image061110.jpg「生まれかわったらディープインパクトの子どもで最強になりたい」

そんな言葉を残して福岡県筑前町の中学2年生の男子生徒(13歳)が自殺したのは先月11日。
以来、北海道滝川市や岐阜県瑞浪市などでも、いじめを物語る遺書を残して小中学生が自殺していたことが分かり、子どもたちのいじめ自殺が大きく取り上げられています。


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今月6日には、いじめを苦にした自殺を予告する手紙が伊吹文明文部科学大臣に届きました。伊吹文科相は、手紙の差出人に対し

「命はひとつしかないものだし、自分だけのものではない。君が生まれた時はお父さん、お母さんが君の命を腕の中に抱きとってくれたわけだから、誰かに必ず気持ちを正確に伝えてください。世の中は君を放っているわけじゃないことを理解してほしい」

と呼びかけると同時に、

「思い当たる人たちがそれなりの対応を取れば命が救われる可能性がある」
として教育委員会などに適切な対応を求めました。(続く…

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image061113.jpg 手紙の調査・分析が進み、豊島区(東京都)で投函された可能性が高いとされると、東京都教育委員会の中村正彦教育長も、今月8日に「いじめを許さず、尊い命を守るために」という緊急アピールを行いました。

アピールでは、手紙の差出人である子どもに向けて
「どんなことがあっても自らの命を絶ってはいけません。相談する勇気を持ってください。必ず誰かが受け止めてくれることを信じてください」
と呼びかけています。

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そのうえで保護者には
「子どもの声を聞き、子どもが相談できるようにしてください。どれほど、子どもたちがかけがえのないものかを伝えてください」
と、教員には
「子どもたちを見つめてください。今、子どもたちが何を感じ、何を思っているのかを、しっかりとつかんでください」
と、学校長には
「すべての教職員が、一丸となって、いじめのない学校づくりを進めてください」
などと、説いています。
そして、すべての子どもたちに対しては、次のように述べています。

「みなさんは、いかなる理由があったとしても、自らの命を絶ってはいけません。辛いこと、苦しいことに耐えられなくなったときは、決して一人だけで解決しようとしてはいけません。人間は決して強いものではありませんし、一人で生きられるものではありません。多くの人たちに支えられて成長し生きていくのです。互いに支え合っていくのが人間です。

困ったときは、家族や周りの人に助けを求めてください。悩みを打ち明けることは、決して恥ずかしいことではありません。あなたが弱いということでもありません。

みなさんの思いを受け止めることは、わたしたち大人の責任です。大人を頼りにしてください。

力強く生きてください。素晴らしい人生を送ってください。つらいこと、悲しいこと、苦しいことを乗り越えて素晴らしい人生を送ってください。決して、自らの命を絶ってはいけません。」(東京都教育委員会ホームページより)(続く…

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こうした“励まし”のアピールを読んで、みなさんはどう思いますか。

アピールに書かれているようなことができるならば、自殺する子どもなどいるでしょうか。もし「自分を受け止めてくれる」と信じられる人がいれば、子どもは自然に悩みを打ち明けるはずです。「自分は支えられている」と思えるならば、支えてくれている人に、当然、相談するでしょう。

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「助けを求めれば救ってくれる人がいる」と信じられるならば、自ら命を絶つ必要などないのです。

子どもが自殺していくのは、自分のすべてを受け止め、支え、助けてくれるおとなが周りにいないからです。絶望した子どもは、孤独の中で自殺するしかない状況に追い込まれているのです。

そんな子どもを取り巻く現実と、そうした現実をつくり出している社会の問題について、アピールの真意に迫りつつ、次回から書いていきたいと思います。

伊吹文部科学大臣や中村教育長の“励まし”を読んで、私が最初に感じたのは

「この人たちは、子どもが置かれている辛い現実を見ようとしたことがあるのか?」

という疑問でした。
1994年11月、愛知県西尾市で当時中学2年生だった大河内清輝君が自殺するという事件が起きました。遺書には、同級生から金銭を要求されたり暴力を受けていたこと、その苦しさを両親にも伝えられず死を選ぶしかなかったこと、などが書かれていました。

