本音とたてまえ、オモテとウラ(3/7)

2019年5月29日

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教科内容の削減(いわゆる教科書の3割削減)も本当の「ゆとり」にはつながりませんでした。

なぜなら、国連「子どもの権利委員会」から二度にわたってその見直しを勧告されているほどに競争主義的な受験教育体制は、そのままだったからです。

教科書が薄くなっても

たとえ教科書が薄くなったとしても、受験を中心とした教育システムや社会の在り方が同じであれば、「教師が教えなければならない内容」が変わるはずがありません。
ほんのちょっと考えればだれでも気づくことです。

一方、「ゆとり教育」が始まったことで教科の授業時間は減っています。そのため、子どもがゆっくり考えをめぐらしたり、試行錯誤したり、体験をもとに何かを学んでいく機会はぐっと減ってしまいました。

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たとえば子どもは、磁石で砂鉄を集めて遊んだり、ゆっくりと観察しながら植物を育てたりしながら、理科の基礎を育てます。みんなでおいしいジュースを味わいながら、その量を量ったりして、リットルの単位を実感したり、重さの概念を知っていきます。

ところが「ゆとり教育」導入後の「ゆとりのない学校」では、そんな授業をする余裕が無くなってしまったのです。
結果的に学校は子どもに、今までもよりも少ない時間、薄い教科書、体験をともなわない学習しか提供できなくなりました。

学習には積み重ねが必要

しかも学習というものは積み重ねです。
次に進むには、一見、難しく見えても押さえておかねばならないポイントというものがあります。「教科書から削除されたから」と、単純に省略すると、かえって子どもが理解できないことも多いのです。

たとえば漢字が書けるようになるためには、まず平仮名の成り立ちを知り、カタカナとの共通性や違いにワクワクしたり、不思議に思ったりしながら、「文字」を自分の中に取り込む必要があります。

文字をならべると意味のある言葉ができることを楽しむ時間も重要です。それを楽しみながら、ある漢字一文字を使うと、意味のある言葉が表現できることに驚いたり、部首やつくり、へんなどがいろいろな意味を持っていることに興味をかき立てられたりしながら、漢字という「図柄(絵文字)」が「言語」として定着していきます。

こうした機会をすっとばして「一年生で覚える漢字の量を減らす」と言われても、子どもは混乱するばかり。「基本的な漢字の仕組みが分かっていないから、あり得ない場所に『`』を付けてしまったり、考えられない方向に『払い』を付けたりする」(中学校の国語教師)なんてことが起こります。

数字全体のイメージがつかめないまま

数字についても同様です。「○年生までは小数点は教えない」とか「3桁以上の計算は来年」として、桁数の少ない計算式をたくさんこなせば計算力がアップするわけではありません。

逆にこうした切り貼りのような学習をしていれば「小数点以下やゼロという数字全体のイメージがつかめないうちに計算方法だけを習うため、計算ができても数の概念が分からいままになってしまう。中には小数点以下が読めない子どももいます」(小学校の教師)という自体が生じるのは当たり前です。(続く…

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Posted by 木附千晶