『希望の革命』(7/9)

2019年5月29日

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このフロムの言葉は、ともすると日本の状況を現すときに昨今よく使われる「多様化した社会」とか「個性化の時代」などとは真逆の言葉のようにも聞こえます。

多くの人が、今の日本社会は自由に人生を選び取り、さまざまな個性に応じて生きて行けると思わされ、私たちは自由で公平な社会に生きていると錯覚しているからです。

現実を見れば、今の社会がマニュアル主義になっていること、個人よりも組織の判断が優先されていること、ひとりひとり違う人間存在(個性)よりも効率性が重視されていることは、明らかです。

一見、自由に見えるけれども、そこにはいつも選ぶべき答えが用意されており、それ以外の選択をすれば、その組織の中枢からはじき出されます。
「何を言ってもいいんですよ」というタテマエを信じて本音を語れば「空気の読めない人」として排除されていくのです。
しかもそうして片隅に追いやられ、たとえば“負け組”に入ったとしても、それは「自己責任」として、その当人が引き受けることとされます。

端的に現す高校生のプレゼン

かつて私がブログ(『家族はこわい』)でも紹介したある高校生が言った次の言葉が端的に、そんな日本社会の状況を表しているように思います。

私たち子どもは「子どもだから」と話し合う場を用意されず、学校ではいうように教えられても言う場を与えられず、もし意見を言っても聴いてもらえません。
また、意見を言わなくても生きていける、物質的には裕福な社会にいます。逆に意見を言ったために周りから白い目で見られ、孤立させられてしまうなど、時には思いもよらぬ不当な扱いを受けることもあります。
 そうしているうちに、多くの子どもたちは意見を言うのを恐れ、また言っても変わらない現状に疲れ、自分の意見を主張するのをやめていきます」(1997年の子どもの権利条約に基づく第一回日本政府報告書審査での高校生プレゼンテーション)(続く…

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Posted by 木附千晶