日本の子どもに特有のトラウマ?(4)
「怒り」は生き延びるために必要な、最も原始的な意見表明の方法です。
乳児が泣くのは、そこにそのまま捨て置かれたら死んでしまうという恐怖があるからです。だから「こんなところにほおっておくな!」と泣き叫び、助け (関係性)を求めるのです。
乳児が泣くのは、そこにそのまま捨て置かれたら死んでしまうという恐怖があるからです。だから「こんなところにほおっておくな!」と泣き叫び、助け (関係性)を求めるのです。
さらに言うと、乳幼児は、自分の泣き叫びを受け止め、応えてもらうことによって、「自分は大切なのだ」という自己肯定感や、 「助けを求めれば周囲は手を差し伸べてくれる」という基本的信頼感を育てて行きます。
コロナ禍で増える「~べき」
こうした感覚は、辛く困難が多い人生を生き延びていくために、不可欠なものです。
「怒り」を安心して表出し、受け止められる経験がなければ、自己否定感のほうが強くなり、他者を頼れない孤独で寂しい人間にならざるを得ません。
泣き叫びから、他者に伝わりやすい態度や言葉、やがては意見表明へと洗練されていくはずの「怒り」の表出方法も拙いままになります。それでは、タガが外れれば、制御不能のマグマとして噴出してしまって当然でしょう。
恐ろしいことに、適応的な 「良い子モード」の強要は、コロナ禍を経て、近年ますます加速しているように見えます。あらゆる場所で許容範囲が狭まり、「~べき」が増えているように感じます。
「良い子モード」のトレーニング
たとえば電車の中。「リュックは前に」「会話は控えめに」「席は詰めて」・・・と、 たくさんの「~べき」 のシャワーを浴びせられます。
そんな日本社会では、公共の場所で子どもが駄々をこねたり、大泣きしたりしていたら、鋭い視線が注がれます。親たちは「他者の目」を気にし、子どものコントロールを強めます。
そんな日本社会では、公共の場所で子どもが駄々をこねたり、大泣きしたりしていたら、鋭い視線が注がれます。親たちは「他者の目」を気にし、子どものコントロールを強めます。
そうして知らず知らずのうちに、空気を呼んで、 同調し、その場に適応するよう、子どもに要求していくのです。それは「良い子モード」でいるよう、子どもをトレーニングしているようなものです。
そのなれの果ては、低い自己肯定感、強い孤独感、低い精神的幸福度を持ったおとなです。そんな不幸な人生を子どもに歩ませるかどうか。それは私たちおとなにかかっています。