道徳や説教で子どもが救えるか?(1/4)
2019年5月29日
伊吹文部科学大臣や中村教育長の“励まし”を読んで、私が最初に感じたのは
「この人たちは、子どもが置かれている辛い現実を見ようとしたことがあるのか?」
という疑問でした。
1994年11月、愛知県西尾市で当時中学2年生だった大河内清輝君が自殺するという事件が起きました。遺書には、同級生から金銭を要求されたり暴力を受けていたこと、その苦しさを両親にも伝えられず死を選ぶしかなかったこと、などが書かれていました。
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この事件をきっかけに、いじめが社会問題になりました。当時の与謝野馨文部大臣はいじめの撲滅を訴え、文部省は「いじめ対策緊急会議」を設置しました。
同会議は、各都道府県教育委員会あてに、緊急アピールや取り組みのチェックポイントを通知。その翌年には「いじめの問題の解決のために当面取るべき方策について」(『当面の方策』)という報告も取りまとめました。
『当面の方策』は、その名前のとおり「当面のこと」だけに注目しました。
具体的に言うと「なぜいじめが起こるのか」という原因究明や「子どもを自殺に追い込まないために」という抜本的な解決策を考えることはせず、「いじめる側の出席停止や警察への協力要請」という、緊急対策に終始したのです。(続く…)
Posted by 木附千晶
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