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この事件をきっかけに、いじめが社会問題になりました。当時の与謝野馨文部大臣はいじめの撲滅を訴え、文部省は「いじめ対策緊急会議」を設置しました。
同会議は、各都道府県教育委員会あてに、緊急アピールや取り組みのチェックポイントを通知。その翌年には「いじめの問題の解決のために当面取るべき方策について」(『当面の方策』)という報告も取りまとめました。

『当面の方策』は、その名前のとおり「当面のこと」だけに注目しました。

具体的に言うと「なぜいじめが起こるのか」という原因究明や「子どもを自殺に追い込まないために」という抜本的な解決策を考えることはせず、「いじめる側の出席停止や警察への協力要請」という、緊急対策に終始したのです。(続く…

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『当面の方策』は、「だれよりもいじめる側が悪い」という認識に立って出来上がっており、「弱い者をいじめることは人間として許されない」と強調しました。

当時の文部省職員は、緊急対策のみとなった理由を
「受験競争の弊害など、諸説がいわれているが、原因を追及していたら、中教審で3回の論議は必要。教育の基本論に立ち返るのはやめて、取り急ぎどう防ぐかをまとめた」(『教育新聞』95年3月16日付)
と話しています。

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以後、確かに統計上は公立学校でのいじめは減りました。『当面の方策』が出された95年のいじめ発生件数は6万96件ですが、05年には2万143件になっています。また、95年に6件あった「いじめを主たる理由とする」自殺件数は、99〜05年までは0件とされてきました(今月になって文部科学省がこの統計を見直し、再調査を開始しています)。

教育の基本論に立ち返ることなく、いじめの原因を探ることもなく、ただ統計上の発生件数を減らすための対策がどんなものだったのかーー。今、子どもたちは命をかけて教えてくれています。

私の経験に過ぎないかもしれませんが、子どもの現状に心を痛めるおとなたち、何より子どもたち自身に話を聞いたとき、この10年間で「いじめが減った」と思ったことは、ただの一度もありません。それどころかいじめは、教室に当然あるべき“風景”のようになってしまい、「あってはならないこと」という危機感さえも薄れてきてしまっているというのが実感です。(続く…

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image061127.jpg こうした現実を放置、いえ助長してきた官庁の最高責任者でありながら、「世の中は君を放っているわけじゃない」「必ずだれかが受け止めてくれることを信じてください」「素晴らしい人生を送ってください」と、まるで他人事のような口調で言う彼らは、いったいどういう感覚を持った人たちなのでしょうか。

そもそも、今、死のうとしている子どもに対して、「どんなことがあっても、自らの命を絶ってはいけません」と説くこと自体、理解に苦しみます。
自らの命を絶ってはいけないことくらい、子どもは百も承知です。命を絶とうとしている子どもだって、できることなら友達と遊び、両親にかわいがられ、将来を夢見たいと望んでいます。1日1日を楽しく、生きていきたいと望んでいます。

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少し、視点を変えてみてください。
カウンセリングルームには、アルコール依存症、買い物依存症、摂食障害、暴力・・・さまざまな問題を抱え、苦しむ人たちが訪れます。そうした人たちもみな、「素晴らしい人生を送りたい」と思っています。素晴らしい人生を送るために、アルコールを、ショッピングを、過食(拒食)を、暴力を「やめたい」と願っています。
でも、その症状を手放すことはとても困難です。頭では「やってはいけない」と分かっていても、心がそうは思えないからです。だれかに「こうしなさい」と言われて、その通に振る舞えるくらいなら、悩む人などいないでしょう。

頭で何かを理解することと、心から何かを実感することは違うのです。「〜〜しなさい」と、道徳や説教で規範を教え込めば、正しく行動をする子どもへと「つくりあげることができる」というのは、おとなの傲慢以外の何ものでもありません。子どもは、正しいプログラムを組み込めば、正しく動くロボットのようにはいかないのです。

