学力テスト不正問題(8/8)
全国学力テストに反対する識者のひとりである名古屋大学の中嶋哲彦教授は、全国学力テストを容認できない理由をこんなふうに語っています。
「競争で向上させることができるのはせいぜい得点力。本当の学ぶ力、つまり自然や社会、人間を認識する世界観を獲得する力は育ちません。なぜならそれは人格形成そのものだからです。人との共生、人との関わりの中で人間性を育てながら得るもの。そうしたプロセスがあって初めて、獲得した知を他の人に還元できる人間になるのです」
以前にブログで紹介した愛知県犬山市の子どもたちの様子を思い浮かべても、中嶋教授のセリフはもっともだと思います(「子どもの権利条約が生きた町」参照)。
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犬山では、少人数の「学び合い」の教育が、教師に子どもと向き合い、応答できる環境をつくり、受容的な関係性をもたらしました。徹底的に競争を廃した教育と、教師との豊かな関係性が子どもに安心感や信頼感の種をまき、好奇心や学ぶ意欲が芽吹いてきています。さらにだれひとり置いてきぼりにせず、助け合うという経験が「困っている人は助けてあげたい」と考える共感能力も育んでいます。
東京都足立区で起きた区の学力テスト不正問題、そしてその背景に広がる子どもたちの状況を見直してみれば、学力テスト体制というものが、犬山の教育環境とどれほど離れていることか・・・。すぐに分かることです。
「改革」の中身を直視すべき
内閣府が昨年発表した「社会意識に関する世論調査」の「国に対する意識について」を見ると、「悪い方向に向かっている」ものに教育をあげた人が36.1%で一番多いという結果があります。
多くの人が日本の教育に危機感を抱いているのです。
もし、そうであるなら「改革」という、一見、響きの良い言葉にごまかされず、きちんと「教育とはどうあるべきか」を考え、「改革」の中身を直視するべきです。
もちろん、「目の前にいる子どもの顔を見て、その声を聞く」ということを忘れてはいけません。子どもたち以上に、子どものことを教えてくれる“子どもの専門家”など存在しないのですから。