『家族』はこわい(6/6)
意見を言わなくなる子ども
1997年10月、京都の高校生が、国連でこんなプレゼンテーション(一部抜粋)をしました。
「私たち子どもは「子どもだから」と話し合う場を用意されず、学校ではいうように教えられても言う場を与えられず、もし意見を言っても聴いてもらえません。
また、意見を言わなくても生きていける、物質的には裕福な社会にいます。逆に意見を言ったために周りから白い目で見られ、孤立させられてしまうなど、時には思いもよらぬ不当な扱いを受けることもあります。
そうしているうちに、多くの子どもたちは意見を言うのを恐れ、また言っても変わらない現状に疲れ、自分の意見を主張するのをやめていきます」
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「よい子育て」が強まる昨今
「規律ある態度の育成」「規範意識の醸成」などの言葉で、おとなにとって都合のいい「よい子育て」の風潮が強まる昨今、家庭でも学校でも、子どもがものを言えない傾向は強まっているように思います。
今年1月、教育再生会議は出席停止などによる「規律ある教室づくり」を提唱しました。
その翌月にあたる2月には、文部科学省が出席停止の活用や警察の協力を促した通知を出し、この別紙では「肉体的苦痛を与えないものは通常、体罰に当たらない」という懲戒・体罰に関する新たな「考え方」も示しました。
これによって、子どもを立たせたり、居残りをさせたり、罰として課題を与えるというような方法は体罰定義から外れてしまいました。また、教師が子どもと取り締まる権限も増大しました。
分かってくれないおとな、話を聞いてもくれないおとなたちに絶望した子どもたちが、どんな行動に走るのかは、想像に難くありません。
暴力や「荒れ」が増える学校の現実が、それを教えてくれています。