たとえば「人をいじめてはいけない」などの“ルール”は教え込むことができます。しかし、それだけでは「いじめられた人が辛い思いをする。だからいじめはやめよう」と考えられる子どもにはなりません。いじめられた人の辛さを考えられるようになるためには、他人の痛みを自分の痛みとして感じられるようになることが必要です。そのためにはまず、いじめる側の子ども自身が、「自分の痛みを分かってくれる人がいた」という体験がなくてはいけません。(続く…

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心は現実世界の体験の結果として出来上がるものです。たとえどんなに「正しい」ことであっても、その体験がないことを教え込むことはできません。「命を絶ってはいけない」と倫理を説かれても、「命の素晴らしさ」が実感できなければ、自殺を思いとどまることは出来ないのです。

同じように、子どもの声を聞く余裕などまったくない現実を顧みようともせず、「子どもの声を聞き、子どもが相談できるようにしてください」と保護者に説いたり、「子どもたちを見つめてください」と教員に諭すことが、どれほどの意味を持つでしょう。

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また95年当時の「いじめ撲滅」の結果を見るとき、「一丸となって、いじめのない学校づくりを進めてください」と学校長に訴えることが果たして有効と思えるでしょうか。

大切なことは、他のあらゆる暴力を完全に無くすことが困難であるように、「いじめを撲滅することはきっとできない」という事実をきちんと見すえることです。そのうえで、「どうしたらいじめを減らすことが出来るのか」を考えていくことです。そして、何より子どもが「命の素晴らしさ」を感じ、いじめられたときはすぐに助けを求められるような環境を整えることなのです。

次回は、子どもたちが「命の素晴らしさ」を実感できず、助けを求められない現実について、具体的に書いていきたいと思います。

6月21日に、いじめ防止対策推進法が成立しました。

昨年の大津いじめ自殺事件以来、再び「いじめ」の問題が大きく取り上げられるようになり、ネットや携帯電話の普及などによって子どもたちの間でいじめ問題が深刻化するなかでの成立です。

「再び」と書いたのは、注目を浴びるいじめ事件が起こるたびに、「いじめはいけない」という何の効果もないキャンペーンが毎回、毎回、繰り広げられてきたからです。そのことに関して、詳しくは「歴史は心的外傷を繰り返し忘れてきた」の回を参照してください。

いじめ防止推進法の中身

今回成立したいじめ防止対策推進法(推進法)とはどんな法律なのでしょうか。今までのいじめ防止キャンペーンとは違い、本当に実体的な効果を上げられるものなのでしょうか。まずはその中身を確認してみたいと思います。

ちょっと堅い話で退屈かも知れませんが、少しおつきあいください。

まずこの法律は
①「児童等は、いじめを行ってはならない」
といじめの禁止を宣言しています。

そして、
②国・自治体・学校等は、「いじめ防止基本方針」を定め、いじめの防止等のための施策を策定・実施し、
③保護者は、子どもへの規範意識の指導や学校などの行う措置への協力に努めるものとして、
④学校は複数の教員や心理・福祉の専門家らによるいじめ防止等のための組織を常設し、
⑤道徳教育や体験学習を充実し、早期発見のための措置などを講じなければならないこと。
さらに
⑥いじめがあった場合には、事実の確認、被害者側への支援、加害者側への指導・助言、警察との連携や通報などを行う
とされています。

また
⑦加害児童に対する懲戒や出席停止を適切に行い、
⑧命に関わるような重大事態については、教育委員会などが調査を実施し、結果を被害者側に開示し、調査が不十分な場合には、自治体の長が第三者機関などを設けて再調査できるとする
などの特徴が見て取れます。

自民党の意見をほぼ踏襲

推進法には、与党以外の政党の提案も組み込まれたとのことですが、こうして内容を見てみると、昨年末に自民党が出した「重点政策2012」や今年1月に安倍内閣が設置した教育再生実行会議の意見がほぼ踏襲されているようです。

たとえば、
①道徳教育の強化、
②いじめっ子への懲戒や出席停止、
③警察との連携や通報を「ためらいなくせよ」
と言っていることなど、もともと自民党が主張してきた内容がそのまま反映されているように感じます。(続く…

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道徳の強化や、いじめっ子への「毅然とした対応」を前面に出したいじめ対策は、今までのいじめ対策となんら変わりません。

