっとうできる馬はまれ

乗馬馬や観光牧場の馬などになって人生をやり直せる馬はごくわずかです。

受け入れ先である乗馬クラブなどが絶対的に少ないということもありますが、レースに勝つために強迫的に追い立てられてきた競馬馬を調教し直すことはかなり難しいことです。
その馬の気質にもよりますが、早く走るために必要なことだけを教え込まれた馬に、ゆったりと人を乗せることを教えるのはたやすいことではなく、そんな時間とお金をかけて調教し直してくれる人間に出会える幸運な馬は数えるほどしかいません。[参照:競走馬の文化史 優駿になれなかった馬たちへ抜粋]。

生き残りをかけた狭き門を無事くぐり抜けた馬たちも、安心はできません。怪我をしたり、年をとったりして人を乗せられなくなればすぐに「サヨウナラ」です。酷使されることも多く、たいていの馬は寿命に満たないうちにどこかを患います。

そして、「最後の家」(肥育家)に送られます。人間のために、文字通り身を粉にして働いてきたというのに、その「最後の家」の環境が劣悪であることも、少なくないといいます。

幾重にもふるいにかけられる人生を生き延び、天寿をまっとうできる馬は、本当にまれなのです(興味のある方は、ぜひ『競走馬の文化史—優駿になれなかった馬たちへ』/青木 玲著・筑摩書房をご一読ください)。(続く…

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Posted by 木附千晶