排除の論理と子どもの気持ち(1)

2019年5月23日

松葉杖

 まったくの私ごとですが、一月ちょっと前に足を骨折しました。

以来、身支度をするのも、家事をするのも、猫の世話も、何もかもがびっくりするほど時間がかかり、いろいろなことが滞りがちです。おかげでこのブログも今までに無いほど、更新できないまま放置してしまいました。

通院や出勤はおろか、ちょっとそこまで買い物に行くのも、銀行のATMを利用するにも決死の覚悟。車の運転はできませんし、スーパーなど広大すぎてとても足を踏みれることもできません。
あらゆることが自分一人ではできず、いつもだれかの力を借りなければできない状態が続いています。

社会的弱者を体験中

そんなこんなで、改めて社会的弱者を体験中です。「バリアフリー」が謳われて久しいですが、日本はバリアだらけだと実感します。

とあるJR駅でエレベーターを降りたら、そこにはエレベーターもエスカレータもありませんでした。地下鉄に乗るためには歩道橋を渡るか、駅を横切ってえんえんと階段と地下道を歩いて行くしか無く、慣れない松葉杖歩行に閉口しました。

松葉杖姿で始めて上りエスカレーターに乗ったときは、その早さにうまくついて行けず転落。緊急停止ボタンが押され、人々に囲まれる騒ぎとなりました。交差点では、信号が変わるまでの時間が短すぎて焦り、おしゃれな石畳の道では松葉杖がひっかかって転びそうになりました。

隠された「排除の論理」

不自由な体になるとちょっとした段差や傾斜、今まではまったく気づかなかったちょっとしたでこぼこなどが、そのままになっていることがよく分かります。

「とりあえず付けた」であろうスロープや、「ちゃんとやってますよ」というアリバイづくりのためのエレベーター設置などなど、表面上は善人の顔をしつつ、腹の中では「みんなに合わせられないならおとなしくしていろ」という、無言の圧力を感じます。

表だって排除はしないけれど、「空気を読んで身の丈に合った言動をしろ」、「雰囲気を察して自ら邪魔にならないように振る舞うべきだ」という、「排除の論理」があるような気がしてならないのです。

日本は親切な国?

「思いやり」だの「おもてなし」の国だのと言われ、一見、親切な国のように言われている日本ですが、疑いたくなることが多々あります。

 たとえば、Charity Aid Foundationという団体が、過去1月間に「手助けを必要としている見知らぬ他人を助けたか」「チャリティー団体などに寄付をしたか」「チャリティー団体などにボランティアとして自分の時間を提供したか」などの「人助け指数」を毎年公表している世界寄付指数(world giving index)を見てみると・・・。
 
 最新の2018年の発表では、日本のランキングは世界142カ国中128位。オリンピックを目前に控え、ボランティア活動がさかんになっているはずなのに、前年より17位ランクダウンしています。(参照(PDFファイル)

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