本音とたてまえ、オモテとウラ(2/7)

2019年5月29日

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そもそも「ゆとり教育」は、子どもにゆとりある学びを保障するためにスタートしたものではありません。

その中身は、
「どんな家庭に生まれたどんな子でも、等しく教育を受けられる」
という平等教育を解体して、公教育費を削減させるために
「出来る子には手厚く、それ以外には最低限の教育」
へと、日本の教育を変えていくための装置として準備されたものです。

いったいどういうことなのか。
「ゆとり教育」の現実や、批判論議を振り返りながら、説明したいと思います。

「ゆとり教育」批判のきっかけ

私が「ゆとり教育」について、当事者(保護者や子ども、教師)についてよく話を聞いたのはその批判が高まりはじめた2004年から2005年にかけてでした。

批判の直接的なきっかけは、2004年末に公表された二つの国際学力テストの結果です。
一つはPISAという経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査。もう一つは、TIMSSという国際教育到達度評価学会(IEA)の国際数学・理科教育調査です。

とくにインパクトが強かったのは、PISA。いわゆる読み書き計算などの机上の学問ではなく、子どもの生きる力=「実生活の中で使える知識や技能」を測るとされたこのテストで、読解力が8位から1位に、数学的応用力が1位から6位になったのです。

しかも、「ゆとり教育」のスローガンは「子どもたちに『生きる力』を!」でした。子どもたちに「生きる力」をつけてもらうために、週休二日制にしたり、教科内容を削減したり、「総合的な学習の時間」(総合学習)をスタートさせたはずでした。

学校からゆとりを奪った「ゆとり教育」

実は、これら「『生きる力』をつけてもらうための取り組み」にも、さまざまなカラクリがあるのですが、その話をする前に「ゆとり教育」の現実についてふれておきたいと思います。

当時、私がよく聞いたのは「『ゆとり教育』が始まった頃から、学校にはゆとりが無くなった」というセリフでした。

たとえば、小中学生の親でもある中学校教師の方は、こんなふうに「ゆとり教育」について話していました。

「授業時間が減って総合学習が入ったことで、子どもは教科の宿題と総合学習の調べ物、そして受験勉強に追われるようになりました。子どもに興味を持ってもらえるようなゆとりある授業ができ、子どもが自分のペースで考える時間のある総合学習なら『生きる力』につながるかもしれませんが、今の学校にそんな余裕はありません。うちの子どもは、教科の宿題はせずに総合学習の調べ物を優先させています。週休二日になった分、平日の帰りが遅くなってとてもすべてをこなすのは無理なのです」(続く…

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Posted by 木附千晶