いじめ自殺事件が起きるたびに、時の政権や教育行政機関、識者などの多くは「『いじめはいけない』と徹底して教えるべきだ」と声高に叫び、「いじめっ子たちには罰を与えよ」と繰り返してきました。

今回の推進法が、こうした過去のいじめ対策と違う点を挙げるとすれば、自治体や学校などに「いじめ防止基本方針」を定めるよう求め、いじめ防止のための組織を常設するなどいじめ防止のための仕組みをつくることが決められたことでしょうか。

「いじめはいけない」と知っている

しかし、道徳教育の強化が、いじめ防止につながるわけではないことは2011年の大津いじめ事件が起きた中学校が、2009・2010年度に文部科学省指定の道徳教育実践研究事業推進校だったことからも明らかです。

あえて警察を導入したり、道徳教育を通して「いじめはいけないこと」と口を酸っぱくして言わなくても、子どもたちは「いじめはいけない」と十分に分かっています。

だからこそ、一時、話題になった学校裏サイトのような匿名性の高い、だれがだれをいじめているのかどうかもよく分からないようないじめが、ネットの普及を背景に広がったのではないでしょうか。

何より「いじめーいじめられ」関係の中に日常的に身を置いている子どもたちに一言尋ねてみれば、彼/彼女らがちゃんと「いじめはいけないことである」と理解していることはすぐに分かります。

方針や委員会で防止できる?

また、方針や対策委員会をつくれば問題は解決・防止できるのでしょうか。こちらも非常に疑問です。

いじめの話ではないですが、理念は立派な子ども・被災者支援法が内容は空っぽのまま1年も放置されていることは前回のブログでも書きました。

2006年に学校教育法等の一部を「改正」してはじまった特別支援教育は、「どんな障害があっても、どんな場所でも、それぞれのニーズに応じた適切な教育を」と謳っていますが、予算さえ満足に付いていません。そのため、「教員の負担が重くなっただけ」「対象が広がったためひとりひとりのニーズに合わせた教育ができなくなった」などの指摘もあります。(続く…

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本当に何らかの法律をつくることによって、いじめが日常化した子どもたちの状況を救うことができるのでしょうか?

そもそも、昨今のいじめとはどのようないじめなのでしょう。

ある教師に尋ねたところ、かつては「おとなに見えにくいいじめ」として話題になったインターネットを使ったいじめは、すでに当たり前だそうです。

たとえば学校で「キモい」と言われている子に無理やり告白させたり、待ち合わせをすっぽかしておいて当惑する姿を隠し撮りして動画で流したり、マスターベーションを強要して撮影し、仲間内で共有したりするなどは、めずらしくないのです。

でも、こうしたいじめは、新たに法律などつくらなくても、すでに教育委員会やNPOなどがサイト上を巡回していじめや犯罪につながる情報を見つけ出す「ネットパトロール」などで取り締まることはできます。

ところが、今、教師の人たちが対応に困っているのは「遊びと区別しにくいいじめ」です。

遊びと区別しにくいいじめ

たとえば掃除のとき。大勢でひとりの生徒をロッカーに閉じ込め、笑ってはやし立てる遊びをする子たちがいます。
最後は、閉じ込められた生徒が「ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン」などとおどけてロッカーから飛び出して来て終わるのだそうですが、見ていてけして愉快なものではありません。

見かねた教師が注意すると、閉じ込めた側ではなく、閉じ込められた生徒自身が「おきまりのコース。みんなここまでしないと収まらないから」と、その行為を肯定する発言をしたそうです。

また、だれもが嫌がる便器掃除を率先してやり、自分のことを「便器マン」と呼んで、周囲にもそう呼ばせて笑いを取る子などもいるそうです。

「笑いを取れる」は最重要課題

今の子どもたちにとって、「笑いを取れる人」であることは学校生活を送る上での最重要課題です。「笑いを取れない=暗い=友達がいない」と思われることを極端に恐れます。

だから、即興で笑いが取れる下ネタや自分を下に見せるような言動で“いじられる”よう持っていくのです。(続く…