絶望と自殺(4/6)
「自分に価値がある」と思うことができなかった宅間死刑囚の子ども時代は、かなり過酷なものだったようです。
宅間死刑囚とその兄は、父親から棒でたたきのめされる毎日の中で育ちました。母親には父親の暴力を止める力はなく、血まみれの母親の姿を見ながら大きくなったようです(「加害者に潜む家族内部の暴力」 『世界』2003年3月号)。
兄は、事件の2年前に自殺しています。宅間死刑囚も、犯行の直前にネクタイで首をつったそうです。父親に「しんどい、メシが食えない」と言ったら「首でもくくれ」と言われたためでした。
しかし、結局、宅間死刑囚は自らネクタイをほどき、自殺を断念します。
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「被害者たちという道連れ」
斎藤学は、このエピソードを『アディクションと家族』(第21巻4号 2005年1月)の巻頭言「『医療観察病棟』は宅間守を治療できるか」で紹介しつつ、事件からわずか3年という異例のスピードで執行された宅間死刑囚の(2004年9月)死刑についてこう書いています。
「一人では死にきれない男が、『被害者たちという道連れ』を手に入れてようやく果たした自殺だったような気がする」(338ページ)
愛されなかった子ども時代
まだ事件の全体像が見えていないため確定的なことは言えませんが、秋葉原通り魔殺人事件の容疑者もまた、きちんと愛された子ども時代を送った人間ではなかったようです。
4月3日の書き込みで容疑者は両親について次のような書き込みをしています(『東京新聞』6月17号)こう書いています。
「親の話が出ましたのでついでに書いておきますと、もし一人だけ殺していいなら母親を もう一人追加していいなら父親を」
そんな容疑者と両親の関係がどんなものだったのかを推測できる書き込みもあります(「閾ペディア」。
・考えてみりゃ納得だよな 親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。
小学生なら顔以外の要素でモテたんだよね 俺の力じゃないけど(06/04 05:51)
・親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ 俺が書いた作文とかは全部親の検閲が入ってたっけ (06/04 05:52)
・中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた より優秀な弟に全力を注いでた (06/04 05:53)
「殺した者自身」が負う責任
確かに、人間を殺めた責任は「殺した者自身」が負わなければなりません。
けれども、「人間を殺めるようなおとなに成長してしまったこと」の責任までをその人に負わせることができるのでしょうか。(続く…)