雪の日に思う(4)

2019年5月29日

不登校 子どもたちを縛る同調バイアスがいかに苦しいものか。・・・2010年の第3回日本政府報告審査時に国連「子どもの権利委員会」でプレゼンテーションをした子どもが語ったことからも明らかです。
 ある子どもは、子ども同士の閉塞的な人間関係について次のように発言しました。

「私達は『苦しくてあたりまえ』という奇妙な連帯感に縛られていて、へたに声を発すれば嫉妬や恨みを買ってしまうので、自分の本当の心を殺し、お互いに演技を続けています。私達は自分の要求や欲求を口に出せないことよりも、一人だけ浮いてしまうことの方が怖くて、人間関係に臆病になり、関係性が壊れることを恐れて、‘発言’することを避けます。
 周囲がどう自分を評価しているかを気にするあまり、存在するかどうかも分からない『他人の感情』に怯え、他人と同調し、いつしか自分の感情さえも解らなくなるーー。そんな不気味な関係の中で生きています」(国連に子どもの声を届ける会『子どもの権利モニター』NO.103 81ページ)

強まる同調バイアス

 子どもたちが上記のように発言し、国連「子どもの権利委員会」が教育の在り方をはじめ、子どもを取り巻く人間関係を見直すよう最終所見を出してから、今年で8年になろうとしています。

 この8年の間に、同調バイアスは少しでも緩み、子どもたちの息苦しさは改善されたのでしょうか。いえ、私にはますますひどくなっているように感じられます。 
「こうしなければいけない」、「ああするべきだ」というおとなの価値や期待に縛られ、自分の感情さえ見失ってしまった子どもは、むしろ増えているような気がしてなりません。

 私は、仕事でも不登校になった(もしくは不登校ぎみの)子どもと会うことが多々ありますが、その多くが非常に感受性が強く、自分でものを考える力を持っていて、他人(クラスメイト)に同調することが難しいという特徴を持っているように思えます。

もし自分が子どもだったら

 そんな子どもたちから「どうして学校に行きたくないのか」「学校の何が嫌なのか」を聞いていると「ああ、それはそうだよね」と共感できることばかりです。

 たとえば「社会科見学のとき、列からちょっとはみ出すだけで怒鳴り散らす先生が怖かった」「本当は自分がやっていないことを自分のせいにされ、話も聞いてもらえなかった」「道徳の時間には『みんな仲良く』と教えるくせに、実際には『受験競争に勝って少しでもいい学校へ進学しろ』と言うのはおかしい」などなど・・・。

 挙げればキリがありません。不登校の子どもたちから学校の話を聞いていると、「むしろ多くの子どもが学校に行けていることのほうがすごい!」と思えてしまいます。

 もし自分が今、子どもだったら・・・とても毎日、登校できる自信はありません。

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Posted by 木附千晶