子ども不在の国ーー第4・5回日本政府報告書に寄せて(1/6)

2019年5月29日

もう10年も前の話になりますが、ある週刊誌で『子どもはもういない』という帯タイトルで連載をしていたことがあります。

おとなに見守られながら、子どもが「子どもらしく」のんびりしたり、わがままを言ったり、失敗したり、つまずいたりしながら、時間をかけて大きくなっていくことができない日本社会の実態をさまざまな側面から切り取った連載でした。

たとえば、前回までの「急がされる子どもたち」でも書いたように、①幼いうちから「賢い消費者たれ」と、お金の使い方や増やし方、働き方を習わされる現状(市民化教育)が行われていることや、②親や支え手のいない子どもがとにかく自分で稼いで「自立」するよう強いられていること、③お金のかかる障害児教育や養育への公共投資がどんどん減っていることなどなどを取り上げていました。


ACとは

アルコール依存症の親に代表される、機能不全な家族(家庭)で育つ子どものことをアダルト・チルドレン(AC)と呼びますが、このACについて尋ねられたとき、わたしはいつも「子ども時代に、ちゃんと子どもをやれないままおとなになってしまった人」と説明しています。

たとえその子どもの家庭が、アルコールなどの依存症や何らかの暴力、臨床的にみて突出した問題などを抱えていなくても、子どもに「愛されている」という感覚や安全基地となる人間関係を提供できず、結果的に「子どもらしい時間」を過ごすことができなかった家庭のすべてがあてはまります。

日本社会のほとんどは機能不全家族(家庭)

・・・そんなふうに言うと「そんなこと言ったら日本のほとんどのおとなはACだ」とか「日本の子どもはみんな機能不全家族で育ってる」というお叱りを受けることが多々あるのですが、私は「まったくもってその通り」と思っています。

今まで、このブログでずーっと書いてきたように、子どもの成長・発達の基盤を支える理解や愛情ある家庭(学校などの子どもが生活する場を含む)というものが、日本社会では、ほぼ崩壊してしまっているように感じています。

いや、そもそも理解や愛情の意味さえ、変わってきてしまっているように思えてなりません。
今の日本社会では、「理解」とは親(おとな)が子どもの意向を勝手に解釈することで、「愛情」とは子どもにお金で買える知識や経験を詰め込んで競争レースで勝たせてあげることだと信じているようにしか考えられません。

そんな社会の価値を是認している親の家庭は、やっぱり機能不全です。(続く…

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Posted by 木附千晶